虹の彼方に ~ over the rainbow ~

好きな音楽、映画、本など、気ままに綴っているblogです♪ about the musics,films,books.

バッハ 『 マタイ受難曲 “ 神よ、私のこの涙にかけて憐れみください、みてください ” 』

2009-11-15 20:00:29 | Andrei Tarkovsky films


ご訪問してくださり、ありがとうございます


           
前回、書いた、映画 『 Offet / Sacrificatio

( サクリファイス ) 』 アンドレイ ・ タルコフスキー監督作品


の記事との、つながりで、

18世紀の、ドイツの作曲家、

Johann Sebastian Bach

( ヨハン ・ セバスチャン ・ バッハ

  … 1685年 ( ユリウス暦 ) - 1750年 ) の


『 Matthaus Passion “ Enbarme Dich ”

  BWV,244 No.47 』

( 「 マタイ受難曲  BWV . 244 第47曲

  “ 神よ、私のこの涙にかけて憐れみください、みてください ” 」 )


という、映画 『 サクリファイス 』 の主題歌でもある、

この曲を、ハンガリー出身で、

オラトリオの歌手などとして、活躍している、

Julia Hamari さんによる、アルト ・ ソロと、

交響楽団による演奏を、聴いてみようと思います。




Bach - Julia Hamari - Matthäus Passion - Erbarme dich





( 動画が、消えていましたら、ごめんなさい




J . S . バッハの

『 マタイ受難曲  BWV . 244 第47曲

 “ 神よ、私のこの涙にかけて憐れみください、みてください ” 』

という曲は、ドイツ語によって、歌われています。




『 Matthaus Passion “ Enbarme Dich ”

  BWV,244 No.47 』



Erbarme dich,   憐れんでください、

mein Gott,  私の神よ!

um meiner Zahren willen !   私の涙ゆえに。

Schaue hier,   私をご覧ください。

Herz und Auge weint vor dir  心も目もあなたの御前に

bitterlich.   激しく泣いています。





( 英語による翻訳です )


Have mercy, my God,

for the sake of my tears !

Look here, heart and eyes

weep bitterly before You.





18世紀の音楽が、こうして、今も、聴くことができるって、

実は、すごいことなんじゃないかと思っています。


私が、中学生だった頃、学校の音楽の時間に、

音楽室に行くと、教室の壁に、バッハの肖像画 ( レプリカ )

が、飾ってあったことくらいしか、知らないのですが … 。


これから、先、地球が、何世紀まで、続いていくのか、

わかりませんが、すばらしい音楽は、いつの時も、

タイムレスで、人々が、変わっていっても、

ずっと、受け継がれていって、こうして、いろんな人々に、

聴かれていくのでしょう ・ ・ ・ 。




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読んでくださり、ありがとうございます

それでは、また。。。

映画 『 サクリファイス 』 アンドレイ・タルコフスキー監督作品

2009-11-14 15:38:34 | Andrei Tarkovsky films


ご訪問してくださり、ありがとうございます


           


1984年に、ソ連から、亡命宣言を、せざるを得なかった、

巨匠 Andrei Tarkovskij

( アンドレイ ・ タルコフスキー ) 監督の、

’86年の遺作となった映画 『 Offet / Sacrificatio 』

( 「 サクリファイス 」 ) を、家で、久しぶりに見ました


その感想を、書きたいと思います


映画 『 サクリファイス 』

1986年度 スウェーデン = フランス合作映画

149 min

監督 ・ 脚本  アンドレイ ・ タルコフスキー

撮影監督  スヴェン ・ ニクヴィスト

美術  アンナ ・ アスプ

音楽  J . S . バッハ < マタイ受難曲 > BWV . 244 第47曲

    “ 神よ、私のこの涙にかけて憐れみください、みてください ”

    ( Wolfgang Gonnenwein / Julia Hamari )

    スウェーデン民族音楽 / 海童道宗祖の法竹音楽

製作  アンナ = レーナ ・ ヴィボム

出演  エルランド ・ ヨセフソン ( アレクサンデル )

     スーザン ・ フリートウッド ( 妻 アデライデ )

     アラン ・ エドヴァル ( 郵便夫 オットー )

