自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

慎ましやかな生活

2013-02-25 | 体験>知識

6年生時の1953年2月、TV放送が開始された。
我が家では話題にもならなかった。
我が家の娯楽と情報源は新聞とラジオと世間話だった。
親と子が同じ紙面を見、同じ番組を聴いていた。
大相撲の栃若対決には親子で一喜一憂した。
わたしは栃錦のフアンで、地方巡業で草野町に来たときには宿舎まで子供たちだけで会いに行って話しを聞いた。
「君の名は」ほど国中を熱狂させたドラマはないと思う。
銭湯が空になった、と語り草になっている。
「笛吹き童子」が始まる時間になると外遊びから飛んで帰ったものだ。
TVで力道山の活躍を観ることができなくても、TVがほしいとは思わなかった。
我が家にはながらく洗濯機も冷蔵庫もなかった。
TVが 入ったのはわたしが大学進学のため上京してからである。
いわゆる三種の神器が揃ったのは流行が一巡してからである。

我が家はなぜアメリカ流の文化的生活に惹かれにくかったのか?
それはブラジルで大袈裟に言うと原始から戦前までの人類の生活史を追体験して、質素倹約し、流行を追わないことが習い性になったからであろう。
贅沢と浪費をみると落ち着かない。
伝統的生活は不自由ではなかったか?
考え方が違うから不自由を感じなかった。
生活に最低限必要な道具はブラジルでも日本でも道具箱に揃っていた。
作ることも修理することもできた。
それに道具は耐久性に優れていて容易に壊れなかった。
ブラジルではドイツ製の刃物、イギリス製の鍬は摩滅して形状がくずれるまで使用できた。
今は安価だがすぐ壊れて買い換えるのが普通だ。

道具部屋、材料部屋がない分いまのほうが不自由だ。
注射器も浣腸器も薬品もあった。
かんなものみもあった。
足踏みミシンから針糸まで裁縫用具はなんでもあった。
太い麻糸で麻袋の穴をつくろうことも、細くて丈夫な糸で豚の不妊手術の縫合をすることもできた。
もちろんそれ用の刃物も針も消毒液もあった。

 

 



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