今更ながら、彫物師相野一門に関する情報を募集します。!!(笑)
些細な情報やこれは、相野一門ではないか?と言う彫物情報コメントしてください。
地車・神社・寺院なんでもござれ♪
あのだんじりの彫物=相野違うの?はたまた、あそこの神社相野の銘あったなどなど
もちろん銘がなくてもOK
その他彫物師相野関連なんでもOKです。
相野研究家の方々?情報交換の場所にと考えます。
掲示板ではないですが、サイドメニュー「カテゴリー」に常に表示させていますのでぜひコメント書き込みお待ちしております。
自称相野研究家 小場あにき@川面東
2013.3.17 追記
カテゴリー変更にて常にトップにしました。
匿名・秘匿情報の場合は、下記までメールください。
kobakawamo@yahoo.co.jp
徳兵衛・木版本内容確認できました。
貴重な資料となると思います。
ありがとうございます。
引き続き情報ありましたらよろしくお願いします。
本文追記しておりますのでよかったらご確認ください。
情報ありがとうございます。
どうも幼少のころより机に座るのが苦手のようで、文献調査はからっきしです。
もっぱら現地調査派ですかね。
ぜひ確認させていただきます。
ありがとうございました。
今後とも情報交換よろしくお願いします。
『神社/仏閣 彫物画集 壱』のタイトルで、「浪速 彫物司 相野徳兵衛』とあります。嘉永4年以前の刊行らしい。
この全容は、麓和善著『日本建築古典叢書 9 近世建築書 絵様雛形』(大龍堂書店 1991年刊)に収録されています。
刻銘だけ取り上げるとあきらかに同一人物の彫物であっても刻銘の字体が違うものや、誤字もあるように思われるものけっこうありますね。
ちなみに二月堂手水屋彫物刻銘は正面向かって左右分は同じ字体で正面は違うような?
あまり字体意識していませんでしたが気をつけてみるようにします。
今後ともよろしくお願いします。
東大寺手水屋は、二月堂手水舎のことかと。
私も数回訪れております。
2度目訪問現場にて寄進者銘発見その刻銘並びに明治27年5月日(日にち前の数字なし)とありましたので、てっきり明治27年完成手水舎と思っておりました。
いずれにせよ最新は同じ場所の彫物ですね。
その彫物徳兵衛の刻印は少し疑問に思う点があります。
まず、今私が知っているかぎりは、蛙股裏面3箇所にありますが、正面向かって左右が崩し文字(江戸文字?)正面の良弁が鷲・・・の裏面銘板部分があり現代文字?となってます。あまり深い意味ないのかもしれませんが・・・・
年代違う彫物?とも思ったり。
それぞれ違う場所にあった彫物?と思ったり。
しょうもないことでもついつい疑問に思います(笑)
大神神社拝殿修理工事報告書確認させてもらいました。
拝殿と三ッ鳥居を仕切る瑞垣にある欄間彫物ですね。
当然現地にての実物を見ることはかないませんでした。報告書に画像掲載ありましたが、相野徳兵衛であるかの判断はできません。
もちろん可能性は大いにあると思われます。
明治16年は徳兵衛活躍時期と一致します。ただ私の確認した徳兵衛一番新しい年代明治27年彫物銘には徳平でなく徳兵衛と刻んでおります。
まあ、報告書が昭和35年調査報告でありますし、しかも框に墨書きとありますので報告書記載文字が必ずしも正しく記載されたかは、他内容を確認して数箇所誤りもあるようなので疑問ですね。
この墨書き再調査の必要ありですね。ただし現状態から考えると墨書きが消えずに残っているかもあやしく思います。
ありがとうございました。
また、情報ありましたらよろしくお願いします。
ありがとうございます。確認してみます。
徳平=徳兵衛・彫物確認できればある程度判断できるかもしれませんのでこちらも確認してみます。
大神神社の修理工事報告書を見聞してください。
相野情報ありがとうございます。
大神神社拝殿欄間知りませんでした。
徳平も初耳です。
大神神社は一度お参りさせていただきましたが、拝殿内部確認できませんでした。この欄間は、観ることが可能なのでしょうか?ご存知であれば教えてください。
これからも情報交換よろしくお願いします。
大神神社(桜井市三輪)拝殿欄間
明治16年12月
墨書:細工 大阪 相野徳平
修理工事報告書に所載あります。
今後ともよろしくお願いします。
ところでお名前(ニックネーム)よろしければご掲示お願いします。
それとも記入忘れ?
亀仙人は盧敖仙人(ろごう)と言うのですね。
滝をみる李白は、李白の名高い七言絶句、望廬山瀑布ですね。
勉強になります。
右は、盧敖仙人 でよいと思います。
左の不明分は「滝をみる李白」ではないかと思 います。
徳兵衛 得兵衛
二河原辺 五軒家
伊兵衛
中殿垣内 海老江東の町 二河原辺 上三ツ島 前島 日之出町 尊延寺
清七
中宮
伊造
竹之内
これぐらいですかね?
私が見ていない地車では、あと赤部