     スヴェン ・ ヴォルテル ( 医師 ヴィクトル )

     ヴァレリー ・ メレッス ( 小間使 ジュリア )

     トミー ・ チェルクヴィスト ( 子供 )

1986 Svenska Filminstitutet




【 ※ ここから先は、この映画のネタばれが、
    含まれています! ご注意ください!! ※ 】





バッハのマタイ受難曲が、静かに、流れている中、

レオナルド ・ ダ ・ ビンチ作の 『 東方の三賢人の礼拝 』

の絵が、クローズアップされています。


幼いキリストと聖母マリアの間から、1本の木が、

その指さす、天上に向かって、真っすぐに、伸びている姿が、

ゆっくりと、上に向かって、クローズアップされていきます。


海辺の近くの、緑の草原に包まれた大地に、住む、

アレクサンデルとその家族たち。


ある日、アレクサンデルは、海辺に、

“ 日本の木 ” を、植えていました。

それを、手伝う、彼の “ 子供 ” は、

言葉を、話すことができません。


「 ずっと むかしのあるとき 年とった修道僧がいて

  僧院に住んでいた パムべといった

  ある時 枯れかかった木を 山裾に植えた

  こんな木だ ( と言って、アレクサンデルは、

  自ら植えている木を、見ています )

  そして 若い門弟に言った ヨアンという修道僧だ

  『 木が 生き返るまで 毎日 必ず 水をやりなさい 』

  毎朝 早く ヨアンは 桶に 水をみたして 出かけた

  木を 植えた 山に 登り 枯れかかった木に 水をやって

  あたりが 暗くなった 夕暮れ 僧院に もどってきた


  これを 3年 続けた

  そして ある晴れた日 彼が 山に 登って行くと・・・


  『 一つの目的を 持った行為は いつか 効果を生む 』 


  時々 自分に 言い聞かせる

  毎日 欠かさずに 正確に 同じ時刻に

  同じ一つの事を 儀式のように きちんと 同じ順序で

  毎日 変わることなく 行っていれば

  世界は いつか 変わる

  必ず 変わる 変わらぬわけにいかぬ・・・ 」


と、枯れかかった “ 日本の木 ” を、植えながら、

“ 子供 ” に、語る、アレクサンデル。 


そこへ、アレクサンデルの友人、

郵便配達のオットーが、やってきました。


「 見事だろう 日本の生け花のようだ 」

と、アレクサンデル。


「 待っていても ムダです  待たぬことです

  我々は 皆  何かを 待っています

  いつも 感じていたんです

  そして いつも 今までの人生は 本物ではなくて

  ただ ずっと 長い間 本物の人生を 

  待っていたのに すぎないとね

  ・・・・・・・・・・

  時々 妙なことが 頭に 浮かびます

  “ 永劫回帰 ” といったような

  私たちは 希望を抱き  希望を失い

  何かを 待っていて 一歩一歩 近づいていって

  最後には 終わりが やってきて 

  生まれ変わっても 何も覚えていません

  また 第一歩から 始めるんです

  まったく 同じではなく ほんのわずか 違っていますが

  希望が ないのは 同じで なぜかは わかりません

  訳は わかりません まったく 同じなんです

  文字どおり 同じなんです ただ 次の舞台 というだけです 」


と、オットーが、アレクサンデルに、語ります。


「 君は “ 永劫回帰 ” を 信じるのか 」


と、アレクサンデルは、オットーに、問いかけます。


「 ええ 」 「 時には 信じます 」

「 わかるでしょ 心の底から 信じれば 実現します 」

『 人それぞれ・・・  信じるところによりて ― 』


と言い、自転車で、去っていく、オットー。


「 “ 初めに ことば ありき ” 」


「 だが お前は 口がきけないんだ 」 「 魚と同じだ 」


と、その “ 子供 ” の手を、つなぎながら、

家へと、歩いていく、アレクサンデル。


「 どうやら 道を 間違えたよ  

  人類も 危険な道に 迷いこんでる 」


と、アレクサンデル。


そこへ、医者のヴィクトルと、アレクサンデルの妻 アデライデが、

車に乗って、やって来ます。


“ 子供 ” は、喉の手術を、していたのでした。


