日々、あんのん。

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君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜④

2020-06-25 16:53:00 | 本の紹介
続きです。


卯月さんのお子さんが週一回話をしていた学校でのカウンセリング。

このカウンセリングは、養護教諭に勧められて、お子さんが親御さんにも「どうしようか?」と相談し、「好きにしたらいいよ」という流れで始まったものでした。

私はここに、卯月さんの推察の通り担任の先生から養護教諭に言ってもらったのでは、というルートと別に、カウンセリングに行く人がおらず、暇を持て余しているカウンセラーの「仕事してます」のアリバイ工作にお子さんが使われたのでは、ということも考えました。

そんなことを思ったのは、学校勤めをしていたときに「心の相談員」だ「スクールカウンセラー」だと派遣されて来ると、上から「相談する生徒、保護者でもいいので名前をあげてください」と言われることがあったからです。

例えば、ある心の相談員の方は、学校を定年退職されたかなりの年配の方で、月に1回だか2回だか来られていました。

来られると、職員室の席で読書。相談が来たら出動だったのでしょうか。

しかし、月に数度、職員室にこもっている年配の方に、どうして子どもたちが「話を聞いて!」と思うでしょうか。

子どもたちが相談がてら話に来たとき「今度、そのこと『心の相談』の先生に話してみたら?」と聞いても「誰、それ?」で終わりでしたが、当然でしょう。

その方は、いらっしゃっては読書し、席を温め、時間になると校長か教頭に挨拶をして帰られていました。

県から派遣されて来る「スクールカウンセラー」の場合は、ほとんど「ローラー作戦」的に生徒指導や保健室に行くことが多い子の名簿が作られ、親御さんに「カウンセリング受諾書」のようなもので許可を取り、ほぼ「動員」のようなヘンテコな感じでした。

それでも、良いカウンセラーの方で、親御さんや生徒が「また話したい」となることもありました。

ところが県の規定だったのか、一年ごとに変わるカウンセラーの方とまた一から話したり、相性が合わなかったりで、うまくいった!ということはあったのかどうか、私の記憶ではありません。

こんな制度、学校や市町村、県の「子どもの心に寄り添ってます」の既成事実作りの事業なのだろうな、と私は斜な見方をしていました。そして、卯月さんのお子さんの学校もやってます」的にカウンセラーを置いていたのかな、と思ったのです。

さて、もしも、そういうアリバイ作りきっかけで始まったカウンセリングだったとしたら、一度始めると、自ら「もうこの人とは話さなくてもいい」とは言い出さないお子さんは、カウンセラーにとっては「仕事してます」という存在意義を示せる、とてもありがたい存在だったのではないか思いました。(これは私の捻くれた見方かもしれません)

ところで、このカウンセラーの「私は彼と会うのをいつも楽しみにしていました。とてもステキな子なんです。内面が豊かで非常に頭がよく、繊細で傷つき易いんです。」という言に、心理系、精神科医などにいる「自閉っ子大好き」とただ萌えているだけの残念なカウンセラーだったのではないかと思いました。

そうでなければ、なぜもっと「大学に行ったら大変かも」という思いをもっと親御さんに伝えなかったのでしょう。

週一でカウンセリングをしながら、何一つ親御さんに報告なしで、卒業のとき卯月さんが会いに行って初めて印象を語るカウンセラー。

仮にお子さんにとって、週一のほっとする居場所だったとしても、カウンセラーはその話の中から、彼の危うさをキャッチして、親御さんに繋ぎ、対処する方策を考えるのが仕事だったのではないか、と仕事放棄のカウンセラーに呆れてしまいました。

更に、病院で治療をしていると勘違いをして、余計な口出しをしなかった、というくだりは、嘘かどうかはわかりませんが、たぶん、よくあることなのではないかと思いました。

それは、大学病院などに行っているお子さんが、別にカウンセリングも受けている場合などに出くわした、私の経験からで、心理系のカウンセラーの方は、驚くほど「お医者さん」に気を遣われるのだなぁという印象があるからです。

例えば、私は自分の教室に来たお子さんについては、自分が触れ合っての印象やできなくて困っていることをできるようになるための提案を親御さんにお伝えします。大学病院行って指導されてることや療育、カウンセラーの方がどう言われているかはわかりませんが、自分が見たことを元にお伝えしています。

それで、親御さんが大学病院の先生に薬のことや先々のことも相談したいけれど、と話されることがありました。

私よりも頻繁に会い、子どもの発達、発育などの専門で、そういうことを標榜して仕事をしているカウンセラーさんに意見聞かれたら?と言うと、「その先生は、そう言うことについてはお医者さんにかかっていることだから、とあまりお話されない」というようなことを言わたことがありました。

数ヶ月に一度医者より、ずっと身近に見ているだろうに、なんだろう、変なの、と思い、あくまで私が会った日からでの印象ですよ、と意見をお伝えしたことがありました。

そんなことから、病院、医者周辺の近接する仕事では、自分の専門に誇りを持たず、かと言って勉強もせずヒエラルキーに勝手に平伏すような、卑屈な専門家も数多いるのだろうなぁと思うのです。

そして、運悪く、卯月さんのお子さんが関わったカウンセラーは、己も発達障害系だと自負し、アスペルガーの活動に力を入れる、やはり自分を癒すことが精一杯の人だったのだと思います。

その上、「私、全然悲しくないんですよ、彼は私の中に生きています」だの「彼は私と会えて良かったと思いますよ」だの言う、人でなしでした。

自分ではない人の気持ちを完璧に、間違いなく理解することはできないでしょう。

でも、お子さんを亡くした親御さんに、しかも、その子が死なない道を選ぶ手伝いができたかもしれない、そんな分岐点で道案内ができたであろう人の口から出た言葉とは、とても思えませんでした。

こうやって、学校編の先生や凡医や凡カウンセラーについて感想を書きながら、思ったのは、結局、そういう仕事をしている人たちにとって、関わるお子さんはそれぞれの日常で邂逅する登場人物の一人でしかなかったのかもしれないということです。

それは、私にしろ、誰だって自分の人生を進み、そこで出会う人の人生までも背負っていくことはできません。

だけど、少なくとも、人と出会い、関わりが多くなったり、深くなれば、どうにかならないか、何か自分で役に立てることはないかと、思うものではないでしょうか。

卯月さんが出会った人たちが、もっと人としての温度を持ち、自分の仕事を通して誰かの人生の役に立つことに誇りを持ち、せめて、学校にいる間だけでも子どもたちに赤心を持って関わる人たちだったら良かったのに、と思わずにはいられませんでした。



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