goo blog サービス終了のお知らせ 

日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

自分が大事!

2015-05-21 15:26:04 | 発達応援
 家でじっとしていると、肌寒くさえあるのに、
外に一歩出ると、とても暑く日傘をさして出歩いています。

 動くと暑いので、小学生は運動帽と半袖で気持ち良さそうに下校しています。
しかし、高校生は規則で衣替えがまだなのか、
日の光を大いに吸収するであろう、黒や紺の制服に長袖。
帽子などかぶるはずもなく、見ているこっちが暑苦しくて倒れそうな格好です。

 制服であっても、気温の感じ方は人それぞれ。
暑いと思ったら半袖きて、寒いと思ったら長袖でもブレザーでも羽織れる。
大昔から学校って、そういう自由度ないですね。
その硬直性が不思議だわ。

 「私って、必要?居ないと困る?」
そんなこと聞くのは、小学生か中学生の子どもの話しと思っていました。

 ところが、還暦前の方が自分の必要性の確認をしてくる。
いや、年など関係ないのかもしれませんね。

 学校で子どもたちがそういう話しをしてくるときには、
ちっともそういうことは思わなかったのですが、(自己比)
でも、私はそういうことをいう大人の相手をするのが煩わしい、面倒くさい、
はっきりいって、大嫌いなんだ、ということがよくわかりました。

 60年近く生きてきて、そういうことを確認せずにはいられない、
大変な経験をしてきたのかもしれないし、自分を受け止めてくれる人との出会いを求めて、
彷徨い続けているのかもしれません。

 「気の毒だ。やさしい人なのに…」との見方もあるとは思いますが、
私は、どうも、その手のかまってちゃんが苦手、距離を置きたい、嫌いなんですね。

 じゃあ、自分が関わった子どもたちが、成人し、そう言うことを言ってきたらどうするか?
その子の育った1年間、多い子では3年間私もその子の育ちに関わっているのです。

 他人基準で、他人にとって必要な人ではなく、
自分が生きていること、働いていること、学んでいることが楽しい、
自分にとって、自分の人生は必要だわ!と思える人になって欲しいな、と思います。

 
 

 

眠気。

2015-05-20 21:26:07 | 日記
 風薫る…。
そんな言葉がふさわしい一日でした。

 居間に敷いていたラグを取り払いました。

もう夏はそこまできているし、夏準備だわ、という思いと、
週のどこかで、気ままに尿テロを繰り返す梅ちゃんとの抗争に敗れた感もあります。



 なぜだか、水鉢の縁に手をかけて水を飲む梅ちゃん。

 そんな梅ちゃんも家にきたばかりの頃は、猫風邪やらなんやらで、こんなふうでした。



 よく育ちました。

 さて、今日は梅ちゃんの尿テロカーペットを洗い、居間の掃除をしました。
途中、買い物に行ったり、夕飯の準備をしたりで、
時間は細切れになってしまいます。

 ふと、何かだけしていれば良かったのは、高校生までだったのだなぁ~と、思い、
ちょっとびっくりしました。

 高校生までは、多少、家の手伝いもしますが、
ほとんどの時間を自分のために使っていました。

 大学生のときも、ほぼそうでしたが、
少しバイトをしたりすることもあり、自分の時間とアルバイトの時間ということを、
頭に入れながら行動していたと思います。

 どうして、そんなことを考えていたかというと、
一日中、何も省みず家の掃除をすれば、少しはこの居間も綺麗ななるよなぁ…。と考えたからです。

 夕飯も買い物も行かず、ただただ、掃除に没頭する。
でも、それでは、ひとつことしかできない融通の利かなさを育むだけでつまらない感じもしますね。

 移動疲れか涼しさと暑さの狭間で体がバランスを取ろうとしているのか。
眠くて、気がつけば夢の中。

 もうろうとしつつ、パソコンを閉じようと思います。

 

漢∞蘭アロマ三歩目。

2015-05-19 18:02:03 | アロマテラピー
 セミナーなどに参加するため、あちこち行く時には、
時間があればできるだけセミナーが開かれる教室まで、歩くようにしています。
そうすると、少しずつ頭の中にその街の地図ができてきます。

 ただ、私の地図は徒歩用なので車で道案内となると、
頭の中の地図は一方通行も御構い無しだし、路地が好きだし、
おまけに移動のスピードが違うので、あまり役に立ちません。

 今日は天神の街をてくてく。
店の開いていない早朝でお財布に優しい散歩になりました。

 今日は入門から4ヶ月続いた「漢∞蘭アロマはじめの三歩」最終日でした。

 学んでみて思ったことは、東洋医学の考え方というものは、
足が痛いから足をどうにかしましょう、頭が痛いからその痛さを取り去りましょうに留まらない、
体のことから心のことをのぞいてみたり、
その心で思うことの根本はどこからくるのかと、現実の生活を見つめてみたり。

 また、昨日は何を食べたか、近頃、食べるものに傾向はないか、
考えがぐるぐる回って出口がなくなってやしないか、
舌の色は、形は、声の高さは、夢を見る?????などなど。


 結局のところ、ひとつの症状から、
自分自身で日頃の自分や体や心や生活、仕事と色々なことと向き合う時間になっていくところが、
おもしろいし、深いし、醍醐味だなぁと思うことでした。

 大昔から、脈々と伝えられている知恵は、
いつになっても古くさくなることなく、とても幅広く用いることができるのですね。

 たったの三歩ではあるけれど、
歩みだしたことには変わりありません。

 ひとりで四歩目を踏み出すのは、
勇気もいりますが、迷いつつ、遠回りもしながら、
湧き出る泉のような漢∞蘭アロマの可能性を自分なりに探っていこうと思います。

  揺れるバスの中で書くことが難しかったので、5月21日に加筆、修正しました。

学校と算数(数学)。

2015-05-18 13:30:47 | 発達応援
 雨のおかげで、昨日の灰が流されました。
ありがたい、恵みの雨です。

 一時期、300円近かったキャベツが、
今日は150円で買うことができました。

 農作物には雨も必要でしょうし、お天道様も必要だと思います。
雨だったり、晴れたり、季節なりの良いふうになるといいですね。

 先週(もう、先週!)行った、算数の教え方教室でやったことを、
ちょっと復習してみました。

 お客さんのウサギがいます。



おにぎりをスーパーで買ってくるとしたら?



