私は絶対音感を持っていない。つまり、
←大人になってピアノを始めた人や再開した人がたくさん
・楽譜を見て、歌い出しの音をリファレンスなしで取ることができない。
・リファレンスなしで聞かされた音(特に単音)の高さを判定することができない(*1)。
けれど、アニメソングが鳴っているとき、最初の一音だけピアノで探って「この音か」とわかればあとはピアノを触らなくてもドレミ(注: 私の場合は固定ド)で歌うことができる。あるいは、それをピアノやバイオリンで再現することができる…かもしれない…(バイオリンの場合はまだ弾けない音があるので)
絶対音感というものが、単にひとつの音の高さをリファレンスなしで取る(あるいは判別する)ことができるということを指すのであれば、また、音取りのためAの音を出された瞬間にそれが440Hzであるか442Hzであるかわかるということを指すのであれば、その能力は音楽的能力とはあんまり関係ないと思う。
音楽とはまったく関係ないシーンで、たまたま音の高さに注意を向ける必要のある人がいたとして(例えば機械の調子を取る必要がある職人?)その人は「絶対音感」を持っているかもしれないが、音楽がわかっているわけではない。
それより、リファレンスが必要であっても、あるいはリファレンスがないために調を誤解することがあっても、私よりもっとややこしいメロディーや和音を瞬時に聞き取って記憶し、ピアノに向かえば両手で一曲さらりと弾けてしまうというならそれはすごくうらやましい…いわゆる「耳コピができる」というやつである。
私が「もののけ姫」をバイオリンで弾いたのは、単旋律だし、練習ありだし(つまり十分探り弾きもできる)、ああいうのは耳コピができるとはふつういわない(*2)。
ピアノで一曲丸ごと耳コピできるというのは、前述の「絶対音感」のあるなしとは違って、音楽的な能力、素養に深く関わってくる。重なる音もきちんと捉え、それをまとまりよく把握して記憶し、さらにそれを練習なしで弾けるくらいピアノの腕もあるということだ。
どうも、「ピアノで一曲丸ごと耳コピ」できることを絶対音感があると呼ぶことがあるような気がするんだけど、言葉の意味からいえばやはりあくまで、「リファレンスなしで音が取れる/判別できること」なんじゃないの??
さらに、「固定ド」派のことを絶対音感あり、「移動ド」派のことを相対音感ありととらえることもあるような気がするんだけど、これはますますわからない。絶対音感がないけど「固定ド」でしか考えられない私のような人もいるし、絶対音感があってもその上で自在に「移動ド」で歌えて移調もスムーズにこなせる人もいる(例えば、るんちゃんママ)。
そして、言うまでもないことだが、ピアノで一曲丸ごと耳コピができようができまいが、リファレンスなしに音が取れようが取れまいが、「固定ド」派であろうと「移動ド」派であろうと、音楽的に演奏できるかどうかとは直接の関係がない。
言葉の定義というか概念について混乱してきたので、そういえばずっと前に、タイトル自体が「絶対音感」という本を持っていたなと思って読み返そうとしたのだが、そのときつまらないと思って即ブックオフ行きになったようで、すでに手元にない(^^;;
まぁ、世間様のことはどうでもよいので、自分のあり方についてに話を戻すと、私の…こっそりリファレンスを聞いておけば絶対音感者のフリをすることも可能だし、単純なものであれば耳コピもできるが、
・聴音の力も足りないし記憶力は乏しいし、ピアノの技術も足りないので、耳コピ即興演奏は「童謡」程度が限界
・音程の微妙な差については鈍感でバイオリンの音合わせも自信なし、平均律と純正律の差も??
・固定ドに縛られていて調性感覚が未熟
という「なんちゃって絶対音感」の人はこれからどこへ向かって進んでいったらいいのだろうか。
ここでいう「なんちゃって絶対音感」というのは、本当の意味での絶対音感をもっていないのに、漠然と「絶対音感の弊害」と思われているようなマイナス面(というよりむしろ「固定ド教育の弊害」かもしれないが)はもっているという意味で使っている。
先日の、「固定ドと移動ド」の話にいただいたコメントなどを見ていると、豊かな音楽性につながる「音感」というものは、脳みそを使わないでピアノをカタカタ鳴らしていても得られるものではなく、歌や、音程を自分で作らなければいけない楽器の経験、さらには合唱・合奏など多方面の経験で培われていくもののように思える。
もっともこちらはすでに「アラフォー」(←四十を越していても使える便利な言葉)だから、今から何をしたらどうなるというもんでもないだろうけど。これからの人生の中で、音楽をより楽しむために何かできることはあるのかもしれない。
(*1)リファレンスがなくても、ピアノで曲を弾かれればほとんどの場合はわかる。特に、我が家のピアノであればわかる。自分では、「白鍵と黒鍵の音色が違うから」と思ってるんだけど、あまりそういう話は聞かない…
(*2) にもかかわらず私があそこで「耳コピ」と表現したのは、楽譜を探すのを怠り、また適切なボーイングを指導してもらう手順を省略したのでいい加減ですという意図だった。それが「耳コピすごい!!」のコメントをいっぱいいただいてなんか話が違うほうにいってしまったと思ったのだが後の祭り。
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昨日はまた「何も予定のない休日」がめぐってきたのでバッハのインベンションがひとつ進みました。これで七曲目。
