福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

何もかも素通りの「マタイ受難曲」

2016-03-12 21:13:43 | コンサート


本日は、ミューザ川崎シンフォニーホールにて、聖トーマス教会聖歌隊&ゲヴァントハウス管の「マタイ受難曲」を聴いた。

結論を述べると、少なくともボクには何の価値もない「マタイ」であった。いや、なにも、自分の解釈が絶対などと自惚れるつもりは全くない。バッハの音楽は、メンゲルベルク、リヒター、マウエルスベルガーからトン・コープマン、ルネ・ヤーコプス、サイモン・ラトルまで、様々なスタイルや解釈にも揺るがない力強さを持っていることは、これまでも述べてきたとおり。テンポがどうであろうと、解釈がどうであろうと、バッハの真実に迫るなら、それでよいのだ。

しかし、本日聴いた「マタイ」には、解釈と呼べるものすらなかったのではないか?

すべての責は指揮のゴットホルト・シュヴァルツにある。バッハが血の滲む想いで書き込んだであろう音の記の数々が、これほどまでに何事もなく素通りされてしまうとは・・。不協和音から協和音や転調のドラマにも不感症で何も起こらないし、テキストの文言ひとつひとつにも無頓着。

書き出せばキリがないので2例のみ挙げよう。まず、ソプラノ独唱と第2オーケストラによるアリア「血を流せ、わが心よ」(第12曲)。この悲痛にして美しいアリアを笑顔で軽やかに指揮する、というのはどういう神経だろう?また、終曲の「安らかに憩え」というテキストで、拳を振り上げながら、少年たちに力いっぱいストレートに歌わせるというやり方も疑問である。それとも、これには何か特別な解釈があるのであろうか・・。

また、シュヴァルツの指揮は、腰が砕けているなど姿勢は悪い(きちんと立てていない)し、重心がブレブレのところに腕ばかりを振り回すから、そこから正なるエネルギーは生まれない。さらに、テクニックがないのにレチタティーボまで振るものだから、通奏低音から自由は奪うし、出所を誤るというミスを誘発してしまうなど良いところなし。

もちろん、聖トーマス教会聖歌隊の歌声には特別な魅力はある。「深みには欠けるけど、全体に柔らかで、清らかで美しかった」と思う人もあるかも知れない。

今回は歌手ひとりひとりについては書かないことにしておこう。

バッハ「マタイ受難曲」

聖トーマス教会合唱団
ゲヴァントハウス管弦楽団
ゴットホルト・シュヴァルツ (指揮)
シビッラ・ルーベンス (ソプラノ)
マリー=クロード・シャピュイ (アルト)
マルティン・ペッツォルト[福音史家] (テノール)
クラウス・ヘーガー[キリスト] (バス)
フローリアン・ベッシュ (バス)
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お待ちかね。Azumaさんのブログ「雪のトーマス教会」レポート

2016-03-11 21:31:35 | コーラス、オーケストラ

毎度お馴染みAzumaさんのブログに待望の「聖トーマス教会レポ」が掲載されました。

聖トーマス教会の聖歌隊席から観た稀少にして感動的な記録です。

皆さん、是非ともお訪ねください。よろしくお願いします。

相変わらず、イラストが素晴らしい!!

Azumaさんのブログ ~ 雪のトーマス教会

http://ameblo.jp/lovely-heart-azuma/entry-12137876277.html

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ベーム&SKDの「フィデリオ」黒エテルナ未開封盤

2016-03-07 11:00:45 | レコード、オーディオ



留守中に溜まりに溜まった野暮用を片付けなければならないというのに、まずはレコード観賞からとのこと(なんという意志薄弱!)で、件のベルリンのレコード店Robert Hartwigで入手したものから、カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる「フィデリオ」(1969年)を聴いている。選んだカートリッジは先代光悦メノウだ。




この録音は勿論グラモフォンのレコードやCDでは聴いたことがあったけど、エテルナ盤だとまるで別の音楽に聴こえる。

今までは、どこか乾いた響に乏しい音だと感じていたのだが・・・。

これぞSKDという、なんと深い音色にライヴのように活き活きとした息遣い! これぞエテルナ・マジック!!

