モノと心の独り言

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働かない政治屋と、働きたい若者や高齢者

2011-02-22 03:24:26 | 暮らし・街・環境
脱官僚をうそぶく政治屋が票を切り札に職場放棄!
官僚と政治家は政治の両輪であったはず。
街を歩き・明日を語る政治家が、限られた資源を施策に振り分け、
官僚は、その施行と結果の検証を続ける立場では?

今、世界企業化を進めて、国家収支のバランスをとり、
地域サービスを子どもから高齢者まで参加型にして、
伴にはたらき楽しむ文化を残してゆけば、
だれもが生きやすい国になる。

長い受験のあとは、不要な人材選別が待っている。
 (そりゃそうだ、工業化・情報合理化だけでは、労働力は少ない方がいい)
長い労働のあとも、不足な老後がまっている。
 (そりゃそうだ、余剰な収入で貯蓄・保険を積んでも、比べればきりがない。)
長寿のあとは、孤独が待っている。
 (最適な能力・最適な地域は変わり続け、長生きするほど家族が分散、地域は分解)
だから、成り立ち・経緯の違いを反映した制度を守る国という枠組みが、
より必要になってきた。

少なくとの、日本という聖域の中だけでも、
モノやサービスの消費者と生産者を分けきるのは、止めよう。
「ベニスの商人」のように、
地域内交換と地域外交易は、異なるシステムで動くのだ。
参考:ベニスの商人の資本論

何故?
交換できるものと、交換できないものがあるし、
交感できるひとと、交感できないひともいる。
お互いに認め合うことと、等価物で入れ替えることは違う。
差異は、価格ではなく、感性なのだ。
自身で感じる差異は、日々あたりまえのことも、限りなく楽しみ・会えるのだから。

老いも若きも、男も女も、働きつづけてきた島国日本。
働ける楽しさは、派遣やフリーターが一番知っているかもしれない。

(ほら、私も独り言なんか言っていないで、働け・端楽け!)

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