「 口が きけないのは 辛いだろうが  とく もある 」

「 付き合いを しないですむ 」

と、医者のヴィクトルは、言うと、

「 大きく 開いて 」 と、 “ 子供 ” の口を、

開けさせて、喉の状態を、診察します。


「 ご存じかな 」

「 ガンジーは 毎週 一日だけ 口をきかなかった

  彼の掟に していた  人間に 会いたくなくて 」


と、アレクサンデルに、話す、ヴィクトル。


「 人間は 絶えず 自分を 守ってきた  

  他の人間から  自然から  

  絶えず 自然を 破壊し そして 文明が

  権力 抑圧 恐怖 征服 の上に 築かれた

  我々の技術は 進歩したが ―  

  我々が 得られたものは 型にはまった満足と ―

  権力維持の 兵器だ  

  我々は 未開人と 同じだ  顕微鏡を 兵器に使う

  いや 未開人には 我々より 魂が ある

  我々は 科学的発見があると ―

  すぐに 悪用する  罪悪とは 不必要な物の事だ 」


と、松の木々の根元に、座り、独白する、アレクサンデル。

その傍らを、 “ 子供 ” が、無邪気に、

這いつくばって、遊んでいます。


その、松の木々と、緑の草々が、風に揺れていて、

時おり、青く、光って見えて、今まで、見たことのないような、

美しい光景が、描かれています。


「 ある 賢人がいった 」

「 それが 真実だったら ―  文明は 最悪の上に 築かれている

  そして 恐るべき 不調和が 生まれた

  物質的進歩と 精神的進歩が 調和を 欠いている

  我々の文化は 病んでいる  根本から 間違っているのだよ

  問題を 探求 解決策を 探れば と言うが ―

  時機を 失っている  もう 遅い  

  口にするのさえ 空しい ―

  『 言葉  言葉  言葉! 』  ハムレットの心境だ

  彼は 口を開くのに 飽きた 」


「 なぜ 私は こんなことを いう! 」

「 もの を いうのを やめて  何かを なすべきだ

  試みるのだ 」

と、アレクサンデルが、独白しているうちに、

“ 子供 ” の姿が、見えなくなっていました。


「 坊や!  坊や! 」

すると、アレクサンデルの後ろから、いたずらに、

背中に、抱きつこうとした、 “ 子供 ” を、

驚きのあまり、地面に、叩きつけてしまう、アレクサンデル。


「 神様 私は どうしたのです・・・ 」

と言い、倒れこむ、アレクサンデルでしたが … 。


一方、アレクサンデルの家では …


夕食の支度を、していた、小間使のジュリアが、

手にしていた、並べられた、ワイングラスが、

カタカタと、音を立てて、揺れ始めたかと思うと、

急に、家全体が、激しく、揺れ …

空のほうから、凄まじい、轟音を立てながら、

得体の知れない飛行体が、恐ろしい勢いで、飛んできたようでした … 。


“ 世界の終末 ” に、おびえる、アレクサンデルの家族たち … 。


しかし、 “ 子供 ” だけは、ずっと、眠っていたために、

何が、起こったのか、知らないでいました。


アレクサンデルは、郵便配達のオットーに、導かれて、

世界を、救うために、神に、誓いをたて、あることで、

神と、 「 取り引き 」 を、試みようとしますが・・・。



あれから …

“ 子供 ” は、バケツに、水をくんで、

アレクサンデルと植えた、 “ 日本の木 ” に、

密かに、毎日、水を、与えていたのでした。

父、アレクサンデルとの約束を、信じて ・ ・ ・ 。


ここで、最初に、流れていた、

バッハのマタイ受難曲が、再び、静かに、流れてきて …


黙々と、 “ 日本の木 ” に、水を、やり続ける

“ 子供 ” の、無垢な姿と、バッハのマタイ受難曲が、

海辺の陽光のさす、穏やかに、きらめく波と、

輝く、緑の草原に、色どられて …


とても、印象的で、心が、ふるえるほどの、

切ない、美しさに、満ちあふれています。


ひとすじの光りのような、希望が、感じられる、

この場面が、わたしは、とても好きです。


そして ・ ・ ・


「 “ 初めに ことば ありき ” 」

「 なぜなの  パパ ? 」

と、 “ 子供 ” が、はじめて、言葉を、口にしました … !


