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日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

登園拒否。

2014-12-17 13:42:01 | 日記
 今朝、仕事からの帰り道、山々が白く薄化粧をしていました。
早朝の時雨が雪になったとニュースでいっていました。
その時雨を「雨だ~」と急いで職場に向かったのですが、雪になろうとは。
雪と知っていたら、バイク怖くて乗れなかったなぁ~と思い、
知らぬが仏の朝でした。

 車のない時代、遠く、山の上にあった団地から、
町中の幼稚園に、父か母かのどちらかとてくてく歩いて登園していました。

 親の記憶と私の記憶で一致しているのは、
朝はさっさと起きるし、ご飯もちゃっちゃと食べるし、
幼稚園の道すがらも楽しく、歌ったり、しゃべったりしていて、
幼稚園の前に来ると、しくしく泣きはじめて行き渋る状態だったということ。

 親の記憶と不一致な点は、
今でもものすごい坂と言われるその団地から、
よくまぁ、幼稚園生の足で歩いたもんだと言う、私の高い評価と
「タクシー、タクシーって、駄々をこねるから週の半分はタクシーだった!」
という親の話。

 私の両親は、
「ああ、この子は小学校にも行き渋るぞ~、大変だ」と思ったそうです。

 しかし、幼稚園は行ったが最後、どんなに泣いても
担任の先生に渡されるので、休んだことは病気以外ではなく、
入ってしまうと、遊んだり、歌ったり、楽しく過ごしていました。

 何が、そんなに悲しかったかと言うと、
幼稚園で父や母と別れるのが辛かったように思います。

 小さい頃、よく、
「ここでおかーさんと別れて、お母さんが交通事故に遭ったら一生会えない!」とか
「もし、おとーさんが鉄砲で撃たれたらどうしよう」とか
想像(妄想?)して、それが現実に起きたことのように、しくしく泣いている子でしたから、
毎朝、そういうネガティブ想像をしていたのです。
なんでって言われても、わかりません。

 もしかしたら、今生の別れとばかり、
毎朝繰り広げられる、私の妄想ワールドのことは知る由もがな。
不思議ですね。

 それにしても、まわりに同じ幼稚園に通う同年代の子どもが居らず、
送迎のバスもない幼稚園だったので、両親のどちらかが、
毎朝一緒に幼稚園まで付き添ってくれていたというのは、
すごいことのような気がします。

 母が専業主婦であったからしてもらえたこと。
父も仕事場の途中にあった幼稚園とはいえ、
朝が弱く、いつもギリギリで通勤していた姿を思い出すと、
朝から面倒な一仕事だったことと思います。
まぁ、かわいい(当時)娘のためにエーンヤコーラ!だったのでしょう。

 まったくもって、箱入り娘です