長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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山口政事堂のお堀

2009年07月06日 | ★幕末維新の長州
江戸期は一国に一城と決められていて、毛利家は交通の便が悪い北浦の萩に城を作るように命令されました。

萩から山口は今でも車で1時間。防府三田尻からなら1時間40分。
中国山地のはしっちょにあたる山越えもせねばならず、昔は本当に不便だったと思います。(その道はかなりの部分が現在も残っていて「萩往還」として整備され、トレッキングに人気です)

が、幕末期になってくると、萩におっちゃ時世が見えん。しかも海に突き出た城では海から攻められた時に危険。
というわけで、山口に「政事堂」という建物を建てました。
もちろん幕府には内緒
「藩庁じゃないですよ、ただの政事堂っす」と言い張ってる割には土塁は築くわ大砲は置くわでしたがwしかも、土地はなにげに西洋式城塞の形をしています。
確かに建物はお城ではなく役所だけど、立派な門があり、堀をめぐらせ、やっぱお城でしょ。


この建物は維新後、そのまま県庁になりました。
その後大正期にルネッサンス様式の洋館に建て替わり、さらに昭和の終わり頃に現在の鉄筋ビルに替わりました。
大正のルネッサンス様式のやつは文化財になってきれいに残ってます。県庁舎と議会棟がペアで残っているのは、山口と山形だけです


で、今幕末を偲べるのは、お堀と門。
ここって藩庁じゃなく「政事堂」だって言ってんのに、当時も今もみんな「藩庁門」と堂々と言うとるわっ

この門は、なんと現役です。山口県庁西門として、普通に開いてます。
高杉晋作、桂小五郎らが頻繁にくぐったであろう門です。
てか私も小学1年からお習字に行く時くぐって行ってましたが。

今、山口県庁の敷地には、幕末・大正・昭和の三代の建造物が仲良く残っているわけです。


つーーーーーーーーか、私は中学生くらいまで、日本中どこでも県庁にはお堀があるもんだと信じてたよ
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