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死の表現について日本語の多さに驚きです ・・ そして絶滅 ?? 

2015-08-14 06:53:54 | 地球 生物 絶滅


前回のブログで

6度目の地球上の

すべての生物の絶滅について

書きましたが

 

絶滅とは

すなわち死です。

 

現在は西暦で2015年

これまで想像絶するほどの繁栄を

人間は実現してきました。

 

しかし

その反面

その繁栄だけではなく

地球上のすべての生物の生存危機を

招こうとしています。

人間は自らの行動によって

すべての生物の命を奪い去るほどの

悪行を重ねてきたのです。

 

そして

これから更に地球環境は悪化して

後戻りさえ出来なくなる

事態に進行しているのです。

 

今いる人類のすべての人たちは

子孫の繁栄を望んでいると思います。

 

しかし

その思いはそう遠くない日に

完全に裏切られることになるのでは

ないでしょうか。

 

そこで絶滅ではなく

まず

死について少し考えてみました。

 

日本は敗戦後

 

国民一人一人の頑張りで

想像を越える復興をしてきました。

 

しかし、その過程で

一昔と違って、人は

いかに生きるべきかという

教育の根幹がいつの間にか崩壊しました。

 

それと同時に

「死生観」というものが

大きく変わったと思います。

その結果

人間としてあるべき生き方

社会に対しての交わり方が

時代の変化と共に

古き良きものを失いながら

変貌してきました。

 

そして

人生80年と言われる時代では

生と死のあいだに

「老」と「病」という問題が

浮き彫りになっています。

そして、超高齢化社会は

寿命が延びた反面

死が遠くに追いやられる社会に

私たちは生きているのです。

その結果

日本人が伝統的に培ってきた

死生観は忘れ去られ

ひいては家族や人間関係の崩壊を

招いたようにも思えます。

 

生きる者すべて

いつかは死を向かえます。

 

その死に対して

死の「始末」を

(ある反面、生の始末でもあるかも ・・)

考えなければならない

時代であると思います。

 

昔、昔

武士は

いかに生きるかと同時に

いかに死すべきかを考えていました。

武士には

正しい生き方があるのと同じく

正しい死に方があったのです。

 

無論

天寿を全うして死ぬのが良いが

もし死なねばならない時に誇りを捨てて

不正義の中に生きることを

武士は選ばなかったのです。

いつでも死ねる勇気を持つことは

武士は正義の中で

生きる事になっていたのです。

 

そして

話は少し変わりますが

日本語の中で突出して

類語が多い言葉は

「死」 です。

 

日本語というのは

世界中でも

類語が実に多いのです。

つまり

ストレートな表現から

湾曲な言い回しまで

多種多様な言葉で

物事を表しています。

 

その中でも

突出して多い言葉が

「死」についてであります。

多分

驚くぐらいあると思われます。

つまり

日本人は人死に対して

特別な対応をしてきた結果で も

あると思います 。

 

 

では

考えられる言葉を羅列します。

 

 

生涯を終える

死去  最後(期)をとげる

天命を全うする 極楽往生

冥界へ旅立つ

とこしえの眠り  常世(の国)へ行く

永遠(とわ)の眠り  永遠(とわ)の別れ

臨終  雲の上の人なる

終焉  寿命が尽きる 

 

死ぬ  死す  没する

亡くなる  召される

帰らぬ人となる  死亡

死去  死没  

 

逝去  絶命

絶息  往生

永眠  他界

 

昇天  辞世

 

崩御

 

死滅  大往生

絶え入る  他界 (する )

大化畢(だいかひつ)

土に返る(還え)  露と消える

天外へ飛び失せる

天国に昇る  天国へ行く

天国へ招かれる

帰らぬ人となる  こと切れる  

亡くなる  事切れる

果てる  永眠する

没する 逝去する

絶え入る  崩ずる

逝く

過去の人となる

神様に召される

神様のお召しにあずかる

神の許にいくあの世へ(に)行く

あの世へずらかる

泡と消える

息が絶える 、途絶える

息の根を止める

息を止める 、引き取る

一生を終える

命が消える

命が尽きる

命が果てる

命の終焉を迎える

命を失う

命を終える

命を落とす

命を絶つ

命を天に返す

命を全うする

雲の上人になる

永遠に逝く

永遠の眠りにつく

永遠の別れ

白玉楼中の人となる

彼岸にわたる

不帰の客 (人)となる

不言人となる

黄泉の国を訪れる(に行く)

黄泉路をたどる(に赴く)

 

 

などなど

他にも多々あり

漢語や古語を使った言葉まで

挙げたらきりがないぐらい

あると思います。

 

生きる物すべて

いつかは死にます。

そして

人間にとっても死は避けられません。

それをなるべく

ストレートに言いたくないという

人々の思いから

これほど沢山の類語が

生まれたのではないかと

考えます。

 

頭の整理がつかないまま

これまで長々と支離滅裂な事を書きましたが

私が言いたかったことは

たったひとつだけなのです。

 

これだけ美しい表現がある

「死」 について

「絶滅」 という悲惨な言葉で

人の死を表現して良いのだろうかと

いうことです。

 

6度目の絶滅

 

この死には何一つ

美しいものはありません。

 

 

何なんだ  ・・・

 

 

絶望ではないか ??