さぁ、この中から、何個いるかな?

    

じゃあ、同じ数でもウサギを隠してしまったら?

…こういうことの繰り返しや、色々なパターンですることで、
量としての数を子どもは学んでいくということを算数教室で学びました。

 今まで、学校で、特に中学校に入ってからも加法や減法でつまずいていた子たちは、
結局のところ、量としての数の概念が頭に入っていなかったということを今更ながら知りました。

 量としての数の概念が頭に入っていないから、
平気で当てずっぽうをし、こちらから見るとありえない答えを書いていた彼ら、彼女ら。
たとえば、16+35=41だったり、83-46=43だったり。
よーーーく、見て分析すると、彼ら彼女らが符号を見ていなかったり、
計算の順序を突如、無視したんだなぁ~ということに思い当たるのですが、
こういうことが、1時間の授業で突如として起こったり、
授業では問題なかったのに、宿題では全滅だったりしていたので、
こちらとしては、「ふざくんな、コラァッ!」という気持ちになっていました。

 申し訳なかったなぁ~と思います。
きっと、授業では緊張しながら、こちらの顔色をしっかり確かめ、
少しの目の動きも見逃さず間違えないように必死だったのだと思います。

 そして、基本的な数の概念が分からないまま、学年を進み、
気がつけば、高校入試、希望は、普通高校。
本人も焦り、教える側も焦り、果たして、数学はともかく、暗記暗記暗記です。

 上に書いたような計算がままならないのですから、
-3+6や6-9…などという、基本の数学の問題もできていますように!と祈るしかありません。

 でも、希望の高校に合格してくれたら、良かったね!おめでとう!3年間がんばるんだよ!
といって晴れやかに卒業していき、先々大丈夫かなぁと思いながらも、こちらも、ほっとするのです。
 
 こうやって考えると彼や彼女らは、
一体どこで、量としての数をきちんと分かって、
ドキドキと人の顔色を見ないで計算ができるのでしょうね。

 色々な経験を積んで、年齢が上がって数の概念が身に付いていっているといいなぁと願うばかりです。

 学校の中では、算数や数学の計算は、
とにかく、繰り返す!何度もやる!が鉄則です。
量としての数で引っかかっているなんて、小学校の1,2年生ならともかく、
それ以外の学年、中学校ではそんなこと思いもしていません。

 数を数えたり、給食のクラス分の人数の準備もできるのに、
そんなことありえない!考え過ぎ!甘やかし過ぎ!
反復練習すれば、どうにかなるし、
ならないのは本人のやる気が足りないのと、努力不足!と思われる…。
「数、量、そういうことがきちんとわかっていないんですよ!そこからがんばりましょう!」
そう言われることは残念ですが、あまりないと思われます。
普通のクラスにいるグレーゾーンの子どもたちはなおさらです。

 大半の子どもさんが難なくクリアしていく部分に、
いちいちつまずく子どもに「なんでぇ?」と思うかもしれませんが、
数を獲得していない子どもさんには、
1も3もも一緒かもしれないということを忘れずに、しっかり、数を教えていく。
それはは家族の方や私のように縁あって関わったものの役目だと思います。
がんばりまひょ

 






ああだこうだの必要性。

2015-05-17 17:41:39 | 発達応援
 よい天気、よい風。
そして、気がつけば家の中はざらざら…というのが、
鹿児島ならではでしょうか。

 ざらざらの原因は、桜島の灰です。
これが嫌で、風がさわやかな季節も窓を閉め切って、
エアコンで過ごす方も多いようです。

 私も降灰が及ぶ地域に住むまでは、
「あ~!灰の降るとこなんか住めんわ!」と強く思っていましたが、
慣れとは恐ろしいもので、毎日、窓も開けているし、
多少のざらつきは無視しています。

 でも、テーブル拭くと灰で布巾が黒くなるのは、
毎回、わお!と思いますがね。

 ちょっと、本を読みながら、
発達支援が必要な子どもが、
「どうして、今そういうことをするのか」ということについて、
自分なりでもよいので仮説を立てていくことの大切さを感じています。

 勉強でも行動でもそうですが、
発達に凸凹がある子どもたちは、凸凹がない子どもたちがしないようなことをすることがあります。

 そのことを、同世代の子どもより遅れているとか、できないと比べてもあまり意味がないことです。
子どもの非現実的と思われる、考え方をする根本の部分には、その子のどういう思考回路があるのかや
こちらから見ると非効率的だったり、嫌な印象を受ける行動が何を補うために行われているのかを
こうだから?ああだから?と仮説を立てて考えてみなくては、
ただただ、「だめよ~、だめだめ」と阻止するだけになってしまい、
お互い、ストレスになってしまいます。

 この仮説の部分も、柔軟に「こうじゃなかった、じゃあ、こう?」と、
自分の固定した考え方をポンポン捨てていくくらいでなければ、
対応できないのかなぁ、と思います。

 こうは書くものの、私の頭にもびっちりコケがこびりついているので、
「なんでじゃ~!」と頭の中はでいっぱいになるのですがね…。