京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

アリストテレスのミツバチ研究

2018年05月06日 | ミニ里山記録

 

 ミツバチは自然共生系の中で送粉者として重要な役割を担っている。世界のおおよそ90%の果樹の花がミツバチに依存していると言われており、この種はまた人に蜜やロウ、プロポリスなどを供給してくれる資源昆虫でもある。これが示す謎に満ちた不思議な行動や生態が多くの研究者を引きつけてきた。ミツバチは高度に社会性を進化させた昆虫の一つで、一匹の女王を中心に多数の働き蜂が絶妙な方法で情報交換を行いながらコロニーを形成し生活を営なむスーパー個体と呼ばれている。

 

  ミツバチと人の関わりは古い。共生生態系で重要な役割を果たすミツバチはカイコとともに資源昆虫として古来、利用されてきた。そして、この針を持つ膜翅目の昆虫はいままで多くの人々の観察や研究の対象でもあった。ちなみにミツバチのラテン語の名前はApis pubescens,thorace subgriseo, abdomine fusco, pedis posticis glabris utrinque margine ciliatisという長ったらしいもので、「毛むくじゃらのハチで、胸は灰色、腹部は暗色、後脚は光沢があり縁に毛の列を生ずるもの」を意味する。近代になり、スエーデンの分類学者のリンネの二名法によってセイヨウミツバチの学名はApis mellifera(属名と種小名)として表記されるようになった。ちなみに、属名 Apis は「ミツバチ」に対応するラテン語で、種小名の melliferamelli- は「蜂蜜」を、ferre は「運ぶ」をそれぞれ意味する。

 ミツバチの集める花蜜やそれが巣で作るロウは養蜂家の大事な商品である。最近ではプロポリスが健康食品として販売されている。さらにミツバチの生活を素材としたミツバチの文化は児童文学やコマーシャル世界に広く浸透している。さらに忘れてならない事は送粉者としてのミツバチが受粉のために農業において盛んに利用されている事である。

 古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは「動物誌」などの著書でミツバチの形態や行動の記録を残している。その記述には「働き蜂は女王が生むが雄蜂は外から運ばれてくる」などという誤ったものもあるが、多くは正しい観察でいまでも通用するものである。アリストテレスは、ミツバチのコロニーで分業が行われヒエラルキーが存在し働き蜂が女王のコントロール下にあると述べている。このヒエラルキー説はその真偽が現在も検査されているが、この頃からミツバチの社会性は注目されていたようである。

 偉大な進化学者であるチャールズ・ダーウイン(1809-1882)はその著「種の起原」の中でミツバチが共同作業で行う絶妙な巣造りの本能の進化について、「あらゆる既知の本能の内で最も驚異的なミツバチのそれは、連続的で軽微な本能の数多い変容を自然選択が利用したものであろう」と述べている。

 そのダーウィンのミツバチに関する疑問は、メスの働きバチは自分の子を産まず母親である女王バチの産んだ子を育てて生涯を終えるが、なぜ子を残せないメスが大半を占めるにも関わらずハチが自然選択により社会性を進化できたのかということであった。この疑問に対してウイリアム・ハミルトン (1930-2000)は、社会を作ると自分で子を産まなくても母親である女王の残す子どもの数が増え母親経由で弟妹に伝わる働きバチの遺伝子量が増えるからだという理論的なハミルトン則を唱えて、それがハチやアリで検証されようとしている。

 動物の社会性の特徴は密集性とそれにともなう情報伝達の高度化・効率化である。ミツバチでそれを見事に示したのはドイツのカール・フォン・フリッシュ (1886-1982)であった。フリッシュの発見した採餌バチの示す巣盤上での尻振りダンスの仕組みに世界の人々は驚嘆した。ミツバチは体を振動させながら歩行する方向でもって目的物(えさ場)の方向を巣の仲間に知らせ、それは太陽の位置と関係がある事が分かったのである。1973年にはこれらの功績に対して、ティンバーゲン、ローレンツと共にノーベル生理学・医学賞が贈られた。

 ミツバチなどの社会性昆虫のコロニー全体を有機的統一体とみなしてスーパーオーガニズ(超個体)と名づけたのは米国のウイリアム・ウイラー (1865-1937)である。さらにトーマス・シーリー(1952-)が民主的意思決定のプロセスを備えた超個体と位置づけた事もある。最近になってドイツのユルゲン・タウツ(1949-)らはこの概念を押し広げ、ミツバチが哺乳動物的特性を数々備えている事よりミツバチを“名誉哺乳動物”であると論じている(楽蜂)。

 

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ヂシバリ(地縛り)

2018年05月05日 | ミニ里山記録

 

 

ヂシバリ (Ixeris stolonifera) 別名イワニガナ。

キク科ニガナ属の多年草。ヂシバリの名前は茎が次々に伸び、地面を覆い尽くしてしまう生活力からきた。葉や茎を傷つけると、苦い味の白い粘液を出す。よく似たものにオオヂシバリがある。これは田んぼの畦に多い。葉の形状がヂシバリは丸くオオヂシバリはへら型である。どこにでも咲いているのにあまり気づかないで見過ごしている典型的な都会の野草。