陽の光りが、水面に、反射して、

きらきら、輝いているのを、背景に、

まだ、枯れている “ 日本の木 ” が、

息を、のむほどに、美しい姿に、見えます ・ ・ ・ 。


最後に ・ ・ ・


「 この映画を 息子 アンドリォシャ に 捧ぐ  

  希望と 確信を 以て

  アンドレイ ・ タルコフスキー 」



と、字幕に、書かれていたのを、見て …

昔、映画館で、見たときも、そうでしたが、

あれから、だいぶ、時が経って …

今、ビデオテープで、 TV で見ても、

あのときと、同じ想いで、見ることができて、

同じように、涙が、溢れてきました … 。




   

1986年の、カンヌ国際映画祭審査員特別大賞、国際映画批評家賞、

エキュメニック賞、芸術特別貢献賞、を受賞した作品です。




アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品との、出会いについて


当時、タルコフスキー 監督は、以前から、

西側の国で、芸術活動を、行っていて、

彼の故郷の田舎に、よく似た風景のある、

イタリアで、映画を制作していました。


その後、彼は、1984年に、正式に、ソ連から亡命しました。

しかし、タルコフスキー 監督は、1986年12月29日に、

パリで、癌のため、亡くなりました。


当時、世界中の芸術家や、あらゆる人々が、

彼の死を、悲しみました。


タルコフスキー 監督が、亡くなる1年前の、

1985年に、新たに、ソ連の書記長に、就任した、

ミハイル ・ ゴルバチョフ 書記長が、「 ペレストロイカ 」

を、行い、ソ連当局の検閲などの、規制緩和が、進んでいました。


タルコフスキー 監督が、亡くなる、わずか前に、

ゴルバチョフ書記長が、公式に、タルコフスキー監督の、

名誉回復を、宣言し、帰国を認める声明を、出したそうですが、

それも、叶うことのないまま、彼は、この世から、去りました … 。


当時の日本では、アンドレイ ・ タルコフスキー 監督を、

特集する番組が、某テレビ局で、放送されていました。

遺作となった、1986年の 映画 『 サクリファイス 』

の、撮影シーンや、生前の監督、俳優、スタッフたちのインタビュー

などが、放送され、初めて見た、その撮影シーンが、

あまりにも、美しくて … 。 瞬間的に、魅せられました。
 

それから、タルコフスキー 監督作品に、

引き寄せられていきました。

日本の映画館でも、 アンドレイ ・ タルコフスキー 監督

を、追悼するため、彼の作品の特集を、組んでいました。




こちらは、私が、以前書いた、映画 『 サクリファイス 』 の

前作の、映画 『 ノスタルジア 』 のあらすじと、感想です。

よろしかったら、ご覧になっていただけましたら、幸いです


映画 『 ノスタルジア 』 1983年 イタリア映画 アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品の感想




           


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読んでくださり、ありがとうございます

それでは、また。。。

アンドレイ・タルコフスキー監督作品  映画 『 ノスタルジア 』

2009-02-23 10:40:57 | Andrei Tarkovsky films
グリムス キーワード「排出量取引」


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↑ 映画 『 ノスタルジア 』 1983年 イタリア映画 


