師走らしい寒さと年末にW母を迎えるべく、部屋がごった返しています。
今月は、元農水省の事務次官の方がご自身のお子さんを殺めたことの裁判のニュースが流れ、それに関するSNSも流れてきて読まない日はない日々でした。
ニュースの中では、そのお子さんが発達障害だったということに触れられていて、「なんらかの支援につながっていれば」「専門家に相談していれば」と判で押したようなコメントで締め括られているのを聴き、また、ネット上でも「専門家、支援必須」のような通常モードのコメントをたくさん見た感じがしました。
読みながら、その繋がる先として期待されている支援者や専門家は、苛烈な容態を呈している家族の中に入り込み、何かが動くきっかけを作るほどの覚悟があるのかなぁ、と思わずにはいられませんでした。
そして、過ぎ去った他人事は忘れがちなのは人の習い。私もそんなひとりですが、こんな記事がシェアされていて目に触れました。
この記事を読みながら、今でも繰り返される「どこかに繋がっていれば」的な世の中の精神医療、支援への牧歌的とも言える信頼に白けた気持ちを持ちつつ、医療と関わっていたら今回の事件は起きずに済んだのにと言えるほど、23年前と今とでは精神科クリニックの対応は違い、この親子を救う手立てがあったのだろうか?と思わずにはいられませんでした。
普段は多くの「専門家」を名乗る専門家先生方がうようよいらっしゃるSNSの世界のようなのだが、世の中で絶大な(?)信頼を寄せられている精神科医療界からも支援団体からも「この事件で不安を感じる人、家族はうちにお出でなさい!とりあえず、いらっしゃい!」と手をあげる人は見かけない。
私自身、こうやって年年歳歳煮詰まっていく家族に何ができるだろう、と考えたけれど首をひねって、目をつぶっても頭の中でかける言葉は何も浮かびませんでした。
ただ、ひとつ、「どんな身体の状態だっただろうか」ということだけ思い、先走り暴走する頭と緊張が高まる身体を緩めて、身体の感覚を取り戻す、ということが知られていたら…と思わずにはいられませんでした。
そして、自分のお子さんを加害者にも被害者にもしないために、この本を読んでもらいたい、と思いました。
不幸な事件をなくすには、精神科医や支援者に繋がることではなく、お家でできる身体からのアプローチではないかな、と思う
今日この頃です。