今日もよい天気です。
朝は窓を全開にするのですが、寒くて上着を羽織りました。
時々、「うちの子、鏡文字書くのよねぇ~」とか「忘れ物が多くて困る」とか
「ノートになんてかいてあるかわからない」など等、親御さんの嘆きを聞くことがあります。
そうか、それは嘆かわしいことだ…、とうなづきつつ、
「私も鏡文字書いてたし、忘れ物が多くて持ってきてもらったことも一度ならず何度もあったし、
字の汚さは、祖母が手紙はうれしいけど、なんて書いてあるのかねぇ~と言っていたくらいだ」と
話すとびっくりされます。
まぁ、だいたい、みんなそんなもんだろう、とこちらも思っているので、
私の方もびっくりします。
近頃、思うのは、どうやら私は相当のわからんちんであったんだなぁ~ということです。
よく、特に劣等感も卑屈にもならず、どちらかというと呑気に育ったものだと思います。
例えば、算数で
「池の中にカエル3匹います。葉っぱの上のカエルが2匹飛び込みました。
池の中のカエルは何匹ですか」
のような問題が出ると、
「他のカエルがきたら、池のカエルはどこか行くかも。」とか「飛び込んでもすぐどこかいくかも。」とか
頭の中は、算数とは遠いところへ出かけて、そこで「どうしたもんか。」と悩んでいるような子どもでした。
もちろん、単位の勉強も1㎝=10㎜にはじまって、つまずきまくりました。
さらに、国語でも「反対の言葉を書きましょう」で見事に
「大きい⇔大きくない」「長い⇔長くない」のよくあるワザをやってのけました。
一応、国語で教員免許持っております。
だから、テストも散々だったと思うのですが、
父は「次に同じような問題が出たら、気をつけなさい。」といい、
母も一緒に間違い直しに付合ってくれて、「できんもんじゃ!」と言いながらも、
「とった点数にあれこれ言っても仕方ないから、次はがんばいやん。」と
まぁ、あっさりしたものでした。
父は、私が小学生のとき、学年があがるたびに
「二年生になったら、一年生であんなに苦労してたのが、すぅ~っとわかってるから、
あんたの力は、一年遅れなんだが。今のも来年にはわかるから、まぁ、心配しなさんな。」
と言っていたので、私も、
「来年にはわかってるから、まぁ、いいか。」とその言葉を鵜呑みにしていました。
そんな言葉を、毎年毎年言われていた記憶があるくらいだから、
父はわからんちんの娘をそれなりに心配して、休みを使って復習を一緒にしてくれていたのでしょうね。
なぜか、そういう復習に勤しんでいる記憶は全くないのですが…。
そんなふうなので、わからんちんも無事、すくすくと中年を迎えられたのだと思います。
朝は窓を全開にするのですが、寒くて上着を羽織りました。
時々、「うちの子、鏡文字書くのよねぇ~」とか「忘れ物が多くて困る」とか
「ノートになんてかいてあるかわからない」など等、親御さんの嘆きを聞くことがあります。
そうか、それは嘆かわしいことだ…、とうなづきつつ、
「私も鏡文字書いてたし、忘れ物が多くて持ってきてもらったことも一度ならず何度もあったし、
字の汚さは、祖母が手紙はうれしいけど、なんて書いてあるのかねぇ~と言っていたくらいだ」と
話すとびっくりされます。
まぁ、だいたい、みんなそんなもんだろう、とこちらも思っているので、
私の方もびっくりします。
近頃、思うのは、どうやら私は相当のわからんちんであったんだなぁ~ということです。
よく、特に劣等感も卑屈にもならず、どちらかというと呑気に育ったものだと思います。
例えば、算数で
「池の中にカエル3匹います。葉っぱの上のカエルが2匹飛び込みました。
池の中のカエルは何匹ですか」
のような問題が出ると、
「他のカエルがきたら、池のカエルはどこか行くかも。」とか「飛び込んでもすぐどこかいくかも。」とか
頭の中は、算数とは遠いところへ出かけて、そこで「どうしたもんか。」と悩んでいるような子どもでした。
もちろん、単位の勉強も1㎝=10㎜にはじまって、つまずきまくりました。
さらに、国語でも「反対の言葉を書きましょう」で見事に
「大きい⇔大きくない」「長い⇔長くない」のよくあるワザをやってのけました。
一応、国語で教員免許持っております。
だから、テストも散々だったと思うのですが、
父は「次に同じような問題が出たら、気をつけなさい。」といい、
母も一緒に間違い直しに付合ってくれて、「できんもんじゃ!」と言いながらも、
「とった点数にあれこれ言っても仕方ないから、次はがんばいやん。」と
まぁ、あっさりしたものでした。
父は、私が小学生のとき、学年があがるたびに
「二年生になったら、一年生であんなに苦労してたのが、すぅ~っとわかってるから、
あんたの力は、一年遅れなんだが。今のも来年にはわかるから、まぁ、心配しなさんな。」
と言っていたので、私も、
「来年にはわかってるから、まぁ、いいか。」とその言葉を鵜呑みにしていました。
そんな言葉を、毎年毎年言われていた記憶があるくらいだから、
父はわからんちんの娘をそれなりに心配して、休みを使って復習を一緒にしてくれていたのでしょうね。
なぜか、そういう復習に勤しんでいる記憶は全くないのですが…。
そんなふうなので、わからんちんも無事、すくすくと中年を迎えられたのだと思います。