スタッフ : 監督 アンドレイ ・ タルコフスキー

脚本 アンドレイ ・ タルコフスキー / トニーノ ・ グエッラ

撮影監督 ジュゼッぺ ・ ランチ

カメラ  ジュゼッぺ ・ デ ・ ビアージ

美術監督 アンドレア ・ クリザンティ

製作 レンツォ ・ ロッセリーニ / マノロ ・ ボロニーニ


キャスト : アンドレイ ・ ゴルチャコフ … オレーグ ・ ヤンコフスキー

ドメニコ … エルランド ・ ヨゼフソン

エウジェニア … ドミツィアナ ・ ジョルダーノ

ゴルチャコフの妻 … パトリツィア ・ テレーノ

清掃婦 … ミレナ ・ ヴコティッチ



旧ロシア、ソ連の、亡命した、映画作家であった、

アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品の ’ 83年の

映画 『 ノスタルジア 』 について、書いてみようと思います


この映画は、20年くらい前に、映画館で、初めて見ました。

その後、何度か、ビデオテープを、レンタルして、

よく見ていました。




【 ※ ここから先は、この映画のネタばれが、
  
  含まれています! ご注意を!! ※ 】









映画 『 ノスタルジア 』 の あらすじ


モスクワからやってきた、詩人 アンドレイ ・ ゴルチャコフ は、

通訳の エウジェニア とともに、イタリア中部のトスカーナ地方の

山村に、到着する。


彼は、18世紀に、イタリアを放浪し、

故国に帰れば、奴隷になることを、知りながら、

帰国して、みずから命を絶った、

音楽家 パーヴェル ・ サスノフスキー の伝記を、書くために、

その足跡を、追う旅を、続けてきた。


村に宿泊した二人は、そこで、初老の ドメニコ という

男に会う。彼は、世界の終末から、家族を救おうと、

妻子を、7年間も、家に閉じ込め、村人から、狂人扱いを、

されていた。


アンドレイは、なぜか、ドメニコに、

強く惹きつけられ、彼に近づいていく … 。




映画 『 ノスタルジア 』 の 感想


エウジェニアが、自然豊かな、美しい、

イタリアのトスカーナ地方の、シエーナにある教会に、

入りたがらない、アンドレイを、車に、残して、

一人で、その教会へと向かいます。

そこで、彼女が、目にしたものは …


たくさんのろうそくの灯火と、マリア像を、担いで、

祈りを捧げに来た、女性たちの姿だった … 。


そこへ、教会の管理人が、エウジェニアに、話しかけます。

教会の中で、エウジェニアと、教会の管理人、の場面での、

カメラワーク、構成図、光のあたり具合が、

素晴らしいです。


まるで、中世の絵画を、見ているような、

美しい場面が、この映画には、たくさん出てきます。


微妙な、光のあたり方で、役者さんの表情が、

深く刻まれた、彫刻のように、浮かび上がってくる。


たくさんの、ろうそくの灯火が、とても美しくて、

祈り人の足音だけが、こだまする、教会の静寂の中で、

ただ、見ているだけで、心が癒されます。


教会に祀られてある、 マドンナ ・ デル ・ バルト の聖母画が、

なんとも言えない、憐れみをおびた、表情をしていて、

まるで、涙を流しているかのように、見えます。


その、ありのままの、人間らしい表情が、

言葉を失うくらいの、美しさなのです … 。


タルコフスキー 監督作品には、必ず、「 水 」が、

出てきます。


アンドレイが、泊まった宿の、部屋の窓を開けると、

静かに、雨が、降っていて …

その音と、部屋に、いくつかの窓から、差し込んでいる

光が、合わさって、静寂の中でしか、知ることのできない、

美しさを、感じました。


場面の所々で、アンドレイが、故郷に残してきた、

家族の記憶を、断片的に、思い出すシーンが、

郷愁を感じさせて、とても、切ないのだけれど、

あまりにも美しい風景が、広がっていて … 


幼い男の子と、娘が、緑豊かな、田舎の家を、

背後に、たたずんでいて、丘の上から、駆け降りてくる。

( 故郷の回想場面の映像のみ、モスグリーンっぽい、

 セピア色をしています )


