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句会 ・・・ 俳句について

2016-11-26 09:25:59 | 日記

 

昨日(11月25)は句会がありました。

俳句を始めて約5ヶ月あまりが経過しました。

それまでは私の人生の中に

俳句の世界など皆無でした。

なので

テレビ番組のプレバトなんかは

見ていて俳人夏井いつきさんの添削の口調が

単に心地良いということで

楽しみにしていました。

 

 

しかし

知人のある方から俳句を勧められて

俳句を始めることになりました。

そうしますと

俳句の難しさや面白さを実感することになりました。

テレビ番組のプレバトの見方も変わりました。

 

しかし

俳句の根幹がまだ理解出来ていないという

情けない実態もあります。

 

そして、昨日は5回目の句会でした。

そして句会の参加にあたり

5句投句しなければならなかったのです。

その内1句は兼題「時雨」について詠むことが

求められていました。

 

ということで

素人の頭を絞り

無い頭をフル回転させて詠んだ句が次の通りです。

いずれも拙い句なので笑わないで下さい。

 

◆ 兼題 時雨・・ 夕時雨相合傘に街灯(アカ)り

◆ 秋桜に似て愛しきは君が笑み

◆ 燕の巣猫は見上げて舌つづみ

◆ ゆく秋や深い静寂(シジマ)に虫の声

◆ 曇り空紅(アカ)をおぎなう赤蜻蛉

 

句会では毎回勉強になりますね。

その度に俳句の難しさを実感しています。

 

しかし

この2ヶ月ほど

俳句に対して大きな疑問を抱いていました。

 

句会で月刊誌に触れる度に

五・七・五が当たり前のように崩されている

俳句を見ることが多くなりました。

それは

私にとって何か釈然としないものを

感じることになっていたのです。

俳句は五・七・五の3句17音からなる定型詩で

季題によって自然の風物

人事などを詠むことものだと思っていました。

だから五・七・五の三句の定型から成る

日本独自の短詩型文芸は

素晴らしいのだと思っているのです。

 

しかし

先人の偉大な俳人たちは

自分達の都合で色々な後付けを理由に

平然と五・七・五を崩している現実を実感する度に

何か受け入れることが出来ないものを感じていました。


 とはいえ

私は俳句そのものがまだ何ひとつ分かっていません。

なので偉そうなことなど

何ひとつ言えるものでもありません。

 

でも俳句は五・七・五なれぱ

俳句ではないと思うのですが ・・・。

 

俳句を始めた人に対して

必ず五・七・五で詠んで下さいと言われる中

多くの俳人たちは五・七・五を崩されています。

 

これでは俳句を学んでいく上で

何でも有りなのかという大きな疑問です。

 

これは俳句を学ぶ者にとりまして

なかなか受け止められません。

俳句を正しく理解し

上手く俳句を詠むことが出来るようになれば

五・七・五で無くても

俳句の心が上手く詠んでいれば問題ないという

考え方を受け入れるとしましたら

俳句自体が分からなくなってきます。

 

ということで

俳句を始めてまだ5ヶ月あまりしか

経過していないにも関わらず

俳句に対して

少し距離を置こうと考えました。

 

俳句の五・七・五について

正しく受け止めることが出来れば

もう1度

俳句を学びたいというのが

今の私の素直な気持ちです。

 

 

今日はこれから知人の方が

体調を崩されていることを知ったので

これから知人の方の家に行くことにします。

なので

今日のブログはの辺で終わりにしたいと思います。

 

 

では、皆さん

今日も素敵な一日で

ありますように