 

 

人間の尊厳

人間が人間らしくあることを

許さない

絶滅

 

もはや人間は

最悪の生物で

死の尊厳さえも

無残に葬去ろうと

しているのです。

 

絶滅

 

とんでもない   ・・・

 

 

 

 

 

皆さん

 

 美しい水の惑星・地球に

私たちは生き続け

いつまでも素晴らしい平和な社会で

ささやかな幸せを

感じることが出来ればと

思いませんか。

 

あなたに幸あり

 

 

 


6度目の大絶滅。人類は生き延びられるか? ・・ に思ったこと ・・

2015-08-13 10:10:28 | 地球 生物 絶滅

 

私はサイエンス記事が好きなので

昨日

時間がある時に色々検索していましたら

サイエンス関係で一番アクセスのあったのは

衝撃の内容がありました。

とは言え

今、地球環境を考えますと

残念ですが

以外でもなく驚きでもない

いずれ来るときが来るという

感想ですね。

 

ではその記事の内容とは

 

六度目の大絶滅

人類は生き延びられるか ?

 

というものです。

 

 

これまで(5億年)地球は

5度の大量絶滅を経験しているそうです。

 

気候変動

氷河期

火山の噴火

巨大な隕石の落下

などなど

 

いずれも自然の有り様が

原因です。

 

しかし

6度目とになると予測されています

生物絶命の原因は

明らかに

人間によるものです。

 

私たちは地球環境の変化を

毎日の生活の中で

多かれ少なかれ

感じていると思います。

 

地球温暖化と言われ続けて

何年になるのか

覚えていませんが

 

人間は相変わらず

国のエゴ

企業のエゴ

個人のエゴ

などなどで

(いずれも人間のエゴです)

地球環境を破壊し続けてきました。

 

そして相変わらず

危機感もなく

環境よりも

成長を重視しています。

 

6度目の生物の絶滅が直面していることは

日々の生活の中では

切羽詰まる危機感には

つながっていないでしょうが

いずれ

誰もが地球環境はは壊れると

多くの人が思っているのでは

ないでしょうか。

 

米『サイエンス・アドバンシズ』6月19日号に発表された

最新の研究によれば

現在の生物種の絶滅ペースは

100倍も速いという。

 

2015年

一般ノンフィクション部門で

ピュリツァー賞を受賞した

『6度目の大絶滅』の著者である

ジャーナリストのエリザベス・コルバート氏は

 

無頓着に環境を破壊し続けてきた人類は

みずからの所業によって

破滅するしかないのだろう

と言っています。

 

今日

地球上の多くの生物種が

絶滅しているのは

人類のせいではないと

誰が主張出来るのでしょう。

 

国連って

何の仕事をしているのでしょう。

私のような一人間には

何も見えてきません。

そして

人間は

自らの歴史の中で

醜い争い(戦争など)ばかり

しています。

 

万が一というか

間違いなくあるであろうと考えられる

地球上の生物の大量絶滅

そして

その大量絶滅以前の生物多様性を回復するまでには

数百万年かかると考えられています。

そうなると

間違いなく

人間など存在していません。

 

いずれにしても

明らかなのは

これから過去の大量絶滅とは違う

速いペースで生物種が失われていくという

事実です。

 

悲しい 哀しい ことですが

避けられないことではないかと

想像します。

 

現在の地球環境の変化を

深く考えることなく

異常な現実を受け入れたままで

終わるのでしょうか。

 

もし

もしですよ

万にひとつ生き残ることはないと思いますが

あなたが万が一

生き残ったとしても

多くの生物種が失われた世界で

生きていきたいですか?

あるいは

私たちの子孫が

そうした世界で生きていけると思いますか?

暮らしてほしいと思いますか?

 

地球上の生物の絶滅では

すべてが無になって

人間の歴史など

どこにも足跡などないのです。

 

そして

地球上に再び

生命を宿し

新たな生物が地球を

制覇した時

地面の下から人類が築いた遺跡なとが

出てきた時

なんだかんだと

想像されるだけの話です。

 

なんと愚かな低次元な時代の遺跡

ではないかと  ・・・。

 

なんと空しい

なんと儚く哀しい

有り様ではないか。

 

人間って

素晴らしい能力を得ているにもかかわらず

生物の中で最も

醜い生き物かもしれませんね。

 

こんなことを考えていましたら

人生って何だろう と  ・・・。

 

でも、生がある限り

どうあれ

一生懸命に生きることが

人間としての使命ですよね。

 

深く考えいたら

生きて行けないかもしれませんよね。

 

少し違うかもしれませんが

ひょっとしたら

このような思いが

世の中全体に蔓延し

すべてが他人事になっている

社会って

絶滅の一歩かもしれません。

 

折角ですから

今度は死について少しだけ

書いてみたいです。

日本人の死についての

思いをです。

 

 

昨夜から雨が降っていましたが

木々が緑に溢れています。

吹き抜ける風が爽やかです。

そして

綺麗な空も見ることが出来ます。

 

こんな在り来たりの風景が

いつまでも感じられたら

いいな と 思う朝でした。

 

 

今日は少しだけ涼しいかもしれませんが

この変化が体には

危険です。

皆さん

気を付けて生活して下さい。

 

では

素敵な一日で

ありますように