京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

鍔の美ー名品鑑賞 (2)

2018年05月03日 | 文化

鍔の美-名品鑑賞  (2)



                                                   写真3.「菊花赤銅地鍔」室町時代

 

 写真(3) 美濃鍔の一枚である。美濃派は足利時代の後藤祐乗を祖としている。美濃鍔は厚い赤銅地に秋草文様を深彫りし、これに良質の金銀でほどよく象嵌をほどこしたものが多い。これの地肌は魚子地(ななこじ)になっており、技巧を尽くした高級鍔と言える。魚子地とは金属面に魚卵状に特殊な鑿(のみ)を連続的に打ちつけたもので、白鳳時代から装剣具に見られる意匠である。色よく錆びた赤銅地に金色の菊が品よく調和している。鍔は本来、武士の戦闘における防御用具であり頑丈さと刀身とのバランスが実用的に重視されていた。しかし戦国の世が終わり、刀が武士の装飾品となるにつれて鍔もこのような華美なものに変化していった。秋口になって床の間に飾りたくなる逸品である。

 

 

 

       

 

               写真4. 「信家鍔」安土桃山時代

  写真(4) これは信家木瓜と言われるやや縦長の丸形で、地には蔓草が浅く彫られている。このように信家の図柄は簡単なものが多く、植物や亀甲のほか、仏教的な文字が刻まれているものもある。地肌は多少凹凸のある槌目仕立上げで、焼きなましの手法が採用され、黒紫色をした締まりのある鉄地で櫃や茎穴のバランスも良い。華美な象嵌や彫刻をほどこさず、地味な作風でありながら、「鍔の王者」と言われるだけあって、さすがに風格がある。最近の説では、「信家」は二代にわたる鍔工で、初代信家は尾張で織田信長に、二代目信家は芸州広島で福島政則に、それぞれ仕えたとされている。二人の作品は銘の切り方の違いによって区別されているが、この太字銘の鍔はおそらく2代目のものであろう。信家の鍔はバブルの頃、相当の高値で取引されていた。最近はさすがに落ち着いてきたが、それでもかなりの値が付けられている。

 

 

 

             写真5.「桜霞図糸透し鍔」江戸中期

  写真(5)銘は武州住伊藤正富作とある。正富は伊藤正永の門人とされている。伊藤鍔は、やや小ぶりの厚い丸形で肉彫や肉彫地透しを得意とし、これに金を用いた象嵌などの特徴を持つ。この鍔では、桜の花を近景に雲や霞を遠景にとって、金象嵌をほどこした雲の間に遠近感をつけるために3本の細い糸透しを入れている。この鍔は、全体としては品よくまとまっているが、正富の若い頃の作なのか、銘の切り方はあまりうまくない。

 

 

 

          

 

         


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