この映画の、冒頭の、字幕が流れているシーンから、

故郷の田舎の、美しい、豊かな自然と、そこに、

幼い息子、娘、妻、祖母が、それぞれの場所で、みな、

たたずんでいる姿が、言葉も、何もなくても、

心に、響いてくるものがあって …


タルコフスキー 監督作品は、よく 「 難解な映画だ 」

と言われているようですが、わたしは、彼の作品は、

「 感覚に、うったえてくる、感じる映像 」

だと思っています。


アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品は、

とても、詩的なものを、感じますね。


ドメニコの家を、訪ねてきた、アンドレイ。

そこで、ベートーベンのあの名曲が、流れます。


この場面で、二人が、出会ったことで、生じた、

「 奇跡 」 を、表わしているのではと思います。


ドメニコが、緑色の瓶から、液体を、

アンドレイの手のひらに、1滴、1滴、たらしながら、


「 1滴に 1滴を 加えても 1滴

  2滴でなく 大きな1滴だ  」


と言って、アンドレイに見せている。

この言葉には、大事な意味が、含まれていると思う。

タルコフスキー監督自身の 「 メッセージ 」ではないか

と思っています … 。


ドメニコが、住んでいる、廃墟のような家の中は、

あちこちに、穴のあいた天上から、たくさんの雨が、

降り注いでいて、部屋中が、水浸しになっています。

壁には、 「 1 + 1 = 1 」 と書かれた紙が …


そこで、ドメニコが、

「 火をつけて 水を渡る 」

「 ろうそくを手に持ち 水に入れ 」 

「 聖カテリーナ ( が、訪れたという ) の温泉だ 」

「 わたしの代わりに、やってほしい 」

と、アンドレイに伝え、ろうそくを、手渡します。

「 自分には、できない。ローマで、大きなことをやる 」

とドメニコ。


抱き合って、分かれる、アンドレイと、ドメニコ。

その後、ドメニコは、過去に、

「 家族を救うために 」 7年間もの間、家族を、

家に、幽閉させたことを、思い出していました。


警察が、説得して、家から、解放される家族たち。

小さな男の子が、家から、走り出てきて、

ある場所まで、走っていきます。それを、追いかけるドメニコ。


「 パパ これが、世界の終りなの? 」

と、その小さな男の子は、ドメニコに言います。

その子が見たのは、遠くの山あいと、そこにある、

小さな町、でした。

何事もなく、穏やかな日が差し、よく晴れて、

青い空が、広がっていました … 。


ずっと、自分の父親のことを、信じていた、

小さな男の子が、振り返って、父のドメニコを見て、

それを、問いかける表情が、なんとも言えない、

うつろな表情をしていて … 。


ホテルに戻った、アンドレイは、再び、故郷に暮らす、

家族の記憶が、脳裏によみがえるのでした。


自然豊かな、田舎の小さな家の前に、幼い息子、娘、

そして、妻、祖母、が、みな、それぞれの場所に立ち、

静かに、こちらを、見ていて …


みな、何も言わないけれど、その不安げな表情から、

アンドレイの帰りを、ひたすら、待ち続けている

ことが、感じられます … 。


その瞬間、故郷の田舎の家の後ろから、

白く、ぼんやりとした、朝日が、昇ってくると、

みなが、いっせいに、振り返って、

朝日を、見ている姿が、寂しさの中に見える、

希望の光のようで、とても美しくて、印象的な場面です。


アンドレイは、ドメニコに頼まれた、目的を果たそうと、

聖カテリーナの温泉へ、向かいます。

その途中で、アンドレイは、姿鏡のついたタンスを、

見つけます。

ふと、取っ手を引こうとすると、そこに、映ったのは、

彼ではなく、昔のドメニコの姿でした … 。


形は、違っても、彼らの想いは、同じであることを、

暗示しているかのように、思いました。


ドメニコは、ローマの中心部、カンピドリオ広場の、

マルクス ・ アウレリウス像馬の、上に立ち、

集まってきた、市民たちに、演説をするのでした。


「 我々は、あらゆる意味で、魂を、広げるべきだ

 もし、君たちが、進歩を望むなら、一つに混ざり合うことだ

 健全な人も 病める人も 手を取り合うのだ 」

 
「 人類すべてが、崖っぷちにいる

 転落する運命にある

 それを、直視し、ともに食べ、眠る勇気がないなら

 我々にとって、自由は、何の役にも立たない 」


「 いわゆる健全な人々が、世界を動かし、

 破滅に、直面する 」


「 人間よ、従うのだ! 君の水の中に 火に

 そして、灰に 灰の中の骨に 骨と灰だ! 」


「 自然を観察すれば、人生は単純だとわかる

 原点へ戻ろうではないか 

 道を間違えた 場所まで 戻るのだ

