モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

いいね!から、そうなんだ!

2012-03-22 06:13:06 | コミュニケーション-メディア

Facebookなどのソーシャル・ディアには、’いいね’とか、’拍手’とか、緩い関係づくりの仕掛けがある。

アクセス数至上のランキングよりは、理解と好意の表明になるようだ。

しかし、好意と同意は同じでないので、なかなか押しづらい。

 

またトモダチという表現も、友達とは違う。’ともだち’とも、違うのが日本語の多重言語性。

このビミョーさが、好きなのだが、いつのまにか友達がトモダチになってしまっている気もする。

 

息子から教わった好きなことば、    「そーなんだ」

これは、「そーなんだ!」とも、「そーなんだ・・・・」とも、とれるけど、まだどちらでもない。

相手のことをしっかり受け止めたという表明まで。

認めるというには、おこがましいではないか。

 

’トモダチ’は、スモールワールド理論からの人をツナグ手がかり。

’ツナグ’のが、’繋ぐ’でないのは、お互いを束縛しない緩さだから。

束縛しない故に、相手の反応を必ず期待するものではない。

期待しあい、義務化されていた村社会から都会へでたときの自由は、

より少ない人との持続する束縛から逃れた故。

 

今、ツナグのも、ツナガレルのも緩い関係を是とすれば、

絆は、キズナ。

都合のいいときには寄付金やボランティアができるけど、

身を捨てて、自分の立場を別にして、対応するのは無理。

 

そんな振る舞いの人が集まるための政治は、当然保身と・利権誘導。

そんな政治には、’そーなんだ’と、態度保留で望むしかない。

政治で世を動かすのは心許ない。

自然と人との意識を総合したセンサーとコミュニケーションのデータに頼りたいのだ。

トモダチも友達も、その応答回数・応答の直近さ・応答時間の違い。

これは、Recency-Frequency-Amount の、マーケッティング指標なのだ。

つねに、変化の途中であり、うたかたの あはれさ・あっぱれさ・・・

 

’契る’というコトバは難しい。’チギル’、’ちぎる’・・・・

契約というコトバとは別世界。ことほど左様に、文化は身体。

 

 


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1 コメント

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ビッグデータばかりに頼るのではない (バカボンの叔父)
2012-03-22 16:09:38

センサーとコミュニケーションのデータといえば、クラウド化で話題になるビッグデータ。
人が恣意的に表現できることと表現できないこと、センサーの設定で検知できることと出来ないこと、その複雑系を越えるのは、自己生成を続けるコミュニケーションと未来のその場・その時を想定する決断。
決断とは、多くのこと断ち切り、あきらめることでもある。いいとこ取りのWin×Winも、なにが良いのか割り切りる、切り捨てがあってこそ成り立つ。
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