虹の彼方に ~ over the rainbow ~

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Ash Wednesday (灰の水曜日) と 最近読んでいる本たち

2013-02-13 12:35:30 | books


今日は、2013年 2月13日の水曜日、 

灰の水曜日 です。

これから、40日間、 “ 神さまに心を向ける ” 日々を過ごします。


( 以下、 Paoline Laudate 女子パウロ会公式サイト 様、教会カレンダー より、抜粋させていただきました )


 典礼は、灰の水曜日から四旬節に入ります。

 イエスが宣教生活に入られる前に砂漠で40日間断食をされたことにならい、教会生活の伝統では断食、節制が行われてきました。

 ラテン語のクワドラジェジマ(Quadragesima:四旬節)の40という日数の象徴的原型は、まさにこのイエスの40日の体験にあるのです。40という数は、旧約の時代からすでに象徴的な意味をもっていましたが、キリスト者はキリストの断食と祈りに倣いたいという思いから自然にキリスト者の中におこってきたものです。

 キリスト教国でない日本では、四旬節のはじめである灰の水曜日と主の受難(聖金曜日)を、大斎(たいさい)・小斎(しょうさい)の日と定めています。
 大斎や小斎は、自分の心を神や人々にささげることのしるしです。四旬節にはことにその精神で生きたいものです。

 灰の水曜日ではじまる四旬節の40日間(日曜日は数えない)は、1年の典礼の頂点である復活祭を目指しての準備期間です。  四旬節は、

  洗礼の準備

  回心と罪の償い

という性格をもっています。

 教会は3世紀ごろから四旬節を洗礼準備の季節としてきました。この期間、洗礼志願者だけでなく、全教会の信徒たちが志願者たちのために祈り、また自分たちの洗礼の時を思い起こし、洗礼の約束を更新する準備をします。

 教会は、この期間を、なによりも主イエスの受難と死を思い起こし、救いの「時」の中心に向かって、回心と償いの期間として過ごします

 この期間に、教会は、私たちの心が本当にどこに向かっているのかを問いかけ、自己中心から神と人々に向かう「心の転換」(回心)を呼びかけています

 今日行われる「灰の式」は、「土から出て土に帰っていく私たちが、四旬節の努めに励み、罪のゆるしを受けて新しいいのちを得、復活されたおん子の姿にあやかることができるように」願って、昨年枝の主日に祝福していただいた、棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝を燃やした灰を司祭は一人ひとりの額にかける式も行われます。

 灰をうけた私たちは自分に頼るのではなく、回心を呼びかけておられる神に信頼して生きることができるように嘆願します。


( 以上、 Paoline Laudate 女子パウロ会公式サイト 様、教会カレンダー より、抜粋させていただきました )


今日、近くの教会に、初めてお電話をかけて、神父様に

「 おちびちゃんたちが、障がいをもっているので、毎週日曜日のミサを、見学させてもらうのは、少々、難しいこと、それでも、ゆくゆくは、洗礼を受けたい 」

ということなどを、お話しました。

平日の午前に、聖書の勉強会がある、とのことで、そちらにこられるように、とのお知らせを受けました。

震災があってから … ほんとうは、かねてから、呼ばれていたかのように、ふと、新約聖書 ( フランシスコ会の訳注付き改訂版 ) を読むようになって、

今は、 “ ガラテヤ人への手紙 ” のところまで読みました。

自分が大事だと思った箇所に、付箋を貼って、その言葉を書いたりしています

これからは、なにごともなく、無事に、勉強会に行けるといいなあと思っています


     

     マイ ・ ニューテスタメント。栞代わりに、去年の夏に庭で摘んだラベンダーの束をはさんでいるので、ページをめくると、ラベンダーの良い香りに包まれます。


     

     我が家の玄関にかけてある、たぶん、イタリアの聖母子画です。おととし、ちびすけが入院して、お見舞いの帰りに、
     東京の聖マリア大聖堂にお祈りに行ったときに、お守りとして、この絵のカードを買いました。




     

     もう、すでに、読んでしまった、須賀敦子さんの本たちです。再び、読んでいきたい本たち。
     未定稿のままの 『 アルザスの曲がりくねった道 』 、読んでみたかったです …
     今、須賀さんが、生きておられたら、どんな言葉を紡いでいるのでしょうか。




     

     今、読んでいる本たちです。ほとんどが中古で、だいぶ安く買いました。
     『 Tree 』 と 『 Forest 』 は、先日、長野県飯山市の 森の家 に行ったときに、ラウンジのライブラリーに置いてあったのを見つけて、すごく読みたかったけれど、
     ちびすけがいっしょだったので 、パラッとめくった程度で、帰ってきてしまい … 後でメモしておいて、探した中古本です。


フランクルの 『 夜と霧 』 ( 原題 : 「 心理学者、強制収容所を体験する 」 ) は、一週間くらいで、読みました。

気がついたら、夢中で読んでいましたね …  

歴史に学ばないと ( 特に、あまり学校では教わらない、現代史 ) 、わたしたちは、これから、未来を築いていけない、

と再び、思い知らされた、貴重な一冊です。




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