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友人タカコがオレゴンからやってきた。
めったに日本食を外で食べれないってことで、めんちゃんこ亭でラーメンをすすり、
カフェZAIYAにてビアードパパのシュークリームを食べた。
やってることが私はパターン化してきてるけどさ。
ZAIYAでシュークリームをほおばってると、母くらいの年齢の女性二人がやってきた。
NY、特にマンハッタンでは、なぜだか母くらいの年齢の女性はめったに見かけない。
ウサギのようにフカフカした毛皮を着こなし、ピンクのリップが似合う美人ママと、
おじゃまんが山田くんに出てきそうな、緑の帽子をかぶった、おっかさん。
「ここは、誰か座ってるのかしら?」残った弁当が置かれたままのテーブルを指差す。
「誰もこないから、座ってないと思いますよ」と、タカコが答える。
「それにしても何も食べてないわね、このお弁当」と、おっかさん。
ご飯しか食べずエビフライや酢の物に塩コンブなどが残してあった。
「白いご飯以外は、ほとんど食べてない。きっとアメリカ人が買って、食べれなかった
のかも」と私。
隣の席に座ったママとおっかさん。
しばらく私たちは別々に会話していたが、
徐々に互いの会話に口をはさむようになってきた。
「こっちに住んでるの?」おっかさんが問う。
「彼女はNYだけど、私は前に住んでいたんです」と、タカコが答える。
「私はクィーンズに住んでるの」と、おっかさん。
ママは、上品な言葉に、時折、英語がまざってしまいながら、
「私は、フィフティイヤーズこっちにいるの」と言った。
「え?フィフティーンですか?」聞こえにくかったので私は問い直した。
「ノーノー、フィフティーよ。主人が軍人でね。
50年前のNYは、よかったわよぉ~。夢に見ていた街そのままだったの。
ブロードウェイはステキだったし。街は美しい。
だけど、地下鉄でも殺人がおこるくらいに危険な時代がやってきて、
すっかりダメになってしまったわね。
もうマンハッタンへは滅多に出てこなかった。
日本にいる友人をNYに招くことさえできなかったわ。
今は、また少しだけマシになったから、こうして出てくる気になるけど」
「今は、どういう風に暮らしてるんですか?」母は、日本で整体の修行中だし、
NY在住のこの年代の女性は、
なにをして暮らしてるのか気になったので聞いてみた。
「食べ歩きね。もう息子も孫も成長してるから」とママが、おっかさんと目をあわせる。
「食べることが大好きなの二人とも。気があう友人と楽しくこうして過ごしてる。
だけど、こっちは平日いそがしいのよ」と、おっかさんの肩をたたくママ。
「なにをなさってるんですか?」タカコが聞く。
「子供のめんどうを見てるの」
どうやら、おっかさんはベイビーシッターをやってるらしい。
「自分の子のめんどう見るのも大変なのに、よその子のお世話してる
なんて、すごい尊敬します」と私。
しばし、家族のことや体調について私たちは語りあった。
「いいよねぇ~50年前のNY。きっとステキだったんだろうね。
私も見てみたかったな。
あんな風に、私たちも40年後には、昔はよかったのよ。なんて
知らない人たちに話しかけてんのかなぁ」タカコが遠くを見つめる。
「そうかもしれないね」と答えながらも、
ワシは、老人ダンスクラブでワイン片手に、ヨボヨボ爺さんらと
踊ってるか、カラオケマイクを握ってるな。と、昔話にひたらず、
現役でがんばってるであろう自分を想像した。
それでも、50年もNYに住んでる女性と話すのは、NYの生きた歴史知ることが
できてとっても楽しい。ママやおっかさんと、
もっともっと話がしたかったなぁ~。
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