先日、養生の勉強会でおせちを作りました。
その中で、飾り巻き寿司を作りをしたのですが、
レシピの指示通りパーツを作るものの出来上がるまで、
全体がイメージできず?がいっぱいでした。
今日も仕事で、4つの山からなるナンバーが混じった荷物を
4つの山はそのままで2つに分けるのに、途中で間違えてわたわた。
こちらも、部分に分けるのに?がいっぱい。
部分と全体、全体と部分、フォイヤーシュタインでもありますが
苦手を再認識の今日この頃です。
時々、指示を受けるのが大嫌いな子どもがいます。
そうかと思えば、指示なしでは一歩も動けない子もいます。
なんだか、正反対の子どものように感じますが、
実は、どちらも色々とできないことが多くて、
失敗をするのが怖い、嫌だ、と思っていて、
両者の根っこは同じ気がします。
指示を受けることが嫌いな子どもは、
できないので、先生や友だちのいうことを聞いてやろうとしても、
そもそも言っている意味が分からなかったり、
自分では言われた通りにやっているつもりなのに、
「できていない!」と指摘され、
「言われた通りやってるのに!」との悔しさが募って、
「もう、言われたってやるもんか!」と思っている場合があるように思います。
この場合、本人の理解できる教え方か?という教える側の反省と
本人の言われた通りやっているつもりの部分を
そのやり方では正解に辿り着かない、ということもちゃんと教える必要があると思います。
指示なしでは動けない子どもには、
易しいことからでいいので自分で考えた方法で、正解に辿り着く体験をすること。
そういう体験の積み重ねが、自分で考える習慣を身につける一歩かなぁ~と思います。
わからないこと、できないことは悪いことでも隠すことでもない、ということが
小学1年生くらいの子どもの中では、当たり前の雰囲気ですが、
身近な大人の話を理解し、察知する力がつきはじめると、
できないという事象をとらえて、揶揄しだすように感じます。
できないことがある人を小馬鹿にするような子どもにしない。
ちょっと小馬鹿にされても受け流すくらいの強い子どもにする。
どちらも必要な力だと思います。
その中で、飾り巻き寿司を作りをしたのですが、
レシピの指示通りパーツを作るものの出来上がるまで、
全体がイメージできず?がいっぱいでした。
今日も仕事で、4つの山からなるナンバーが混じった荷物を
4つの山はそのままで2つに分けるのに、途中で間違えてわたわた。
こちらも、部分に分けるのに?がいっぱい。
部分と全体、全体と部分、フォイヤーシュタインでもありますが
苦手を再認識の今日この頃です。
時々、指示を受けるのが大嫌いな子どもがいます。
そうかと思えば、指示なしでは一歩も動けない子もいます。
なんだか、正反対の子どものように感じますが、
実は、どちらも色々とできないことが多くて、
失敗をするのが怖い、嫌だ、と思っていて、
両者の根っこは同じ気がします。
指示を受けることが嫌いな子どもは、
できないので、先生や友だちのいうことを聞いてやろうとしても、
そもそも言っている意味が分からなかったり、
自分では言われた通りにやっているつもりなのに、
「できていない!」と指摘され、
「言われた通りやってるのに!」との悔しさが募って、
「もう、言われたってやるもんか!」と思っている場合があるように思います。
この場合、本人の理解できる教え方か?という教える側の反省と
本人の言われた通りやっているつもりの部分を
そのやり方では正解に辿り着かない、ということもちゃんと教える必要があると思います。
指示なしでは動けない子どもには、
易しいことからでいいので自分で考えた方法で、正解に辿り着く体験をすること。
そういう体験の積み重ねが、自分で考える習慣を身につける一歩かなぁ~と思います。
わからないこと、できないことは悪いことでも隠すことでもない、ということが
小学1年生くらいの子どもの中では、当たり前の雰囲気ですが、
身近な大人の話を理解し、察知する力がつきはじめると、
できないという事象をとらえて、揶揄しだすように感じます。
できないことがある人を小馬鹿にするような子どもにしない。
ちょっと小馬鹿にされても受け流すくらいの強い子どもにする。
どちらも必要な力だと思います。