ほっかも!!

ゴールキーパー北野貴之のつれづれ日記
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運命の人

2019年09月17日 21時40分59秒 | Weblog
貴方に出逢えたこと。
全ての人生が変わったあの二十歳の出逢い。
トレーニング参加の1週間のときから貴方の言葉、トレーニングを一字一句メモった毎日。
本当に厳しかった。
毎日書いたノートの中には、トレーニングとは別に、「絶対に見返してやると」と殴り書きで何度書いたことか。本当に悔しかったとき。
トレーニングも指導も、本当に厳しかった。
何度「頭鍛えろ」「硬い魚食べろ」と悔しさを覚えたか。
ゴムを引っ張るときに、貴方を引きずってやるという思いにさせてくれた悔しさ。
貴方に本の大切さを教わり、
初めて人から本をプレゼントしてくれたこと。
そこから本で心を鍛えることを知ったあの二十歳。
貴方が、自分ごとのように喜び、自分以上に悔しがり、自分よりも悔しがって早々と帰る姿。
「俺の方が悔しんだよ」と心で呟いたあのとき。
そんな情熱的な熱さの指導を学んだ、新潟時代の7年間。

貴方がここまでサッカー選手として、導いてくれた、全てだと思っています。
今なお、火が留まることなく、燃える火、人にも引火させたくなるほど熱くいれてるのは、貴方の情熱の指導と、貴方が日本にいてくれたこと。

新潟で7年間指導を受け、共に新潟から移籍を決め去ったとき。
私は大宮。貴方はガンバ大阪。
また、自分が移籍をすると、貴方は名古屋へ。
最後は新潟で逢える運命もあったけど、重ならなかったとき。

明日、この日本から離れブラジルに帰る前の日に、逢えた運命という奇跡。

二十歳からの感謝を伝えれたかは、分からないけど、最後に逢えた1人として、皆様を代表して伝えたい。
多くの人が貴方に逢えたことに感謝しています。

ジェルソン!
僕を息子のように指導してくれた愛、本当に感謝しています。

ありがとう。
ジェルソンから受けた愛は、サッカーを続ける限り、多くの選手に伝えていきます。

日本にいなくなっても、ジェルソンという父から受けた、情熱は僕より若い選手へと責任を持って教えていきます。





その大切な人生の恩師と去る前。
2日前に1年2ヶ月振りに試合を出れたことを、元気な姿で報告できたこと、本当に皆様方へ感謝です。

この1年2ヶ月という年月に際して、手術をして下さった群馬の病院、ドクター、ナース、関係者。
その足で講演会をした、大宮、新潟、大宮。
「究極の愛」を頂いた皆様。

個人パーソナルトレーナー桂さん。
いつも骨をどんな状態でも治してくれる、佐藤整骨院、佐藤先生。
食事の管理、栄養サポート、筋肉をいつも良い状態に治療してくれるコーケンメディケア、南理事長。
ホグレルの機械をサポートして下さる、ホグレルの会社様。
自チームのトレーナーの皆様。
自チームでいつも温かく、労いをもって見守って下さった強化部長はじめ、監督、スタッフの皆様。

多くの多くの想いを受け止めて、何度も調整しては、治らなかったり、また、闘う身体に仕上げても、治らなかったりと、何度でも上を見て追い込んでこれたのは、ここに書いた皆様と、ここだけで伝えきれない沢山の皆様の想いが、ちゃんと届き受け止めていたからこそです。
私のモチベーション、お一方お一方、皆様から受けてきた、愛と感謝で成り立っています。

この、 1年2ヶ月の一歩を、まずは恩師の前で元気な姿で歩けたことを皆様に感謝しています。








abraço ジェルソン
abraço イザベラ
Eu amo

[しゃ=]