レコード蒐集家垂涎の旧東独エテルナの黒レーベル、しかも、未開封盤。 まるで缶詰めを開けたように47年前の音が最新録音のように目の前で鳴っている、という歓びこそは何ものにも代え難い。 

ライプツィヒでしこたまレコードを買っていたなら、ベルリンのお店を訪れることもなかったかも知れず、これもまた天のお導きと呼べるだろう。

因みに、この稀少な未開封盤も市場価格からみると破格の安値にてお譲り頂いた(具体的な金額は内緒)。
「ディーラーには適正な価格で売るけれど、君はアーティストだから特別だ」とのこと。

まこと、聖トーマス教会で指揮したということが、このバッハ好きの店主には水戸黄門の印籠のような絶大な効果を与えたようである。ありがたいことだ。

ベートーヴェン:歌劇『フィデリオ』全曲
ギネス・ジョーンズ(S)、ジェイムズ・キング(T)、エディット・マティス(S)、テオ・アダム(Bs)、マルッティ・タルヴェラ(Bs)、ペーター・シュライヤー(T)、フランツ・クラス(Bs)
カール・ベーム(指揮) ドレスデン国立歌劇場管弦楽団&合唱団 

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レコード店主の自室でテノール歌手とバッハ談義

2016-03-07 09:33:11 | コーラス、オーケストラ

というわけで、3月3日の最初の訪問翌日、午前10時にベルリンのレコード店Robert Hartwigを訪ねると店舗には入らず、「着いてこい」と店主の自宅へ招かれそこでレコード捜索となった。

山と積まれた段ボール箱の中身をいくつか見終えたとき、玄関で呼び鈴が鳴った。

「おお、ベネディクトが来たぞ!」

とのことでやって来たのが、写真左のテノール歌手Benedikt Kristjanssonさんであった。

http://www.kristjansson-tenor.com

店主ロベルトさんによれば、「アイルランド出身のテノール歌手で、バッハのエヴァンゲリストのスペシャリスト」とのこと。聖トーマス教会で「マタイ受難曲」を指揮したわたしに、どうしても引き合わせたかったらしい。

その録音のいくつかを聴かせて頂いたが、ベネディクトさんはまだ20代の新進気鋭ながら、声の純粋な美しさ、伸びやかさにおいて、確実に世界レベルにある。

今年の受難節には、「マタイ受難曲」のエヴァンゲリストとしてラインベルト・デ・レーウ指揮オランダ・バロック・ソサエティ&オランダ室内合唱団とともに5回もの公演を行うという。

大家レーウに抜擢されたということからも、その実力が窺い知れよう。

「オランダの人々の『マタイ受難曲』好きは常軌を逸している。我々の他にもガーディナーその他、至る所で『マタイ、マタイ、マタイ・・・』。それでいて、『ヨハネ受難曲』の演奏は数えるほどしかないのも愉快な話だ(笑)」

とは、ベネディクトさんの談。

「メンゲルベルクの時代からの伝統でしょうね」とわたしが返すと、そこで店主ロベルトさんが「おお、メンゲルベルク! カール・エルプは本当に素晴らしい!」と大声を上げる。

「メンゲルベルクの演奏は、たしかにロマンティックだけれど美しい。どのようなスタイルでも崩れることのないのがバッハの素晴らしさだ」(ベネディクト)

「そう、その通り。これがヘンデルだとそうはいかない。バッハの音楽にはどんなスタイルをも飲み込んでしまう力があるんだ」(ロベルト店主)

価値観の共有できる人々との会話は愉しい。メンゲルベルクをゲテモノ扱いする音楽学者には分からないだろうなぁ、この感覚は。

さて、ベネディクトさんに、東京ジングフェラインとの東京公演の録音を聴いて頂いたところ、「おお、良いテンポだね。ボクはこのテンポが好きだよ」との嬉しいお言葉。

その後は、最近流行の速いテンポではバッハの真実は伝わらない、ということで意気投合。

ここには具体的な名前は書かないけれど、「世評の高い○○や△△の録音は、聴くに堪えない」との意見も一致した(笑)。というより、ベネディクトさんの方が毒舌だったかも・・・。

ということで、将来、共演の機会などあれば嬉しいね、ということで、店主を交えての愉しいバッハ談義は幕となった。

本当にそんな日が来る。なんだか、そんな気がしてならない。


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ニコラウス・アーノンクールの死を悼む

2016-03-06 21:27:32 | レコード、オーディオ


本日の午後、ドイツ楽旅より帰宅。夜になってようやく荷を解き、ベルリン・フィルハーモニーの売店で購入したばかりのアーノンクールのシューベルト交響曲全集から「グレイト」を聴き始めたところに、ニコラウス・アーノンクール逝去の報が飛び込んできました。

