虹の彼方に ~ over the rainbow ~

好きな音楽、映画、本など、気ままに綴っているblogです♪ about the musics,films,books.

『 Coventry Carol 』 - The slaughter of the Innocents -

2011-12-23 13:47:24 | Irish / Classic musics


今年のクリスマスは、いつもと違って … 『 Coventry Carol 』 という、

16世紀頃に作られた、古いキャロルを、聴いてみたくなりました


今年起きた、東日本大震災で、お亡くなりになられた多くの方々への、

鎮魂の想いを込めて、歌い、祈りを捧げたいと思います。

そして、これから、起こるであろうことのために、子供たちのために、

ただ、ただ、祈りを捧げます …


『 Coventry Carol 』 が生まれた背景について 


このキャロルの題名は、イギリスのコベントリーという町にちなんでつけられました。

ヘロデ王が、子供たちを殺害した故事に関して、15世紀にコベントリーで式典が開かれました。

これは、それについての歌だそうです。

コヴェントリーは、英国の大都市バーミンガムを、東へ30キロほど行ったところにある、 ウェスト・ミッドランズ 州の市で、

15世紀の “ Coventry Pageant of the Shearmen and Tailors ” ( コヴェントリーの刈り込み人と仕立て屋の芝居 )

という劇の中で、このキャロルが歌われているそうです。

劇中では、ヘロデ王の軍隊が、ベツレヘムにやって来て、赤子の大虐殺を行うシーンの直前に、

ベツレヘムの女性たちが、このキャロルを歌います。クリスマスの厳かな響きの中に、暗い感情がただよっているのは、

ヘロデ王の残酷な悪行を、暗示するためでしょうか。


『 Coventry Carol 』 ( 作者不詳 ) は、キリストの幼いころの歌であり、生誕を祝うクリスマスの歌ではありません。

“ Lully, lullay, lully, lullay, ” というフレーズは、一度聞いたら、忘れることができないほど、心に深く残ります。

この言葉は、現在の英語ではほとんど話されていないそうですが、1400 ~ 1500年代には、

「 私は見た、私は見た ( I saw, I saw ) 」 という意味の俗語だったようです。


16世紀に、イギリスで作られたとされるこの曲は、

イエス ・ キリスト 誕生の影で、殺されていく子どもをもつ親たちのことを歌っているそうです。

『 Coventry Carol 』 は、過去の出来事を歌にした、伝統的な曲でありながら、

21世紀の今にあっても、なお、あたかも現実の出来事を、示しているように、

人々の共感をもって、歌い継がれてきたように思われてなりません



 この歌の内容について 


マギに出し抜かれたとわかったヘロデ王は怒り狂い、ベツレヘムに住む2歳以下のすべての男の子を殺すように命じた・・。

ああ、この日を忘れるものか。

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言いました。

「 ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。 」 と。

それを聞いて、ヘロデ王は、自分の地位を脅かすものとして、恐れ惑いました。さっそく、配下の祭司長、学者たちを集めると、

「 キリストはどこで生まれるのか 」

と問いただしました。

彼らは口々に言いました。

「 王よ。それは、ユダヤのベツレヘムです 」

「 なぜ、それがわかるのだ 」

「 預言者によって、こう書かれているからです。

『 ユダの地、ベツレヘムよ。汝はユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。

    わたしの民イスラエルを治める支配者が、汝から生まれ出るのだから。 』 」

それを聞いて、ますます恐れたヘロデ王は、ひそかに博士たちを呼ぶと、彼らから、星の出現の時間を突き止め、言葉巧みにこう言いました。

「 行って幼子のことを詳しく調べ、私に知らせてもらいたい。さっそく馳せ参じて拝みたいからな 」

その王の言葉を信じ、博士たちはベツレヘムに出発しました。

その時、東方で見た星が、また現れ、彼らを先導し、幼子のおられる所まで進むと、その上にとどまりました。

  博士たちは、それを見て、この上もなく喜びました。3人はその家に入り、母マリアとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝むと、

  宝の箱から、黄金・乳香・没薬 を出して捧げました。これが俗に言われる 「 東方の三賢人の礼拝 」 です。

博士たちは、夢で 「 ヘロデのところへ戻るな 」 という戒めを受け、別の道から、自分の国へ帰って行きました。

彼らが帰って行ったとき、主の使いが、夢で、ヨセフに現われて言いました。

「 さあ、立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。

    ヘロデが、この幼子を捜し出して、殺そうとしています 」

そこで、ヨセフは、夜のうちに幼子とその母を連れて、エジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいました。

  これは、主が預言者を通して、

「 わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した 」

と言われた事が、成就するためでした。

その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことを知り、怒り狂い、人をやって、

  ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を、ひとり残らず殺させてしまいます。

  その年令は、博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのです。

そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就しました。

「 ラマで、声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルが、その子らのために泣いている。

    ラケルは、慰められることを拒んだ。子らが、もういないからだ。」

ヘロデが死ぬと、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言いました。

「 立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子の命をつけねらっていた人たちは死にました。」

そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入りました。 




Coventry Carol - Westminster Cathedral Choir





Coventry Carol





Coventry Carol - Celtic Christmas





Loreena McKennitt - Coventry Carol





( 動画が消えていましたら、ごめんなさい




  The Coventry Carol


By , by , lully , lullay .

