コミュニケーションとメディアの連続性を考えるとき、
①アクション・リアクション、
②コミュニケーション、
③メディア
という3つのモデルが考えられる。
社会活動が複雑になると、コマンドでアクション・リアクションする
抽象化した機能接合:ファンクショナリーとして扱えなくなる。
生命は、コンテクストを共有して何らかの関係を作り、
刺激を社会化したメディアに変える。
メッセージがコンテンツに . . . 本文を読む
社会的なメッセージとして、ジャーナリズムを捉え、
メッセージ・ニュース・エンターティメントの隔たりはなにかと
今まで書き留めてみたことを思い出してみる。
メディアの入り口、ジャーナリズム
メディアのカオスは、身体性により自己組織化されてゆく
ホリエモンのビデオカメラ から - ジャーナリズム考
お笑い芸人とニュースキャスター
映像・音楽コンテンツもCMも、コストからみれば
「ネットとメディアの融 . . . 本文を読む
ネットとTVの連携の途 3/3
4マスといわれるTV・新聞・雑誌・ラジオでの新聞も、WEB検索時間のほうが長くなっているという米国のレポートも届く。しかし、雑誌では、週刊誌、月刊誌の対極に、折込という分野(印刷というメディア・チャネルの上で)が、存在し続けている。そして、LAでは、屋外広告の需要高が続いている。ラジオでは、PodCastingなど、音声系のラジオ制作局がチャンスなのか危機なのか、騒 . . . 本文を読む
<市民にとって、メディアとは>シンポジウムで
25日、パソコン再生などの活動をしているNPOイーパーツなどが主催した
市民メディアを考えるシンポジウムを聴取した。
九州山江村で「住民ディレクター」を展開している岸本氏、電通NGOの
広告からアースデー、キャンドルナイト、ホワイトバンドなどを手がけてきた
NPO広告メディアクリエイティブ「サステナ」のマエキタミヤコ氏などが
基調講演とパネリストを務め . . . 本文を読む
「団塊世代のブログ、Wiki・・・」につづく
ブログを、表現するひとから捉えると、”自己セラピー”が、ほぼ1/3とのアンケート結果がででた。
AOL ブログアンケート結果
米国は、母国をはなれた移民の国で、
宗教的な自由も求めたように、社会的な背景を、意識してつくってきた国だ。
心理学が、セラピーとしてのサービス商品になっており、
多くの人が家族や地域社会とは別にセラピストのサービスを受ける。
. . . 本文を読む
「このブログとWiki の背景」
よりつづく
豊穣な大衆社会を実現した日本で、
職域を離れようとする団塊世代の背景を、
社会構造として考えると、この「意識時代」図となる。
古代・封建時代が、制度により、
市場・生産時代が、市場により動いてきた上に、
意識の時代は、個人が外部と照応する
多様な意識に生きる時代だと考える。
生産・市場の横軸から踏み外せる子育てからはなれた女性は、
すでに多様な . . . 本文を読む
「団塊世代AのブログからWikiへ」の背景
超-少子・高齢化時代の地域社会基盤作りというテーマで
”いい・こみゅにてぃ世田谷”を立ち上げ、地域の人に渡してきた。
市民活動が盛んだといわれている世田谷の中でも確かめられたことの一つは、
団塊世代の男性(地域外の組織で活動している人)の殆どは、
まだその職域コミュニティにいて、家庭を維持し、楽しむことが精一杯で、
地域やテーマ・コミュニティを持ってい . . . 本文を読む
この一年のブログで、渋谷に拠点を移して、感じたこと、考えていたこと、
自分に確かめるように、何でも表現してみた。
結論としてはブログは、団塊世代が職域から家庭に篭らず、地域・テーマのコミュニティーに参加してゆくいい手段だと感じた。
自己表現しながら、相手との関わりを探り合える、方法だ。
初めての人に会うとき、名刺に書かれた monologとしてのブログ・アドレスで、コトバや感性の手がかりが掴み合え . . . 本文を読む
「・・・・公共性を考える」 からのつづき
<共同幻想から、共感幻想へ>
近代的個人による公共社会、民主主義は、
人間の自律、自己主張の神話のうえにたつ
価値ある<共同幻想>だった。
しかし、コミュニケーション・メディア・ネットワークの中で
人間という個体の境界が崩壊しだすと、ナルシズムも分裂する。
互いへの視線を弱め、相手の瞳に写る自分を見、
メディアの中のモデルとの差異を埋めようとする。
. . . 本文を読む
映画『天井桟敷の人々』を、19世紀前半のパリを知る感覚で見た。
<自己演出と自己隠蔽>
商業市場から工業市場へと、都市が膨張しだした時代。
芸の場が王侯貴族のサロンから街に出て、
大道・小屋から、劇場へと舞台を構えてゆく時代。
それは、神の世界を現す芸が、芸術へと独立しだし、
村祭り・カーニバルの流民が、芸人へと舞台に上がり始めた時代の物語だった。
都市の主役は、流浪してきた芸人たち、
革命後 . . . 本文を読む
メディアの写像は、ビルにラップされ、
街を歩く人の心象に焼きこまれる。
焼きこまれたまま鏡に向かい、
街にでる。
街に出ることもまた、
メディアと競演することでもある。
そう、イタリアの街で声をかけられるように
写像と鏡像の視線に身を委ねる。
. . . 本文を読む
駅を降りる、
見る・見られる関係の街、渋谷も、
ここまで、来たよ
<Qフロントのビジョンがビルのパッケージングになった。
静止した画像の強さを、再認識、
LAでは、屋外広告スペースの需要が高まってきている。
ネットメディアと生活空間画像・映像と、
機械のまなざしが、生活に街に降り注ぐ> . . . 本文を読む
国政の変化が、縮小に向かうとすれば、
地方自治活動の拡大が、他方になければ成り立たない。
地方自治体を支える地域市民が、地域の価値を自覚し、
協調して、育て、生活価値を共感できなければ、
自治体もまた、世界市場での運営組織となって、
市民は、世界市場製品・サービスの消費者となる。
さらに、人材の生産組織である、家族・家庭の維持も、
その投資額と見返りで計算され、
自身の消費生活維持のためには、 . . . 本文を読む
<政治の背景の変化>
選挙・政治を通じて、日常の生活・活動・事業などを考えていると、
結局、背景が変わってきているということに気づく。
それは、交通・運輸の時代から、情報ネットワークの時代へと、
いわゆる情報先行社会へと構造が変わっていることなのだ。
これまでの議会は、多数の王侯・貴族との階層間抗争の場から発している。
日本の参議院は、貴族院が改名されたもので、
明治維新の改革武士や旧藩主な . . . 本文を読む
選挙も終わり、もう1、2日すれば、マスメディアの扱いも減るだろう。
この選挙はなんだったのか?
人脈・金脈・政策など、政治の要素はいろいろあるけど、
一言でいえば、政策を進める政党政治が選ばれたという感触です。
<政策政治には、観察力・表現力・記録力・検討力がいる>
西欧での民主主義・政党政策の決定プロセスからいえば、
今回は、政権を維持した前選挙での公約への実現に対して、
政党内でまとまら . . . 本文を読む