昭JIJIの島旅賛歌⋇参加Ⅱ

日本の有人島は、416島で、414島(硫黄島、南鳥島は渡島できず)に渡島しています。2度目の全島制覇を目指しています。

観光&フリータイムでじっくり満喫 宮古諸島5島めぐり3日間 21回目 宮古島・来間島

2020-06-30 04:30:00 | 80宮古・沖縄県・宮古諸島
「与那覇前浜ビーチ」は、東洋一の美しさといわれ、透明度の高い宮古ブルーの海ときめ細やかで真っ白な砂浜があります。






(与那覇前浜ビーチ)

ジェットスキーやバナナボートなどがありました。






(ジェットスキーやバナナボートなど)

桟橋には、「グラスボート」の乗り場がありました。


(「グラスボート」の乗り場)

そこから来間大橋と来間島が見えした。


(来間大橋と来間島)

飛行機が低空で飛んでいました。宮古空港が近いようですね。


(飛行機が低空で)

来間島の竜宮城展望台も見えました。


(来間島の竜宮城展望台)

来間大橋を渡りました。


(来間大橋)

来間島に着き、バスで島内散策をしました。赤土の畑がありました。何が植えられるのでしょうか。


(赤土の畑)

サトウキビ畑もありました。


(サトウキビ畑)

ヤギが草を食んでいました。


(ヤギ)

記念碑がありました。「来間大橋採択記念碑」と刻まれていました。「採択」というのは、何かを帰って調べると「来間大橋の架橋建設計画が採択されたことを記念した石碑」のようです。


(来間大橋採択記念碑)
(写真撮影:2019.10)
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観光&フリータイムでじっくり満喫 宮古諸島5島めぐり3日間 20回目 宮古島

2020-06-29 04:30:00 | 80宮古・沖縄県・宮古諸島
その近くに色々な墓もありました。








(色々な墓)

先に歩いていくと魚料理店があり、「ヤシガニ」と書かれた看板がありました。


(「ヤシガニ」と書かれた看板)

更に歩いていると人の背丈ほどの石柱がありました。説明板には、「ぶばかり石(人頭税石)」と書かれていました。




(「ぶばかり石(人頭税石)」)

差の先に神社がありました。「真玉神社」と書かれていました。門柱に丸石が置かれていました。


(真玉神社)

拝所(いび)のようです。


(拝所)

説明板には、「真玉御嶽」と書かれていました。


(真玉御嶽)

戻ってくる途中に大きな看板がありました。「別荘地、宮古島」と書かれていました。


(別荘地、宮古島)

ホテルに戻ってきました。


(ホテルに)

ホテル内の水槽にカクレクマノミがいました。かわいいですね。


(カクレクマノミ)

バスで、来間島へ向かいました。途中、お墓のような岩がありました。かつての首長を勤めていたお墓です。


(お墓のような岩)

与那覇前浜ビーチに着きました。

(与那覇前浜ビーチ)
(写真撮影:2019.10)
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観光&フリータイムでじっくり満喫 宮古諸島5島めぐり3日間 19回目 宮古島

2020-06-28 04:30:00 | 80宮古・沖縄県・宮古諸島
漲水御嶽を後にして、「仲宗根豊見親の墓」へ向かいました。


(「仲宗根豊見親の墓」へ)

「仲宗根豊見親の墓」に着きました。「豊見親の墓」と書かれていました。「仲宗根豊見親の墓」、「知利真良豊見親の墓」と「アトンマ墓」の3つの墓を総称して「豊見親墓」とゆうようです。




(「豊見親の墓」)

これが、「仲宗根豊見親の墓」のようです。この形のお墓は宮古島を代表する石造建築でもあるようで、沖縄本島のお墓とは少し違いますね。






(「仲宗根豊見親の墓」)

ここが、「アトンマ墓」です。アトンマ墓は、中世の宮古島の支配者であった忠導氏一門の側室たちを埋葬した墓のようです。








(「アトンマ墓」)