 水を汚すことなく 根元的な生活へ戻ろう 」


ドメニコは、周りの人々から、狂人と思われ、

集まった市民たちは、ほんのわずかで、散らばって、

それぞれ、聴いている。

その中に、いわゆる、 「 健全な人 」 と思われる人々は、

ほとんどいないようだ … 。


しかし、彼の言葉は、真っ暗な海を照らす、

灯台の光のように、思えます。


ドメニコの足元は、真っ暗だけれど、

彼は、周りの人々のために、灯りをともして、

歩む道を、示しているように思います。 

皮肉な話ですが … 。


その頃、聖カテリーナの温泉では、清掃のために、

すでに、水が抜かれ始めていたが、

わずかに、水が残っていた。


アンドレイは、ドメニコに手渡された、ろうそくを手にし、

火を灯そうとするが、手が震えて、なかなか、火がつかない。


瀕死の姿で、水を渡ろうとする、アンドレイ。

やっと、火を灯した、ろうそくを、温泉の反対側に、

立てると、崩れ落ちるように、倒れてしまう … 。


故郷の田舎の家に、残された、幼い子供と母親の姿が、

セピア色の映像で、映し出されている。


アンドレイの魂が、彼を、帰ることを、願っていた

故郷の田舎の家へ、連れて行かせていた … 。


神のご慈悲のもとに 。。。


雪が、降りはじめる、ラスト ・ シーンは、

圧倒的なまでの、深い慈しみに包まれて …

魂が、揺さぶられるほどの、衝撃的な場面でした。


最後に、

「 母の思い出に捧げる ― アンドレイ ・ タルコフスキー ― 」

と、字幕が出ていました。


「 ろうそくに火を灯し、温泉を渡りきることが出来たら、

 世界は、救済される 」 と、信じて、

病に冒されていた、アンドレイは、残された時間を、

「 世界の救済 」 のために、最後の力を、尽くします。


故郷の田舎の家と、待っている、家族の姿を、

胸に抱きながら ( ノスタルジア 「 郷愁 」 ) … 。


主人公の アンドレイ は、タルコフスキー監督ご自身であって、

彼の想いを、描いているのではないかと思っています。


彼自身が、「 世界を救済する 」 ことを、

与えられた、使命として、望んでいたのではないか

と思います。

本人は、気がついていなかったとしても、

彼には、その 「 使命 」が、与えられていた

のではないでしょうか。


当時、祖国のソ連では、禁じられていた、宗教 …。

タルコフスキー監督作品の多くは、キリスト教の影響が、

色濃く、感じられます。


この映画は、あらゆる意味において、

世界の映画史上、最高峰の映画だと

思っています。






アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品との、出会いについて



当時、タルコフスキー 監督は、以前から、

西側の国で、芸術活動を、行っていて、

彼の故郷の田舎に、よく似た風景のある、

イタリアで、映画を制作していました。


その後、彼は、1984年に、正式に、ソ連から亡命しました。

しかし、タルコフスキー 監督は、1986年12月29日に、

パリで、癌のため、亡くなりました。


当時、世界中の芸術家や、あらゆる人々が、

彼の死を、悲しみました。


タルコフスキー 監督が、亡くなる1年前の、

1985年に、新たに、ソ連の書記長に、就任した、

ミハイル ・ ゴルバチョフ 書記長が、「 ペレストロイカ 」

を、行い、ソ連当局の検閲などの、規制緩和が、進んでいました。


タルコフスキー 監督が、亡くなる、わずか前に、

ゴルバチョフ書記長が、公式に、タルコフスキー監督の、

名誉回復を、宣言し、帰国を認める声明を、出したそうですが、

それも、叶うことのないまま、彼は、この世から、去りました … 。


当時の日本では、アンドレイ ・ タルコフスキー 監督を、

特集する番組が、某テレビ局で、放送されていました。

遺作となった、1986年の 映画 『 サクリファイス 』

の、撮影シーンや、生前の監督、俳優、スタッフたちのインタビュー

などが、放送され、初めて見た、その撮影シーンが、

あまりにも、美しくて … 。 瞬間的に、魅せられました。
 

それから、タルコフスキー 監督作品に、

引き寄せられていきました。

日本の映画館でも、 アンドレイ ・ タルコフスキー 監督

を、追悼するため、彼の作品の特集を、組んでいました。





アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品の 映画 『 ノスタルジア 』 公式サイト




読んでくれて、ありがとうです  

ほいじゃ、また。。。


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