アーノンクールのバッハやモーツァルトを始めて聴いた頃には、随分抵抗を覚えたものだが、いつしか、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスに共感を覚え、ボクのなかでも重要な演奏家となりました。

音楽界に数々の問題提起をし、大きな影響を与えつづけたこと、また数々の名演奏で聴衆に幸せを与えてくれたことを讃えるとともに感謝したいと思います。

個人的には、ウィーンで「メサイア」「クリスマス・オラトリオ」、ミュンヘンでシューマン「楽園とペリ」の実演に触れることのできたことが、美しい思い出です。

合掌。

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ベルリン・フィル 驚異の修正能力!

2016-03-05 16:43:54 | コンサート


ヤンソンス&ベルリン・フィル。二日目の演奏が素晴らしかったことは既に述べたところである。

まず、ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」。初日は、ヤンソンスのタクトの予備運動にコンマスひとりが飛び出すという波乱の幕開けとなったが、2日目は「今日は合わすぞ!」というオケ一丸となった気迫が凄まじく、完璧なアンサンブル。どこか浮ついた初日とは別物の余裕と貫禄の演奏を展開した。

2曲目は、ノルウェーの名手トゥルルス・モルクを独奏に迎えてのデュティユーのチェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」。
実は初日、大きな疑念を抱いていたのだが、それが確信となった。
ベルリオーズが終わり、編成の違いから多くの管楽器奏者が入れ替わるわけだが、初日はチューニングのないままに演奏に突入したのである。わたしには、オーボエ奏者が楽器を構え、コンマスに目で訴えているように見えたのだが、コンマスは心ここに非ず、ソリストと指揮者登場まで着席したまま・・。
2日目、どうするのかと固唾を飲んで注目していると、コンマスはサッと立ち上がりチューニングを始めた。やはり、初日は何か歯車が狂っていたのだ! コンマスがチューニングを忘れるなんて、「ローマの謝肉祭」に於ける痛恨のミスの動揺を引き摺っていたとしか思えない。
それにしても、チューニングしないまま、あの繊細なハーモニーの要求されるデュティユーを演奏する羽目となった管楽器奏者の気持ちを考えると気の毒になる。
さて、初日はモルクとベルリン・フィルのサウンドにどこか乖離(有機体と無機体)があったように思えたのだが、2日目は渾然一体となっていて見事であった。まるで、黄泉の国と現世の壁を取り払ったようかモルクの霊感溢れるパフォーマンス! 禅を思わせる静かな集中力と瞑想性に聴くものの魂は慰められるのであった。
モルクが、初日にはなかったアンコールを弾いたのも、演奏に満足がいったからかも知れない。ああ、バッハの無伴奏第2番のサラバンドの美しさといったら・・。ペレーニを聴いたときと同じ種類の感動といったら良いだろうか。もはや楽器の音ではなく、魂の声を聴いたような気がする。

メインのショスタコーヴィチも然り。
初日はコンマスのアクションもオーバー気味で、例えば、第1楽章の強奏部分では弦楽セクションが楽器の音を競っているかのようであった。さらに管楽セクションも妙技を披露し合うような虚しさがあったものだが、2日目はオーケストラ全体、奏法、表現ともによい意味での抑制が効いていて、ショスタコーヴィチの心の叫びが聞こえてくるようであった。そう、抑制された方が凄みの出るというところが音楽の面白いところ。



日本のオーケストラでも、定期演奏会の初日と2日目の出来映えが違う、ということはよくあるが、ベルリン・フィルクラスのオーケストラでも同様のことがあるというのは興味深いことである。しかし、修正の度合いは半端ではない。桁外れの音楽性と技術をもった集団が、表現のベクトルを内面に向けたときの凄まじさをまざまざと見せつけられた気がする。その底力に打ちのめされたベルリン最後の夜であった。
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間もなくチェックアウト

2016-03-05 15:11:37 | コーラス、オーケストラ
無事、荷造りも終え、ベルリン最後の朝食もとり、あと30分でベルリンのホテルをチェックアウト。

日曜日の朝には成田着。

実り多いドイツ旅行であった。

道中、ベルリン・フィルの感想を書けるかな?