「知利真良豊見親の墓」です。15世紀末から16世紀初めにかけて宮古島を支配していた豪族の仲宗根豊見親の三男、知利真良豊見親を祀っているようです。










(「知利真良豊見親の墓」)
(写真撮影:2019.10)
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観光&フリータイムでじっくり満喫 宮古諸島5島めぐり3日間 18回目 宮古島

2020-06-27 04:30:00 | 80宮古・沖縄県・宮古諸島
この橋は、島尻入江橋と書かれていたので、「しまじりいりえばし」と読んでいましたら、反対側に「すまずいいーばし」と書かれていました。沖縄の読み方は難しいですね。しかし、「ばし」となっていますが、水が濁らないようにと「はし」と読むことが多いです。


(すまずいいーばし」)

側面から見るとこのような形になっていました。


(側面から見ると)

下を見ると泥の中にカニがいました。インターネットで調べると「ここには多くの種類のカニが生息しています。フタハオサガニ、オオアシハラガニモドキ、クマドリオウギガニ、ヒメシオマネキ、ニナミコメツキガニ等。」とありましたが、このカニはどれでしょうか。この先は畑道へと繋がっているようで、ここで帰ることにしました。


(カニ)

アダンの実を見ることができました。


(アダンの実)

ホテルに帰ってきました。3泊とも夕食が付いてないので、コンビニからツマミを買ってきて、部屋飲みをしました。空いたビンを見るとラベルの裏に「ありがとう」と手書きされていました。こんなのを見たのは、初めてで、感謝の気持ちがいいですね。


(ラベルの裏に「ありがとう」と)

翌日は、AM10:00出発なので、それまで、一人で宮古島市内を散策しました。宮古島市役所を通りましたが、大きなシーサーが置かれていました。


(大きなシーサー)

昨日は、バスで通過していましたが、平良港へ向かっているいていると「平良交番」がありました。軒は、赤瓦で造られていました。


(平良交番)

歩いていると平良港近くに鳥居のようなものがが見えてきました。国内では、扁額と言いますが、沖縄では、何というのでしょうか。帰って、インターネットで調べると「扁額」というようです。 そこに「漲水御嶽」と書かれていました。何と読むのでしょうか。書くこともできず、「IMEパッド」を使って、書きました。調べると「はりみずうたき」と読むようです。


(鳥居のようなもの)

漲水御嶽です。


(漲水御嶽)

お祈りをして、中を見せてもらいました。


(漲水御嶽の中)

漲水御嶽を横から見た風景です。


(横から見た風景)

本土では、御手洗といいますが、沖縄では、何というのでしょうか。


(本土では、御手洗)

市指定史跡 「漲水御嶽と石垣」と書かた石碑がありました。


(「漲水御嶽と石垣」と書かた石碑)

これが石垣です。




(石垣)
(写真撮影:2019.10)
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観光&フリータイムでじっくり満喫 宮古諸島5島めぐり3日間 17回目 宮古島

2020-06-26 04:30:00 | 80宮古・沖縄県・宮古諸島
港に帰ってきて、定期船で宮古島へ戻ることにしました。


(定期船で宮古島へ)

大神漁港を離れました。


(大神漁港を)

中腹にある水のタンクが見られました。


(水のタンクが)

大神島が遠のいていきました。


(さようなら大神島)

遠くにノッチが見られました。


(ノッチが)

宮古島の島尻漁港に戻り、その先どうするかを考えました。そこで思い出したことは、「島尻のマングローブ林」があることを。そこへ向かいました。途中、サトウキビ畑がありました。


(サトウキビ畑)

「島尻のマングローブ林」に着きました。


(「島尻のマングローブ林」)

「島尻のマングローブ林」の案内板がありました。読むと「天然記念物」と書かれていました。




(「島尻のマングローブ林」の案内板)

早速、島尻のマングローブ林の散策を開始しました。


(散策を開始)

桟橋とボートがありました。ボートは管理に使われているのでしょうか。




(桟橋とボート)

マングローブ林散策をGifアニメにしました。


(マングローブ林散策)

しばらく進むとこの「石橋」にたどり着きました。ちょうどこの辺りが中間地点となっています。


(「石橋」に)

石橋を渡ると「島尻入江橋」とありました。


(「島尻入江橋」)
(写真撮影:2019.10)
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