幕末とは関係ない話です。
ちょこっっっとつながってる部分を探すとすると、寺内正毅は御楯隊隊士として五稜郭まで行ったのと、今回の記事の建物の横に建っている碑を書いた藤田鴻輔が長州志士大リスペクトっぽいってことくらいかw
この建物は「旧寺内文庫」と呼ばれ、山口市宮野桜畠(さくらばたけ)に建ってます。
寺内正毅(てらうちまさたけ)は、嘉永5年(1852)、山口の平川(ひらかわ)に住む長州藩士の家に生まれ、宮野の寺内家の養子となりました。
10代で、さっき書いたように諸隊のひとつである御楯隊の一員となり、戊辰・箱館戦争を戦っています。
終戦後、山田顕義の推薦もあり、陸軍人となりました。
明治10年の西南戦争で右手の自由をなくし、以来「左敬礼」を行っていたことで有名です。
陸軍元帥、朝鮮総督、内閣総理大臣、伯爵。大正8年(1919)没。
この寺内の、朝鮮総督時代に集めた古文書等を収めていた私設の文庫が、この「寺内文庫」です。
寺内の死後、大正10年(1921)、息子の寺内寿一(元帥。親子で元帥というのは、皇族以外ではこの二人だけ)が完成させました。
その後は隣接の大学の図書館になり、さらにその後、昭和53年からは空き家になって荒れ果ててしまいました。
ま、要するに、内藤の好きな「なつかしの西洋館」の分類できる建築物なんですが、あんまりロマンチックじゃないのは、大正期にはやったモダンな直線建築、しかも鉄筋コンクリートなんですよねー。
それでも、窓がちゃんと見えてたときは、それなりに良い感じの建物でした。
外壁もでこぼこの仕上げがしてあって、けっこう味わいがあります。
でも、こんなふうに窓がトタンでつぶされてしまうと、建物の表情がガラッと変わってしまいました。
建物にとって、窓は目のようなもの。
それを全部ふさぐと、死んだような無機質さが漂うもんですねー。
寺内文庫はもうボロボロです。
地元町内からは、隣の寺内公園で遊ぶ子供にとって危険だとか、道路と公園の間に建物があって邪魔だという理由で、市に対して取り壊しの陳情が出されています。
本当に危険なのかどうかは私にはわかりませんが、こんなになる前に手を打てなかったのかと残念。
箱を組み合わせたような、直線的なデザインの中で、裏手にひとつだけ丸窓があるのが面白い。
この窓がふさがれていないせいか、なんか見られてるみたい~!
山口市には、大正7年に建ったレンガ建ての県立図書館書庫ってのがありました。
長い間空き家になって荒れ果て、屋根まで落ちていたのに、市民運動から生き残り、改修されて、現在では「クリエイティブスペース赤レンガ」として利用されています。
木造と違って、かなり荒れていても改修が可能だったレンガ建て。
コンクリだと、どうなんでしょう。
なんとかならんもんかと、もったいなく思います。
なお、寺内文庫に収蔵されていたものは、ご子孫が保管されておられます。
1996年、韓国の文化財であるとして、138点を返還されています。
建物の横には立派な碑が建っています。
もし建物を取り壊したら、これもなくなっちゃうんかな…。
寺内元帥のことを書いたものですが、書いたのは藤田鴻輔陸軍中将(明治9-昭和18)。
この人、軍人としての働きとかは全然知らんのですが、萩生まれで、やたら幕末志士リスペクトなお方です。
久坂玄瑞誕生地の碑、村田清風の萩屋敷あとの碑なんかも書いてるし、下関の日和山(ひよりやま)公園に高杉晋作の像を建てたのもこの人。
その晋作像は戦時中に供出されたため、現在のものは違いますけど。
うーんw
なんかひとつ見に行くと、いろいろリンクされちゃうなwww
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ちょこっっっとつながってる部分を探すとすると、寺内正毅は御楯隊隊士として五稜郭まで行ったのと、今回の記事の建物の横に建っている碑を書いた藤田鴻輔が長州志士大リスペクトっぽいってことくらいかw
この建物は「旧寺内文庫」と呼ばれ、山口市宮野桜畠(さくらばたけ)に建ってます。
寺内正毅(てらうちまさたけ)は、嘉永5年(1852)、山口の平川(ひらかわ)に住む長州藩士の家に生まれ、宮野の寺内家の養子となりました。