帰国後の怒涛のスケジュールについては、いまは考えないでおこう・・。

では、後ほど。
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ベルリン最後の夜

2016-03-05 07:05:21 | コンサート
ベルリン最後・・というよりも、2月19日にライプツィヒ入りして以来、2週間を越すドイツ滞在最後の夜。

今宵のヤンソンス&ベルリン・フィルは素晴らしく良かった。昨夜のマイナス面が悉く解決されていて、感動的なコンサートとなったのは嬉しい誤算だ。

記憶が鮮明なうちにご報告したいところだが、こちらはただいま夜の11時。チェックアウトが明日早朝のため、これから荷造りをせねばならない。

片付けの苦手なボクには、これが大仕事。本番指揮のほうが、どれほど疲れないことか(笑)!

というわけで、詳細は後ほど!

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ヤンソンス&ベルリン・フィルに失望

2016-03-04 07:11:26 | コンサート


「マタイ受難曲」本番後の最大のお楽しみであったヤンソンス&ベルリン・フィルの演奏会初日。メインは、ショスタコーヴィチ「10番」であったが、これほど失望させられるとは思いもしなかった。

ベルリン・フィル楽員の個人技、或いはアンサンブル能力は確かに凄まじい。しかし、どこを切ってもベルリン・フィルのゴージャスなサウンドばかりが耳について、ショスタコーヴィチが沈黙していた。血の滲むような心の叫びや疼きがまったく聴こえてこないのだ。ただ、楽器を完璧に鳴らすことだけに快感を覚えているような虚しい演奏であった。

ベルリン・フィルがそういうオーケストラだ、と言ってしまえばそれまでだが、それを許しているヤンソンスにも責任はあると思われる。ボクなら許さないぞ(笑)。

明日、二日目の切符も手配済みなのだが、なんだかもう聴かなくてよいかな? という限りなく後ろ向きの気分である。



しかし、我が心の隙間風とは裏腹に、聴衆は沸きに沸いた。拍手と喝采の嵐。皆、何を聴いているんだろう? あのトーマス教会にいらしたロシアのご婦人が今宵のベルリン・フィルを聴いたなら、なんと言うだろうか? 尋ねてみたい気がする。







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ベルリンのレコード店

2016-03-03 20:39:42 | レコード、オーディオ


Robert Hartwig - Berliner Musikantiquariat


今回のドイツ旅行では、故あってレコードを買わないことにしていたのだが、ベルリンの宿からU-Bahnで4駅、Deutsche Operの近くにクラシックを大量に在庫しているとうRobert Hartwigというお店があることを発見し、訪ねてみることにした。もちろん、レコードは買いたくない。あくまで、ベルリンのレコード文化を肌で知るための訪問である。



念のため、店に電話をしてから出掛けたのがよかった。お店はかなり大掛かりな改装工事中で、本来開いていないところ、店主のHartwigさんが、わざわざ待っていてくれたのである。



自己紹介代わりに、聖トーマス教会での「マタイ受難曲」公演のパンフレットをお見せすると、「凄い! 素晴らしい! まったく驚異的!」「おお、君はアントン・ブルックナーも振るのか!」とHartwigさんは大興奮。

と、大歓迎モードになったまでは良かったのだが、
「ご覧のとおり、いまは店舗が工事中で、思うようにレコードを見て貰えない。しかし、明朝10時に来てくれたら、エテルナ・レーベルの特別なコレクションを見せてあげよう」
などと言われてしまうと、"Nein Danke"と言える筈もない。

運の悪いことに(笑)、明日は夜の8時のヤンソンス&ベルリン・フィルの演奏会まで、まったく予定がないときている。というわけで、今日もなかなかのレコードを見つけたのだが、明日に備えて、まだ1枚も買わずにいったんホテルに戻ったところ。

店主Hartwigさんが言うに、このお店は作曲家ルイジ・ノーノも顧客だったとのこと。随分、ディープな店に来てしまったものだ。フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒトらのポートレイトもあるとのことだが、それらも直ぐには出せないとのことで残念であった。

また、「いまは郵送の手配をしてあげられない」とのことで、仮に何枚か買った場合、自分で担いで帰るか、自分で郵便局を探さなくてはならないことも億劫ではある。



というわけで、ドレスデンの画廊につづき、ガイドブックにある観光名所巡りにはない感動と出会った次第。これぞ、旅の醍醐味と言えるだろう。

さて、明朝10時が楽しみのような怖いような・・・。

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