バッハ インベンション第10番

・楽譜を見て、歌い出しの音をリファレンスなしで取ることができない。
・リファレンスなしで聞かされた音(特に単音)の高さを判定することができない(*1)。
けれど、アニメソングが鳴っているとき、最初の一音だけピアノで探って「この音か」とわかればあとはピアノを触らなくてもドレミ(注: 私の場合は固定ド)で歌うことができる。あるいは、それをピアノやバイオリンで再現することができる…かもしれない…(バイオリンの場合はまだ弾けない音があるので)
絶対音感というものが、単にひとつの音の高さをリファレンスなしで取る(あるいは判別する)ことができるということを指すのであれば、また、音取りのためAの音を出された瞬間にそれが440Hzであるか442Hzであるかわかるということを指すのであれば、その能力は音楽的能力とはあんまり関係ないと思う。
音楽とはまったく関係ないシーンで、たまたま音の高さに注意を向ける必要のある人がいたとして(例えば機械の調子を取る必要がある職人?)その人は「絶対音感」を持っているかもしれないが、音楽がわかっているわけではない。
それより、リファレンスが必要であっても、あるいはリファレンスがないために調を誤解することがあっても、私よりもっとややこしいメロディーや和音を瞬時に聞き取って記憶し、ピアノに向かえば両手で一曲さらりと弾けてしまうというならそれはすごくうらやましい…いわゆる「耳コピができる」というやつである。
私が「もののけ姫」をバイオリンで弾いたのは、単旋律だし、練習ありだし(つまり十分探り弾きもできる)、ああいうのは耳コピができるとはふつういわない(*2)。
ピアノで一曲丸ごと耳コピできるというのは、前述の「絶対音感」のあるなしとは違って、音楽的な能力、素養に深く関わってくる。重なる音もきちんと捉え、それをまとまりよく把握して記憶し、さらにそれを練習なしで弾けるくらいピアノの腕もあるということだ。
どうも、「ピアノで一曲丸ごと耳コピ」できることを絶対音感があると呼ぶことがあるような気がするんだけど、言葉の意味からいえばやはりあくまで、「リファレンスなしで音が取れる/判別できること」なんじゃないの??
さらに、「固定ド」派のことを絶対音感あり、「移動ド」派のことを相対音感ありととらえることもあるような気がするんだけど、これはますますわからない。絶対音感がないけど「固定ド」でしか考えられない私のような人もいるし、絶対音感があってもその上で自在に「移動ド」で歌えて移調もスムーズにこなせる人もいる(例えば、るんちゃんママ)。
そして、言うまでもないことだが、ピアノで一曲丸ごと耳コピができようができまいが、リファレンスなしに音が取れようが取れまいが、「固定ド」派であろうと「移動ド」派であろうと、音楽的に演奏できるかどうかとは直接の関係がない。
言葉の定義というか概念について混乱してきたので、そういえばずっと前に、タイトル自体が「絶対音感」という本を持っていたなと思って読み返そうとしたのだが、そのときつまらないと思って即ブックオフ行きになったようで、すでに手元にない(^^;;
まぁ、世間様のことはどうでもよいので、自分のあり方についてに話を戻すと、私の…こっそりリファレンスを聞いておけば絶対音感者のフリをすることも可能だし、単純なものであれば耳コピもできるが、
・聴音の力も足りないし記憶力は乏しいし、ピアノの技術も足りないので、耳コピ即興演奏は「童謡」程度が限界
・音程の微妙な差については鈍感でバイオリンの音合わせも自信なし、平均律と純正律の差も??
・固定ドに縛られていて調性感覚が未熟
という「なんちゃって絶対音感」の人はこれからどこへ向かって進んでいったらいいのだろうか。
ここでいう「なんちゃって絶対音感」というのは、本当の意味での絶対音感をもっていないのに、漠然と「絶対音感の弊害」と思われているようなマイナス面(というよりむしろ「固定ド教育の弊害」かもしれないが)はもっているという意味で使っている。
先日の、「固定ドと移動ド」の話にいただいたコメントなどを見ていると、豊かな音楽性につながる「音感」というものは、脳みそを使わないでピアノをカタカタ鳴らしていても得られるものではなく、歌や、音程を自分で作らなければいけない楽器の経験、さらには合唱・合奏など多方面の経験で培われていくもののように思える。
もっともこちらはすでに「アラフォー」(←四十を越していても使える便利な言葉)だから、今から何をしたらどうなるというもんでもないだろうけど。これからの人生の中で、音楽をより楽しむために何かできることはあるのかもしれない。
(*1)リファレンスがなくても、ピアノで曲を弾かれればほとんどの場合はわかる。特に、我が家のピアノであればわかる。自分では、「白鍵と黒鍵の音色が違うから」と思ってるんだけど、あまりそういう話は聞かない…
(*2) にもかかわらず私があそこで「耳コピ」と表現したのは、楽譜を探すのを怠り、また適切なボーイングを指導してもらう手順を省略したのでいい加減ですという意図だった。それが「耳コピすごい!!」のコメントをいっぱいいただいてなんか話が違うほうにいってしまったと思ったのだが後の祭り。
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