10代で、さっき書いたように諸隊のひとつである御楯隊の一員となり、戊辰・箱館戦争を戦っています。
終戦後、山田顕義の推薦もあり、陸軍人となりました。
明治10年の西南戦争で右手の自由をなくし、以来「左敬礼」を行っていたことで有名です。
陸軍元帥、朝鮮総督、内閣総理大臣、伯爵。大正8年(1919)没。
この寺内の、朝鮮総督時代に集めた古文書等を収めていた私設の文庫が、この「寺内文庫」です。
寺内の死後、大正10年(1921)、息子の寺内寿一(元帥。親子で元帥というのは、皇族以外ではこの二人だけ)が完成させました。
その後は隣接の大学の図書館になり、さらにその後、昭和53年からは空き家になって荒れ果ててしまいました。
ま、要するに、内藤の好きな「なつかしの西洋館」の分類できる建築物なんですが、あんまりロマンチックじゃないのは、大正期にはやったモダンな直線建築、しかも鉄筋コンクリートなんですよねー。
それでも、窓がちゃんと見えてたときは、それなりに良い感じの建物でした。
外壁もでこぼこの仕上げがしてあって、けっこう味わいがあります。
でも、こんなふうに窓がトタンでつぶされてしまうと、建物の表情がガラッと変わってしまいました。
建物にとって、窓は目のようなもの。
それを全部ふさぐと、死んだような無機質さが漂うもんですねー。
寺内文庫はもうボロボロです。
地元町内からは、隣の寺内公園で遊ぶ子供にとって危険だとか、道路と公園の間に建物があって邪魔だという理由で、市に対して取り壊しの陳情が出されています。
本当に危険なのかどうかは私にはわかりませんが、こんなになる前に手を打てなかったのかと残念。
箱を組み合わせたような、直線的なデザインの中で、裏手にひとつだけ丸窓があるのが面白い。
この窓がふさがれていないせいか、なんか見られてるみたい~!
山口市には、大正7年に建ったレンガ建ての県立図書館書庫ってのがありました。
長い間空き家になって荒れ果て、屋根まで落ちていたのに、市民運動から生き残り、改修されて、現在では「クリエイティブスペース赤レンガ」として利用されています。
木造と違って、かなり荒れていても改修が可能だったレンガ建て。
コンクリだと、どうなんでしょう。
なんとかならんもんかと、もったいなく思います。
なお、寺内文庫に収蔵されていたものは、ご子孫が保管されておられます。
1996年、韓国の文化財であるとして、138点を返還されています。
建物の横には立派な碑が建っています。
もし建物を取り壊したら、これもなくなっちゃうんかな…。
寺内元帥のことを書いたものですが、書いたのは藤田鴻輔陸軍中将(明治9-昭和18)。
この人、軍人としての働きとかは全然知らんのですが、萩生まれで、やたら幕末志士リスペクトなお方です。
久坂玄瑞誕生地の碑、村田清風の萩屋敷あとの碑なんかも書いてるし、下関の日和山(ひよりやま)公園に高杉晋作の像を建てたのもこの人。
その晋作像は戦時中に供出されたため、現在のものは違いますけど。
うーんw
なんかひとつ見に行くと、いろいろリンクされちゃうなwww
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逆に、無理やり復元や改装をして、中に入ったら「この建物死んでる…」っていうのもあります…;難しいです;
お好きな「なつかしの西洋館」分類が気になります!笑
私も西洋館好きなので、もし気が向いたら書いていただけると嬉しいです(^∋^)
改装はいいけど、往時の雰囲気がなくなっている(きれいにしすぎ、展示ケースなど置きすぎ、モダンに改築など)と、わたし的にはもうツボには来ません。
記事の中に触れた「赤レンガ」という施設も実はそうなんです。
町屋再生とかで、匠とやらがやたらモダンに改築しているやつもそうです。
(お好きな人はそれでいいんですけど)
でも、ともかく壊すのは一瞬。
だから、とりあえず壊されないで残ってるだけでもよしとしてます。
西洋館は子供の頃から大好きです。
特に、官庁などの大きいものよりも個人住宅が好きなんですが、これこそ何の補助もないので、どんどん消えてしまいました。
あはは、「山口の西洋館」カテゴリも作ってアップしようかな~w
のせてくれてありがとうございました。