Lullay , thou little tiny Child ,

By , by , lully , lullay .


O sisters too , how may we do ,

For to preserve this day

This poor youngling for whom we do sing

By , by , lully , lullay .


Herod , the king , in his raging ,

Charged he hath this day

His men of might , in his own sight ,

All young children to slay .


Then , woe is me , poor Child for Thee !

And ever mourn and sigh

For thy parting neither say nor sing ,

By , by , lully , lullay .




     わたしの愛しい子よ、

     さようなら。


     姉妹たち、この日が終わらぬよう

     何ができるでしょう。

     わたしが歌いかけるこの子と

     いつまでも一緒にいるために。


     ヘロデ王は怒り狂って

     この日、申し渡した。

     「 兵たち、目にした

       幼子をすべて切り殺せ 」


     わたしは深く痛み苦しむ、

     あわれな子のために。

     いつまでも憂い嘆く、

     あなたとの別れを、

     話すことも歌うこともできずに。





     

               我が家の白い冬の植物たちの寄せ植え。




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for R.E.M. hello, thank you, goodbye, see you again...

2011-12-06 03:39:51 | R.E.M.


「 but all things must end, and we wanted to do it right, to do it our way. 」


2011年 9月21日、彼らの公式サイトで、マイケル ・ スタイプ は、こう語った。

そして、 R.E.M. は、解散することになった。

しばらくは、頭真っ白状態で、 「 えっ! なんでなんでー!? 」 って思っていたけれど、

最近になって、ようやく、心の整理ができた、というか、すべては、このマイケルの言葉にある、

と思うようになって、バンドに何が起こったのか? とか考えることが、もうどうでもよくなった。


わたしは、彼らは、きっと、おじいちゃんになっても、せっせとアルバム作って、

たま~に、ライヴ活動してくれるに違いない、と勝手に思っていたのね。

だから、なんか、ずっと、ピンと来なくてね、、、  

懐かしむ、というよりは、ある意味、彼らの曲を聴くのを、あえて、避けていたんだな。

だって、聴いていると、当時のいろんな思い出が、よみがえってきて … (涙) ヤバかったからね。

でも、大好きな曲 『 Find The River 』 は、どうしても聴きたくなって、

“ 彼らと、彼らのファンのみんなと、自分に ” 捧げるつもりで、聴いていた。




R.E.M. - Find The River ( Parallel Video Version )





もう、本当に、彼らが大好きだったし ( もちろん今も ) 、

たとえ、昔、どこかのバンドの誰かさん?に、

「 マイケルの歌声が、どうしても、ひつじの鳴き声に聴こえて、まともに聴けないんだ 」

とか、言われてたとしても、自分にとっては、めっちゃ優しい歌声に、聴こえたし、

すごい、彼の歌声に、癒されてたんだと思う、今、振り返ってみるとね。

もちろん、これからも。 

マイク ・ ミルズ とのハモりも、大好きだったし、

ピーター ・ バック のギターやマンドリンのアルペジオ、大好きだったな。

ビル ・ ベリー が、快復したときは、本当にうれしかった。今も元気に、釣りしてるのかな …


ブレイクする前に来日した、小さなライヴハウス ( MZA有明? ) と、ブレイクしてからの武道館2回の、

合わせて3回、ライブに行ったっけ。

新作の 『 Collapse Into Now 』 ( ラストアルバムになっちゃったんだね … (;_;) 

を聴いて、すごい良かったから、 「 今度、来日したら、絶対にライヴ行くぞー! 」 って、

思ってたんだよね、、、


なんで、こんなに、彼らの音楽を、好きになったんだろう …?

