モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

”レイチェル” と ”素子”

2004-12-31 10:12:45 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
”レイチェル”  と "素子” 『ブレードランナー』:『攻殻機動隊ーGoast in the shell、Inocence』 レプリカント    :  サイボーグ 遺伝子工学     :  臓器移植 記憶        :  記号 クオリア      :  メタファー 身体へ       :  ネットへ 依存する二人    :  繫がっている二人 ロイ        :  人形使い  . . . 本文を読む

「存在的メディア論」に眼をとおして

2004-12-27 09:23:40 | 基本的なコト
「存在論的メディア論」 ハイデガーとヴィリリオ  和田伸一郎 著、新曜社 2004年12月20日発刊  に眼を通した。 存在をしている実感があった頃、 コトの変化を、身体にしっくりと染み付けて暮らしていた頃は、 “ワタシ”の場所も時間も、もっとくっきりしていた。 変わったのは、技術による速度だった。 電話がなぜ嫌いなのか、分かった。 身体の居ない他所が、ここに現われるから、 “後ずさり”する . . . 本文を読む

青山劇場で

2004-12-23 17:12:29 | 暮らし・街・環境
青山劇場前、 丁度、今かかっている「West Side Story」が終わったとこ、 ぞろぞろ、ぞろぞろ 女性ばかりがなだれ出てきたと思ったら、 入り口の柱を巻いた掲示のところで、 やおら携帯をかざして、 カシャ!カシャ!カシャ! もー、ひたすら、とり憑かれたように、 次々と、カシャ!カシャ!カシャ! そして、渋谷駅までの道、興奮冷めやらない人が 帯のように続いて歩いているのです。 . . . 本文を読む

家庭と家族

2004-12-23 06:28:48 | 暮らし・街・環境
”日本は家族主義ではない!” というような話を、 <文明論から見た家庭と家族 - 梅棹忠夫   「家の中を認知科学する」 新曜社 > が記しています。 明治政府が日本の家族の伝統として、 一部の武家社会の伝統をイエ制度として、 多くの農民・町民の生活とのズレに苦しんできたとのことです。 家族という共同体ではなく、農村の村と同じような利益社会ではなかったかとのこと。 江戸時代の農民・町人は、長子相続 . . . 本文を読む

先端まちづくり学校

2004-12-19 08:06:41 | 暮らし・街・環境
西暦でいう2004年12月19日も、 旧暦(太陰太陽暦)でいえばまだ秋、 11月8日、霜月 駒場リサーチパーク 鉄+ガラス+コンクリートの新研究棟や、 年月を経たレンガ棟の色の深さの下、 今年の銀杏の葉も散って、 古い幹の力強さが残ります。 広葉樹林の下、 落ち葉がつくる土が1mmできるまでには、 100年がかかるとか・・・ 先端まちづくり学校にて、 「まちづくりと新たな財源」を学ぶ週末で . . . 本文を読む

渋谷、八公の心配

2004-12-18 08:54:18 | 暮らし・街・環境
誰もが迷子になる街、東京で、 渋谷のハチ公は、人を待つ象徴の一つ ”出会い”すらゲームやビジネスになる時代、 今日も、多くの人と人の出会いを見ていると、 自分をまず満足させようとすれば、 相手をとっかえ、ひっかえ、 相手に要求するばっかりで、 いずれ迷子になるかもと、 心配顔で見ています。 . . . 本文を読む

「東京物語」と「ベルリン・天使の詩」

2004-12-09 22:18:34 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
小津安二郎の「東京物語」は、 確かな街、尾道から、 巣立った子供達が暮らす、見えない街東京へ、 孫、子供達との距離が増し、 妻が先立ち、 確かだった暮らしが、形をうしなってゆく ”有”から、”無”へ 「東京画」で、小津安二郎監督へのオマージュを描いた ヴィム・ベンダースの「ベルリン・天使の詩」 廃墟から立ち上がりつつあるベルリン 壁にかこまれ、だれも迷子になれない町 重さも、温かさもない天使が . . . 本文を読む

歌も踊りもコトバ

2004-12-08 07:15:54 | コミュニケーション-メディア
”韓流”の前には、日本の「おしん」や、「トレンディー」ドラマも在ったし、 Jポップスがラジカセ、衛星放送、CD・・・でアジアにひろがった。 ネットで曲を引っぱり出せるようになってくると、 年代も、地域も、言語の違いを超えて、 身体で感じあえることもある。 ある中国映画の中で、 「こんなに感動したんだから、言葉だけではなくって  歌でないと伝えきれない・・・」と、  歌いだし、踊りだす場面があっ . . . 本文を読む

韓国ドラマに国づくりの意識を観る

2004-12-07 10:16:29 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
物理的に生きることは、他の生命にとって暴力だし、 家庭でも街でも、社会が組織化されることは政治だろう。 コトバや叫び、身体の衝動が、 男と女のかかわりの中で育ち、 歌や祭となり、 定型化された生活の文化となり、 同時に、政治でありつづけることは変わらない。 米国では、欧州と違う”永遠のフロンティア”という米国生活意識を、 歌・映画・TVドラマがをつくってきた。 ウエスタン・ゴスペル・ソウル・ジャ . . . 本文を読む