日中、都内で2時間ほど時間ができたので、新宿の紀伊国屋書店とディスクユニオンを梯子することとした。
後者で仕入れたものの一つが、セル&ウィーン・フィルのDVDだ。
お目当ては、ブルックナーの3番。
1966年6月5日 ムジークフェライン・ザールに於ける収録。
オットー・シュトラッサーによれば、このコンサートは、セルとウィーン・フィルの共演に於けるクライマックス。
当初、専制的なセルのスタイルは、縛られるのを好まないウィーン・フィルの反感を呼んだとのことだが、共演を重ねるうちに理解を深め「今や事態は好転し、全員は彼を尊敬し、ブルックナーの第3シンフォニーは、欠点のない美しさでもってひびき、私たちがめったに体験したことのないほどだった」との境地に至った。
確かに、これほどアンサンブルの整然としたウィーン・フィルを聴くのは稀だが、それが些かの冷たさを伴わないばかりか、楽員一堂の共感の波が大きなうねりとなって、血潮のたぎる熱い音楽となっているのである。
その崇高さはブルックナー演奏史上に於いて特筆すべきものだろう。
前プロに置かれたグルダとの「皇帝」も美しいが、それ以上に感銘を受けたのは、併録されたもう一つの演奏会、1968年12月2日 ムジークフェライン・ザールに於けるウォルトンのヒンデミットの主題による変奏曲だ。
作品の新しい響きとウィーン・フィルの古の響きが渾然一体となった魅力!
終演後に作曲者ウォルトンが客席よりステージに上がって拍手喝采を浴びる図には、全く感動してしまった。
唯一惜しまれるのが、音質が万全でないこと。弦はよいとして、ピアノや木管の音がビリついてしまうのだ。
いずれ、セル&ウィーン・フィル集成のような形でSACD化されないものだろうか? もちろん、ハイレゾ配信も歓迎である。



音楽(クラシック) ブログランキングへ
後者で仕入れたものの一つが、セル&ウィーン・フィルのDVDだ。
お目当ては、ブルックナーの3番。
1966年6月5日 ムジークフェライン・ザールに於ける収録。
オットー・シュトラッサーによれば、このコンサートは、セルとウィーン・フィルの共演に於けるクライマックス。
当初、専制的なセルのスタイルは、縛られるのを好まないウィーン・フィルの反感を呼んだとのことだが、共演を重ねるうちに理解を深め「今や事態は好転し、全員は彼を尊敬し、ブルックナーの第3シンフォニーは、欠点のない美しさでもってひびき、私たちがめったに体験したことのないほどだった」との境地に至った。
確かに、これほどアンサンブルの整然としたウィーン・フィルを聴くのは稀だが、それが些かの冷たさを伴わないばかりか、楽員一堂の共感の波が大きなうねりとなって、血潮のたぎる熱い音楽となっているのである。
その崇高さはブルックナー演奏史上に於いて特筆すべきものだろう。
前プロに置かれたグルダとの「皇帝」も美しいが、それ以上に感銘を受けたのは、併録されたもう一つの演奏会、1968年12月2日 ムジークフェライン・ザールに於けるウォルトンのヒンデミットの主題による変奏曲だ。
作品の新しい響きとウィーン・フィルの古の響きが渾然一体となった魅力!
終演後に作曲者ウォルトンが客席よりステージに上がって拍手喝采を浴びる図には、全く感動してしまった。
唯一惜しまれるのが、音質が万全でないこと。弦はよいとして、ピアノや木管の音がビリついてしまうのだ。
いずれ、セル&ウィーン・フィル集成のような形でSACD化されないものだろうか? もちろん、ハイレゾ配信も歓迎である。



