ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

プチ戦国紀行 ~有岡城~

2014年05月03日 20時16分34秒 | おまいり道中

先日、運転免許証の更新に伊丹阪神免許更新センターへ行ってきました。

JRに揺られて・・実際には、揺られる間もなく到着。

2時間の講習を終え目の前の有岡城探索

大河ドラマ「軍師官兵衛」

まさしく荒木村重謀反!!そろそろ

有岡城主・荒木村重

天正2年(1574年)には、伊丹氏に代わって伊丹城に入城。城の名前を有岡城と変えて、摂津国の支配を任される。
村重によって改修された有岡城は、侍屋敷、町屋を堀と土塁で囲んだ惣構え(そうがまえ)の城(東西0.8キロ、南北1.7キロ)とし、難攻不落の名城とうたわれる。
ポルトガルの宣教師のルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事なる城」と讃えられたほど。
村重は同6年に突如、信長に反乱を起こす。
信長の大軍に包囲された有岡城は10カ月間もちこたえましたが、翌年落城し、江戸時代には廃城となる。


外郭









史跡内













岸の砦

有岡城より北西猪名野神社境内
惣構えの北端を警固していた砦
信長による有岡城攻めの際、重臣渡辺勘大夫が守っていた。現在も土塁跡あり。






有岡城落城後も、尼崎、花隈両城に逃げ、信長に抵抗したが、ついに耐えきれずに毛利を頼って西国に落ちのびる。村重は剃髪して僧形になったが僧にすらなりきれず村重という名前を捨て、号して「道糞」道ばたの糞 自嘲的な村重の心境であった。のちに「道薫」と名を変え秀吉のお伽衆として茶の湯の道に生きる。

有岡城に1年もの間幽閉していた黒田官兵衛とも力を合わせて秀吉を仕えていた記録が残る。

官兵衛が有岡城に幽閉された時藤の花を見て生きる勇気を得たとされる。ゆかりの藤棚
今咲く時期なんですが・・・咲いてません。
姫路城より子孫樹を昨年末に植樹のようですのでまだですか?













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