* 昨年封切られ、DVDも出て、やっと観て 独り言。
この是枝裕和 監督の『幻の光』のシーンで、
夫の理解できない自殺の後、
主役の江角マキ子がただ無意識に歩き続けるシーンを思い出した。
丁度、その歩んでいる光景が、
この「誰も知らない」子供達の歩みに、重なってきた。
「誰も知らない」
というよりは、
”誰も、知ろうとしない”
大人でも子供でも、
自分の子でも他人の子でも . . . 本文を読む
フランスのエンキ・ビラル監督「ゴッド・ディーバ:GOD DIVA]を観る。
(これは、面白くて、メモ書きした、オタクの独り言)
ゴッド・ディーバ GOD DIVAでは、
宇宙から地球への侵入口に生まれたジルの、
体内の混沌が徐々に組織化されて、女性となって
エジプト神ホルスがわが身をかけてのり移った革命詩人ニコポルとの
子供が生まれ、人間の世が続く・・・
という遺伝子的な愛の物語なのでしょうか . . . 本文を読む
今のTVバラエティ番組の印象は、たとえ録画であろうが
スタジオと視聴者の場所との同時性、同空間性だろう。
一方通行だという、物足りなさと、覗き見的な安心感の両方が感じられる。
最近のTV電話は、これが双方向になる。
一言で、TV電話といっても、
携帯の小さな画面で、暗い照明で経験した人、
ネットでも遅いスピードで、ガクガクした画面で見た人、
業務用のTV電話システムを、アシスタント付きで使った人 . . . 本文を読む
ニュースもメッセージとして、
ライフスタイルやテーマ別話題とそこでの商品情報と同列に扱ってみる。
すると、メディアから、メッセージの制作者・編集者が独立してゆくのがわかる。
メディア自体、
印刷技術の分野では、印刷機能と取材・編集機能は分かれてきた。
新聞社や個人メディアは自主印刷を行うが、
多くの印刷会社は、メディア編集事業者とは分離している。
放送は、その機器・設備が巨額というだけでな . . . 本文を読む
報道が伝えるのは"ニュース”?
ニュースってなんだろう?
遡って考えると、
生命持続のために、環境から受ける刺激が"ニュース”?
エネルギーの摂取と危害・危険にたいする刺激?
生命が環境の変化に適応し続けた結果の一つの形が、
社会的なシステムを築いたのが人類の刺激とは?
その社会システムが資本市場に支えられているとしたら、
環境と人間関係の刺激は、ニュースという価格の付かない情報と
商品という価 . . . 本文を読む
メッセージ・メディアのコスト構造に、ジャーナリズムを載せてみると
このような図になる。
パーソナル・メディアに既存ジャーナリズムが溢れてくると、
そのコストが曖昧になる。
グーグルとロイター、
ライブドアと朝日新聞など、
ニュースサイトの記事検索掲載に関する再調整が必要になってくる。
また、市民ジャーナリズムと商業ジャーナリズムの関係も、
パーソナル・メディアでは、曖昧になってくるのが解る。 . . . 本文を読む
メッセージの制作者、メディア・流通サービス者、商品の販売者、メディアと商品の利用・購買者を図示し、コストの関係を示してみる。
メッセージの制作は、アーティストとかクリエイターなど
メッセージとメディアをつなぐ人たちは、プロデューサーとかディレクターなど
メディアを維持しているのは、通信・放送・印刷・出版・流通関係者
メッセージをメディアを通じて消費しているのが、視聴者・読者
メッセージの流れに、 . . . 本文を読む
・メディア融合化
既存メディア+IPネットワーク+携帯電話は、
世界から個人までスケーラブルに繋いでしまった。
その技術的・社会システム的統合は急速に進んでいる。
・ソーシャル・コミュニケーション
そこでは、関わりあう行為者間のコミュニケーション頻度・間隔・持続性が、
その社会的な舞台の大きさ、つまり社会コンセンサスに関わる。
これを、公共的なメディア舞台のジャーナリズ . . . 本文を読む
社会ネットワーク分析からジャーナリズムを考えれば、
取材されている人、取材する人、編集する人、発信する人が、
すべて同じメディア・ツールを持ってしまう極限状況を想定できる。
図の中で、行為者を、人、組織、集団、業界と置き換えて考えてみると、
市民ジャーナリズムから、商業メディア、市場活動、国家行動などが
仮想思考できる。
ジャーナリズムという社会要因は、政治・企業活動・市民行動などの外にいるの . . . 本文を読む
「ネット時代のジャーナリズムの行方」考
ジャーナリズムの構成要素を検討すると、もはや「ジャーナリズム」ではなく、
「ソーシャル・コミュニケーション」という呼び方が適切のような気がする。
<分析>
「ジャーナリズム」を、
共通の対象に対する観察者からのメッセージの集積や応答の結果だと仮定する。
ここでの要素は、
1.共通の対象、2.当事者ではない観察+発言者、3.メッセージを収集し・公表し・応答で . . . 本文を読む
ライブドア、ニッポン放送、フジテレビの資本問題から話題になった、
「ネットとメディアの融合」を考える。
日経BP ビジネススタイル藤代 裕之@ガ島通信
ネットとメディアという括りを、分解すると
ネットワーク・・・通信回線・放送チャネル という伝送路の問題と、
そこを流れるコンテンツ:映像・音楽・メッセージ・・・の問題に分かれる。
更に、情報の発生から受信までの流れで別けて考えれば、 . . . 本文を読む
日経BP、「メディア通信融合論の行方」での、
映像・音楽などのパッケージ・コンテンツ市場とCM市場との比較が面白い。
CMの配信こそ、ネットとTV(放送)の競合する場だとの視点です。
<映像・音楽コンテンツの市場規模は1.5兆円程度ということになる。これに対して日本の広告市場規模は5.8兆円、そのうちテレビ・ラジオの広告市場だけで見ても2.2兆円の市場規模>
映像・音楽は、映画館・演奏会場から、 . . . 本文を読む
メディアで伝えられてくる郵政省民営化の政治家の発言では、
預貯金の金の流れの検証へとは向かわず、
「政治屋」の心情的な言葉に終始し、
視聴者をウンザリさせて飽きさせる。
補欠選挙で叫ぶ政治家の公言もまた心情的で、
それを聞いて選ぶ選挙民も、心情的なのだと痛感する。
しかし、世界経済は、天然資源以上に消費資源をもとめ、
金融自体も商品化した金融市場ルールで動いていて、
国家経済は、そのルールで戦う . . . 本文を読む
ジャーナリズムも取材する・される立場が相対化し、
マス・メディアがバラエティー番組化してゆくのは、
お笑い芸人とニュースキャスターの台頭に象徴される。
マス・メディアでは、
専門家や権威者は、相対的な消耗品となりつつある。
市民もまた、肖像権・個人情報の保護などの人権主張で、
舞台に上げにくくなっている。
代わりに、仲介者としてのニュースキャスターやお笑い芸人のが主役。
社会的な事実と人間の心情 . . . 本文を読む