モノと心の独り言

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『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』 下西風澄著を読み終えて、「モノと心の独り言」の道筋が

2023-12-17 02:15:08 | ブログ「モノと心の独り言」のご案内

『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』 下西風澄著を読み終えて、

『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』 下西風澄 著を読み終えて、
続けてきたこのブログ「モノと心の独り言」の、辿っている道筋がみえてきた。

文明開化を実践しようとした夏目漱石は、日本のヴァーチャルな『自然』と『主体』との困難に、引き裂かれた。
私はその逆に、戦後の米国教育での意識による行動に、自分の身体が裏切ったことにこだわり続けてきた。
その自己批判は、まるでキリスト教の原罪のように、その解き明かしを、仕事と生活の現場に求めてきた。
この『モノと心の独りごと』は、50歳を過ぎてからの記録です。
コミュニケーションの始まり

ビデオカメラを買って、映像で取材記録をはじめながら、辿ってきたのが心理学・認知科学・行動科学などと都市空間・まちづくりの環境分野。
コロナ禍中の公園散歩習慣から、日本の花鳥風月を言葉ではなく体感してみると、意識とは、環境の中、動き・感じる身体、頭脳の、多元的な感覚の流れの中に浮かびあがってくるものだと。その意識からの行為を止めるのもまた、動いている身体が環境から受けた刺激を私の脳で再編集した結果だと。ゆえに、自我も、孤立・固定されたものではなく、環境に開かれた身体・頭脳の多数の刺激の流れとして、孤立・自立せず、多元的な流れ。近代的自我・自律した個人が終末に向かうものではない。
生まれてこの方、脳細胞は環境・身体からの刺激を受け、脳細胞網の独自のアルゴリズムを生成・消滅し続けている。
身体を外部化した道具、人の五感を超えた刺激をセンシングしたデータと伴に、多元的なAIが情報環境となる、環情報社会に入りつつある今。
フランシスコ・ヴァレラ著の『身体化された心』の読みなおしをしたい。


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