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鍔の美-名品鑑賞 (3)

2018年05月04日 | 文化

  鍔の美-名品鑑賞 (3) 

 

 

写真6.「月下孤狼図」江戸後期


  写真(6)この鉄鍔の箱書きには「寒月荒陵之狼金銀彫刻」とある。会津正阿弥派の一柳斎正光の作かと思われる。鍔形は長丸で、鉄地はねっとりとした黒褐色、耳は丁寧に打ち返えされており、据紋象嵌(すえもんぞうがん)の月と銀狼、金芒の出来映えは申し分ない。小柄と笄の両櫃の形も良い。芒と月と狼の組み合わせは江戸時代の工芸品での定番である。小野蘭山の『本草綱目啓蒙』の狼(オホカミ)の項にも、「狼ハ深山ノ大木アル処ニ棲ミ芒萱類ノ雑草アル地ヲ経ス狼ノ腹皮薄ク若シ芒ニ触レバ傷損スト云フ」とある。生態学的な根拠はあまりないが、狼は芒野に現れるという通説があったようだ。狼、芒、岩などの形象を右に集中し、地の左半分はたっぷり余白をとって、俳句のような風景を切り出している。巧みな構図が、一枚の鍔の中に緊張と緩和を生み出している。正光には他に鉄磨地の丸形鍔「竹に猛虎図」などが知られている。 

 

 

                                    写真7. 「潜り龍鍔」江戸中期


  写真(7)昇龍は縁起が良いので図柄として鍔にもよく使われる。武張った肉厚な彫は薩摩鍔と思える。この鍔のように体の一部が砂や雲に隠れているものを「潜(もぐり)り龍」という。高彫で隠れている部分が鍔の反対側に彫られている。薩摩鍔にはこの構図のものが多い。無銘なので、作者ははっきりしないが、小田直弁の作かと思える。龍の図柄の作品は得てして陳腐になるが、これは品よく落ちいている。鉄地も手入れがよくいきとどいており、明珍鍔のように鍛えがよく錆はほとんどみられない。

 蘭亭コレクションには、他にも印象深い鍔が沢山あり、それぞれみごとな一つの世界を切り出している。鍔の鑑賞においては、形や彫金、象嵌などの細工を見るだけではなく、鉄地そのものを味わうことが大事である。良質な鋼(はがね)に仕上がったものは、鉄味良く黒褐色から黒紫色を帯びている。鍔には良い錆(黒錆)と悪い錆(赤錆)があり、悪い錆がでないよう手入れが必要である。赤錆は、水分の存在下での鉄の自然酸化によって生じるFe(OH)3 等の水酸化物粒子のざらざらした凝集塊で、下地の保護作用はなく腐食はいつまでも進行する。一方、緻密な黒錆の酸化物被膜ができれば、不動態と呼ばれる状態になり、腐食に対する保護層として機能する。車のよく通行する道路のマンホールの鉄蓋が、タイヤに磨かれてほれぼれするような黒紫色の錆色を呈していることがある。鉄鍔の場合は、ひたすら布で磨き上げられることによってそれが出ているのである。

 テレビの「なんでも鑑定団」では、刀剣はたまに出品されるが、鍔が登場することはめったにない。これは、刀の備品の一部という概念があって、単独の美術品として愛好する収集家が比較的少ないためである。しかし、上で述べたように優れた古鍔は、じっくり鑑賞すればまことに味わい深い。鍔は京都では新門前の古美術商の店頭に並べられていることもあるし、名品を所有する美術館が刀装具の特別展示で公開することもある。そのような機会をとらえて鑑賞の目を養っていただきたい。

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鍔の美ー名品鑑賞 (2)

2018年05月03日 | 文化

鍔の美-名品鑑賞  (2)



                                                   写真3.「菊花赤銅地鍔」室町時代

 

 写真(3) 美濃鍔の一枚である。美濃派は足利時代の後藤祐乗を祖としている。美濃鍔は厚い赤銅地に秋草文様を深彫りし、これに良質の金銀でほどよく象嵌をほどこしたものが多い。これの地肌は魚子地(ななこじ)になっており、技巧を尽くした高級鍔と言える。魚子地とは金属面に魚卵状に特殊な鑿(のみ)を連続的に打ちつけたもので、白鳳時代から装剣具に見られる意匠である。色よく錆びた赤銅地に金色の菊が品よく調和している。鍔は本来、武士の戦闘における防御用具であり頑丈さと刀身とのバランスが実用的に重視されていた。しかし戦国の世が終わり、刀が武士の装飾品となるにつれて鍔もこのような華美なものに変化していった。秋口になって床の間に飾りたくなる逸品である。

 

 

 

       

 

