モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

「行為の代数学」フラクタルな自己組織化の基点として

2005-11-27 10:16:42 | 基本的なコト
「行為の代数学」 大澤真幸著 存在の基点を、行為=指し示すこととし、 スペンサー・ブラウンの算法の形式と見合うことを示す。 この、指し示しを遂行する身体の自身への関与から、 時間・意味・伝達・権力へ、 第三者の審級と自己準拠的な指し示しの社会的システムの 基点を明らかにする。 言葉の心情に流れたり、弁証法に納まらない、 代数学という論理で描きと通すところが基点足るゆえ。 209頁からの、回路図の . . . 本文を読む

「知覚の宙吊り」、注意のイリュージョン

2005-11-22 09:17:53 | コミュニケーション-メディア
  「ファンクション・・     「意図すること・機能すること・・・      「共感すること・・・・   ・・・コピーすること・・   から、”注意”という概念に近づいて 「知覚の宙吊り」ジョナサン・クレーリー著を通読した。 近代を借り物の言葉で走ってしまった日本は、 西欧での近世から近代の感性の転換を、 同じようには体験していないことが分かる。 この本は、 モネ、スーラ、セザンヌと知覚と表 . . . 本文を読む

「ご臨終メディア -質問しないマスコミと一人で考えない日本人」

2005-11-22 08:19:00 | コミュニケーション-メディア
11月21日夜は、「ご臨終メディア -質問しないマスコミと一人で考えない日本人」 対談を書いた森達也氏、森巣博氏の 青山ブックスセンター主催のトーク・ライブを聞いた。 本の内容は、 報道人への志の喚起と、(マス)メディアを消費する日本人への警告という印象です。 映像の仕事をする森氏は、 TVという強大なマス・メディア・チャネルでの、 情報の単純化を憂います。 20世紀の情動的な流動社会は、映画と . . . 本文を読む

「メディア写真論」には、団塊世代へのメッセージが?

2005-11-17 09:14:44 | コミュニケーション-メディア
高齢化社会とか2007年問題・団塊世代とか、 課題・市場・メディアは、常に連動して動く。 「メディア写真論―メディア社会の中の写真を考える」佐野 寛 著 一見メディア論・写真論とみえるこの著作、 実は十分団塊世代向き生活論だと、一気に読み込んでしまいました。 内容は、”写真”をメディアと捉え、その機能の歴史をたどります。 そして、”写す人、「写真」、「メディア装置」、見る人” という構造が、 . . . 本文を読む

渋谷で、いろいろな人と一緒に花を植えることは・・・

2005-11-14 08:04:43 | 暮らし・街・環境
ケヤキ並木も美しいけれど、 今日からは「道玄坂 花 はな 計画」 いろいろな人と、花を植え、身体を動かして、 ひと遊びできました。 「何かいいことしている」という以前に、 いろいろな人と一緒に動いて、気分を共にすることは、 自身のこわばりが解ける、遊びみたいな気分でした。 いい・こみゅにてぃ世田谷活動での、 裏方の仕事気分とは、かなり違います。 この計画のきっかけは、7月12日 NPO法人  . . . 本文を読む

通貨の強度から、意識の強度へ、即自・対自+開自:コミュニケーション・メディア 

2005-11-12 11:41:29 | 基本的なコト
意識の強度は、即自・対自のコミュニケーションとメディアの問題だ、とフランス暴動から遠く離れて で記した。 即自の強度は、自身の場、ローカルに支えられる。 このローカルは、時空間でもあり、コンテキストでもある。  即自がグローバルを意識するのは、  複雑系の全組織化を目指す楽天的科学主義か、  絶対距離を置く神と名乗るようなものだ。  逆説的だが、通貨自体がグローバル化したとき、  神に代わろうと . . . 本文を読む

フランス暴動から遠く離れて、アングロサクソン・モデル、イスラム・モデル、自然モデル

2005-11-11 09:40:20 | 基本的なコト
テロから暴動へ、 フランス暴動は、生存戦争が市場競合へと転化しきれない社会的なエントロピーが、ユビキタス社会化により顕在化している現象なのだろうか? 他山の石というよりは、 「蜘蛛の糸」芥川龍之介著の糸を上っているつもりの私から見ていると、社会に対する無力感だけが募る。 住宅と雇用の差別だとか、アフリカからの移民との民族の対立とか、キリスト教とイスラム教という宗教の対立とか 分析・理解しても何 . . . 本文を読む

近代のこちら側、”箱の家”とMUJI

2005-11-10 07:14:08 | 暮らし・街・環境
”箱の家”の難波和彦氏とMUJIとの協作、 MUJI+INFILL世田谷モデルハウスを拝見し、 一夜明けると、昔読んだ、阿部次郎著の「三太郎の日記」が思い出された。 近代を歩む大正期の小説には、近世の社会関係だけでなく 背景としての自然の猛威・干渉から、自律しようとする自意識があった。 素材・構造・設備による環境からの自律 箱という記号性による、社会状況からの自律 その自律の一室空間を支える . . . 本文を読む

アートとメディア・アートのウロボロス

2005-11-09 08:42:20 | コミュニケーション-メディア
台湾から帰って、渋谷駅地下街を通り、 フードショー、TSUTAYAなどと 昔からのファッション・雑貨店などが混在していて、 台北と似ているなと思いつつ、青山通りへ向かう。 青山ブックセンター本店へ 降りる目に飛び込んできたのは、 戦車、 そして、曲げられた砲身の先に花、 この場での武器という違和感、 原寸の大きさや色が、 バルーンの軽さを超えて 強い刺激となっている。 これは、”RETIRE . . . 本文を読む