昭JIJIの島旅賛歌⋇参加Ⅱ

日本の有人島は、416島で、414島(硫黄島、南鳥島は渡島できず)に渡島しています。2度目の全島制覇を目指しています。

島旅ブログ未投稿の島、中国地方の日本海4島への渡島 18回目 青海島

2023-12-31 04:00:00 | 53日本海・山口県
山門は、二層になっていました。




(山門は、二層に)

山門に入っていくと壁に彫刻がされていました。




(壁に彫刻)

本堂に向かっていると法然上人の幼少時の像がありました。




(法然上人の幼少時の像)

西園寺本堂です。閉まっていて、中を見ることができませんでした。


(西園寺本堂)

振返ると山門の裏側が見られました。


(山門の裏側)

歩いていると西園寺の関連した建物が見られました。


(西園寺の関連した建物)

道路に出てくるとイチョウの木が見られましたが、まだ、少し青く散ってはいませんでした。


(イチョウの木)
(写真撮影:2023.11)
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島旅ブログ未投稿の島、中国地方の日本海4島への渡島 17回目 青海島

2023-12-30 04:00:00 | 53日本海・山口県
階段を降りたところで、横を見ると見たことも無いものがありました。




(見たことも無いもの)

説明板があり、「住吉神社の珪化木」と書かれていました。昭和初期に島根県沖の海中から発見され、地元の有志によって奉納されたものだそうです。


(「住吉神社の珪化木」の説明板)

その横に石碑もありました。


(その横に石碑)

住吉神社の拝観を終わらせて、西園寺へ向かいました。


(西園寺へ)

西園寺に着きました。


(西園寺に)

「西園寺本堂 山門二棟」の説明板がありました。


(「西園寺本堂 山門二棟」の説明板)

階段を上って行くとまた、「本堂及山門」について、書かれていました。




(「本堂及山門」について)

山門へ向かいました。


(山門へ)
(写真撮影:2023.11)
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島旅ブログ未投稿の島、中国地方の日本海4島への渡島 16回目 青海島

2023-12-29 04:00:00 | 53日本海・山口県
その後、拝殿、幣殿、奥殿を眺めました。立派ですね。




(拝殿、幣殿、奥殿)

これは、何でしょうか。祠がありました。


(これは、何)

境内にたくさんの灯篭がありました。そこから海が見られました。


(たくさんの灯篭)

上ってきた階段の上にも灯籠がありました。


(階段の上にも灯籠)

御手洗もありました。




(御手洗)

その上を見るとカラスがぶらさげてありました。何の意味があるのでしょうか。


(カラスが)

戻ろうと階段上に来ると家並と海が見られました。


(家並と海が)

階段を降りると白黒のネコが歩いてきました。


(白黒のネコが)
(写真撮影:2023.11)
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島旅ブログ未投稿の島、中国地方の日本海4島への渡島 15回目 青海島

2023-12-28 04:00:00 | 53日本海・山口県
更に進んで行くとまた、鳥居がありました。


(また、鳥居)

扁額は、「住吉神社」となっていました。


(扁額は、「住吉神社」)

社殿が見えましたが、階段があり、どうしようかと考えましたが、上って行きました。




(社殿が)

住吉神社に着きました。


(住吉神社に)

横を見ると小さな鳥居がある祠がありました。


(小さな鳥居がある祠)

拝殿内を見ました。








(拝殿内)
(写真撮影:2023.11)
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島旅ブログ未投稿の島、中国地方の日本海4島への渡島 14回目 青海島

2023-12-27 04:00:00 | 53日本海・山口県
「青海島鯨墓」から戻って来ると「くじら資料館」がありましたが、時間的に問題があり、閉館していて、入れませんでした。






(「くじら資料館」)

「くじら資料館」の前に、「通浦の民謡 鯨唄」の石碑がありました。


(「通浦の民謡 鯨唄」の石碑)

周りを見ると「鯨と捕鯨銃」がありました。




(「鯨と捕鯨銃」)

次に向かったのは、「住吉神社」です。




(「住吉神社」)

扁額には、「住吉宮」と彫られていました。


(扁額には、「住吉宮」)

鳥居を潜っていくとまた、鳥居がありました。


(また、鳥居)

ここの扁額は、「住吉神社」となっていました。


(扁額は、「住吉神社」)
(写真撮影:2023.11)
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