               写真4. 「信家鍔」安土桃山時代

  写真(4) これは信家木瓜と言われるやや縦長の丸形で、地には蔓草が浅く彫られている。このように信家の図柄は簡単なものが多く、植物や亀甲のほか、仏教的な文字が刻まれているものもある。地肌は多少凹凸のある槌目仕立上げで、焼きなましの手法が採用され、黒紫色をした締まりのある鉄地で櫃や茎穴のバランスも良い。華美な象嵌や彫刻をほどこさず、地味な作風でありながら、「鍔の王者」と言われるだけあって、さすがに風格がある。最近の説では、「信家」は二代にわたる鍔工で、初代信家は尾張で織田信長に、二代目信家は芸州広島で福島政則に、それぞれ仕えたとされている。二人の作品は銘の切り方の違いによって区別されているが、この太字銘の鍔はおそらく2代目のものであろう。信家の鍔はバブルの頃、相当の高値で取引されていた。最近はさすがに落ち着いてきたが、それでもかなりの値が付けられている。

 

 

 

             写真5.「桜霞図糸透し鍔」江戸中期

  写真(5)銘は武州住伊藤正富作とある。正富は伊藤正永の門人とされている。伊藤鍔は、やや小ぶりの厚い丸形で肉彫や肉彫地透しを得意とし、これに金を用いた象嵌などの特徴を持つ。この鍔では、桜の花を近景に雲や霞を遠景にとって、金象嵌をほどこした雲の間に遠近感をつけるために3本の細い糸透しを入れている。この鍔は、全体としては品よくまとまっているが、正富の若い頃の作なのか、銘の切り方はあまりうまくない。

 

 

 

          

 

         

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鍔の美-名品鑑賞 (1)

2018年05月02日 | 文化


鍔の美-名品鑑賞  (1)


  鍔は刀の防具であるが、風景や動物植物を図柄として、平面に一つの世界を切り出している。庵主は長年、鍔の鑑賞を趣味として多数の作品をみてきたが、ここでは蘭亭コレクションの中のいくつかの名品をシリーズで紹介したい。      


              図1. 鍔の各部の名称

 

 鍔を鑑賞するためには、各部の名称を記憶しておくことが肝要なので図1を参考にしていただきたい。まず鍔の外周部を「耳」という。これは鍔と外の世界を隔絶する境界で、その形の良し悪しが作品の評価を左右する。耳の形としては丸耳、角耳、打ち返し耳、土手耳などがある。鍔を扱う際には真っ先に指で耳に触れるので、その触感も大事である。名品は、接触面からおのずとその歴史が伝わってくる。さらに鍔の金属部分の実質が「地」である。大部分の鍔の地は鉄でできているが、銅、金、銅と銀の合金(四分一)、真鍮などが使われているものもある。地は、透かし、象嵌(ぞうがん)、彫金など様々に加工され、その出来栄えが重要とされる。鍔にはいくつか穴が開けられている。刀の茎(なかご)を通す茎(中心)穴である。これの上下には刀の動きを防ぐために責金(せきがね)がはめ込まれている。他に半月形の笄櫃(こうがいびつ)と州浜形の小柄櫃(こずかびつ)の穴がある。笄は髪を掻き揚げて髷を形作る装飾的な結髪用具である。良質な鍔はこれらの穴がバランス良く配置されている。茎穴の周囲の地の部分が切羽台で、古い鍔にはこの部分に切羽の跡が残っているが、明治以降に作られた新鍔には見当らないので鑑定の目安になる。 



 

              写真1.「桜花透し甲冑師鍔」鎌倉~南北朝時代

  写真(1)これは鎌倉時代から南北朝にかけて造られた甲冑師(かっちゅうし)鍔と呼ばれる古い鍔である。甲冑を作る金工が余技で製作したものと言われる。鍔は薄手で、耳をわずかに打ち返し、地には阿弥陀鑢(あみだやすり)をかけている。左に櫃穴が見られるが、後代(おそらく江戸期)になって開けられたものである。小透しの桜花をいくつか切ってある。甲冑師鍔では、桜以外に梅花、桔梗、蜻蛉などの文様を切ったものや、文字を刻んだものが見られる。透かしの技法はまだ稚拙で技巧らしい技巧のない作りは、強靭さを旨とした頃のものであるが、こういった素朴なデザインはむしろ現代の感覚に合っている。この鍔は時代が古く、表面に朽ちこみ(腐食跡)が見られるが、鉄の鍛えはまことに良い。


     

 

               写真2.「葡萄透し鍔」江戸中期

  写真(2)丸型鉄地の丁寧な透(すか)し鍔である。厚手の地肌を掘り下げて文様を高彫にする鋤出彫(すきだしぼり)によって、葡萄の房や葉が立体的に表現されている。日本の野生のノブドウは冷涼な気候を好み東北地方に多く、岩手ではこれでワインを醸造し販売している。ポリフェノールが多く独特の味がするといわれている。西日本の平地ではノブドウはあまり見かけないが、高地に生えている。この鍔は無銘で箱書きもないので、作者はわからないが江戸時代の正阿弥伝兵衛を頭とした秋田正阿弥派の作風によく似ている。筆者が最も愛好するコレクションの一つである(楽蜂)。

 

 

 

 

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