大阪府南河内郡太子町山田 科長神社
由緒
創建の年代は不明だが延喜式第九に石川郡九座の一つ科長神社とでている。
神社正面の石鳥居には八社大明神と書かれた銅の額が揚げられており書体は鳩文字にて元録15年葉室大納言藤原頼孝の筆にて八社大明神と書かれている。これは当社が八柱の神々を祭っている事でこう呼ばれ八社宮と書かれた石灯籠も寄進されている。明治40年科長岡神社・素盞鳴神社を合祀して現在は十八柱の神々を祭る。
当地は神功皇后誕生地と伝えられ、社宝として神功皇后雛形の兜がある。
神社の後には八精水という霊水が湧きだしており、この水で当麻鍛冶が刀剣を鍛えたと伝えられている。
本殿築造不詳
彫刻師 不詳
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