宇多田ヒカルと藤圭子。
「闇からの使者が光になる時。」
闇と光。
闇の世界と光の世界。
対立するような2つの世界。
藤圭子は「闇からの使者である。」という言葉を感応したのは、
彼女が自分の命を自分で消した時だった。
藤圭子が飛び降りた場所は新宿。
奇しくも彼女のデビュー曲は
『新宿の女』
私は思った。
「闇からの使者は闇に帰った。」と。
昭和40年代。
東京の一大歓楽街だった新宿は
女性が1人で行ってはいけないようなちょっと怖い街だった。
藤圭子がデビューした時も歌舞伎町が賑やかな時代。
夜の街。
夜の歓楽街。
夜の街は《闇の世界》に繋がりやすい。
男と女の執念や怨念が渦巻いている。
幼かった私は
藤圭子の美しい顔と、印象的な声、怨念のような歌詞がとても印象的に残っていた。
そして
「この人はこんなに綺麗なのに、どうして幸せそうじゃないのかなあ。
なんで成功したのに、いつもオドオドしてるんだろう?」
と思っていた。
時を経て数十年。
宇多田ヒカルが藤圭子の娘さんだと知り驚いた。
最初
闇が光を産んだのか?
闇は光を産みたかったのか?
と思った。
ヒカルは母親から「あんたは私の子供じゃない!」と何度も言われたそうだ。
望んで産んだけれど、光と共にあるのは、辛かったのか?
宇多田ヒカルの歌を聞けば聞くくほど、感じるのはヒカリではなく悲しみや孤独だった。
何故なのかなあ?
才能に恵まれ、若くして富も成しても喜びが無いのは?
家庭が複雑だったし、自分も離婚とかしたからなのかなあ?
と考えたりしていた。
最近
「マツコの知らない世界」に宇多田ヒカルが出演した。
彼女はInstagramに「落し物」の写真をアップしているそうだ。
『落し物
なんでこんな所にこんな物が?
落とされたモノ達が
気になって気になって仕方ない』
そして、その感覚は
コンサートをしている時の自分、
『なんで、私はここに居てライトを浴びて歌ってるんだろう⁉︎』
と思う気持ちに似ているのだ、と言う。
私は何故ここに落し物のように居るのだろう⁉︎
私は何故ここに『落とされた』のだろう⁉︎
ステージ
光の世界
そこに「落し物のように置かれている自分」を感じてしまうのだと言う。
彼女も母親と同じなのか⁉︎
光ではなく闇なのか?
闇から落とされた者が、
光の場所に落し物のように置かれている。
*ここからは私と主神様との問答。
私は神様にお伺いしてみる。
「闇からの使者は光にはなれないのですか?」
答えは
「成れず。」
私
「闇ではなく光になりたい!と願い、努力しても?」
答えは
「成れず。」
何故でしょうか?と私。
「決めたからだ。」と主。
「自分で決めたからだ。
ここに居る、こちらに成る、と自らの魂の所在地を闇と決めたからだ。」
私
「....魂の所在地は、いつ、決めましたか?」
主神様
「生まれ落ちる、その瞬間に
「どこに落ちるか?決めよ!』と申しておる。」
私
(どうやって何処に決める?その理由や動機はいつ、、、)
そう内心で考えていると
主神様から
「それは自らの欲する事。
神が決める事で無し。
選ぶ自由、決める自由与えし」
私
うーん。だから決めるための資料とか、、、素材とか、、、
主神様
「それも全て見せておる。
これが光、これが闇、これが善、これが悪。
全て見せておる。」
私
(見せてもらっても闇や悪を選ぶ人もいるんだなあ。何故なのかなあ。)
そう思っていると、また主神様から
「自分には大きな事など出来ぬ」とあきらめた者から闇を選び悪にはまる。それは自らを軽んじた証!」
‼️
そうか‼️自分を軽くみたり、大志を抱かないと闇系に傾くんだねっ
「大志を抱け!」とか「自分を大事にしなさい。」
ってこういう事から来てるのか?
そんな考えを巡らせてみた。
主神様のお言葉は
「自ずとわかりしか?」
私
「主神様のお導きのおかげでございます。ありがとうございます。」と御礼を申し上げた。
大事にしよう。
自分を大事にしよう。
なるべく光の方を向いていこう。
2人の歌姫。
今度は光に満ちた世界を望めますように。
そう祈らずにいられない。