80年代当時は、日本では、確か、ヴィジュアル系バンドが、流行っていたな。

UK 、US とも、売れすじアーティストばっかり、 TV やラジオで流れてて、

たいていは、工場で大量生産されたような、パッとしない曲と歌詞で、

派手なルックスに、しつこいセクシーさ、大げさなパフォーマンスとかで、

すごい、うんざりしちゃってた。一発屋も、たくさんいたな。


そんなときに、 たまたま、渋谷 陽一 さんのラジオ番組を、聴いていて、

当時、85年にリリースされたばかりのアルバム 『 Fables of the Reconstruction 』

を紹介していたのを、聴いたのが、 R.E.M. との出会いだった。

なんか、変わった?バンドらしいけど、音がおもしろそう! って思って、

確か、その時、渋谷さんが 「 この人たちは、すごい。これは、すごいですよ。 」

とか言ってて、イチオシしてたんだよね。

それで、アルバム ( アナログ盤 ) 買ってみて、確かに、曲はおもしろいけど、歌詞カードついてなかったから、

何歌っているんだろう? って思って、聴きとることも難しかったから、

当時、英会話を習っていた、教会系の英語学校のアメリカ人先生 ( 30歳くらい? ) のところに、

ラジカセ持って行って、 R.E.M. の曲を聴かせてみたら、なんか、頭ひねって変な顔したのね。 

それで、 「 なまりがすごすぎて、聴きとれない ( 英語で ) 」 って … 

「 彼らは、アメリカ南部訛りがある ( 英語で ) 」 って言うから、確かに!

彼らは、ジョージア州出身です、って伝えると、

「 ( ははー、やっぱりね ) 」 みたいな顔された。

もちろん、このインディー ・ バンドを、アメリカ人先生は、知る由もなかった。


彼らは、当時、あらゆる面で、すごく、先進的な感じがしたし、

今までのバンドの価値観からは、程遠い、独創性を持っていて、

それでいて、そこらへんにいそうな、大学生の兄ちゃん風な、親しみやすさが、

メンバーの見た目も、キャラ的にもあって ( 笑 ) 、

そんなところが、なぜか、妙にカッコいいと思った。

そして、言うまでもなく、彼らは、素晴らしい曲たちを、生み出していた。


R.E.M. の “ 隠れた?名曲 ” といえば、わたしの場合は、アルバム 『 GREEN 』 に入っている、

『 The Wrong Child 』 という曲。

マイケル ・ スタイプ による詩とメロディ、

ピーター ・ バック 、マイク ・ ミルズ 、ビル ・ ベリー による、

マンドリン、ピアノ、すべてが、ものすごい美しい。

昔の ジェファーソン ・ エアプレイン を思い起こさせるような、

アコースティックな弦の響きが、ノスタルジーを誘う美しさがある。


「 There ' s no one left to take the lead
  
  But I tell you and you can see

  We ' re closer now than light years to go

  ( 先導する者は ひとりも残っていない

  だけど 僕が教えてあげるからわかるはず

  僕たちは今 光年よりもずっと近づいた ) 」



この 『 Find The River 』 の歌にあるように、あの頃の自分は、

ずっと、 R.E.M. の音楽に、導かれて、いつも、彼らとともに、ありました。

そして、これからも。


ほかにも、語りたいことは、山ほどあるけど …

そろそろ、 “ お暇するタイミングを間違えないように ” しないとね。  


終わりの はじまりの お語、 でした。






82年デビューリリースの5曲入り EP 『 Chronic Town 』 ( ガーゴイル?のジャケット ) から、87年リリース『 Dead Letter Office 』 、

『 DOCUMENT 』 まで、アナログ盤でした。現物は、押し入れ奥深くの段ボールの中にあると思う… たぶん。




REM - 7 Chinese Bros


( アルバム 『 reckoning 』 収録曲 )




R.E.M. - Fall On Me


“ What is it up in the air for long ? if is it so long ? It ' s over it ' s over me ”

( アルバム 『 Lifes Rich Pageant 』 収録曲 )




R.E.M. - Superman


( アルバム 『 Lifes Rich Pageant 』 収録曲。

「 “ガアァ~~~~オォ” 臨時ニュースを申し上げます!!東京湾にゴジラが出現!銃弾による攻撃も効果なし!ゴジラが渋谷方面に向かってー あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー!!!」 )




R.E.M. - The One I Love


( アルバム 『 DOCUMENT 』 収録曲 )




R.E.M. King of Birds


( アルバム 『 DOCUMENT 』 収録曲 )




R.E.M. - Belong ( Live ) ( Film Is On Video Version )


( アルバム 『 Out Of Time 』 収録曲。当時の中国で起きた天安門事件に、心を痛めたマイケル・スタイプが作ったとされている曲。 )




REM Half A World Away BBC Live


( アルバム 『 Out Of Time 』 収録曲 )




Radiohead - be mine


( アルバム 『 New Adventures In Hi Fi 』 収録曲 )




REM-Sweetness Follows


( アルバム 『 Automatic For The People 』 収録曲 )




R.E.M. - I've Been High


( アルバム 『 REVEAL 』 収録曲 )




R.E.M. - Collapse into Now, the Trailer





( 動画が消えていましたら、ごめんなさい




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