あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ラトビア・リガ 22 自由記念碑

2018-01-31 | バルト三国紀行

 

 

「ライマの時計」の東 高い記念碑塔がある。

第一次世界大戦後のラトビア独立戦争(1918-20)で
たおれた兵士に捧げられたモニュメント。

1935年の最初のラトヴィア独立を記念して
市民の寄付により建てられた高さ51mの記念塔で
星を高く掲げた女性像が立つ「自由記念碑」だ

その後のソ連併合時代には、
この記念碑は破壊こそ免れたが、

市民が近づくことは反体制派と見なされて
シベリア送りとうわさされる

民族の悲劇を象徴する碑でもあった。


塔の上に立つ女性像「ミルダ」は 
当時のラトビアの主な3つの地域を
表した星を掲げている。

台座には「祖国と自由に」の文字が刻まれ、
ラトビアの歴史や文化を象徴する彫刻が飾られている。


毎年独立記念日 11月18日には、
独立の象徴であるこの記念碑に
大統領や政府の要人、そして市民が献花している。

なお 2018年1月13日 安倍首相が
 2007年には天皇皇后両陛下御訪問の際も
ここで献花された。

 


ラトビア・リガ 21 LAIMAの時計

2018-01-30 | バルト三国紀行

 

 時計塔の左奥のビルが「LAIMA」の店



リーブ広場から東へ

アスバズィヤス大通りと自由記念碑に通じる
ブリーヴイーバス大通りの交差する東南の角に
「LAIMAの時計」がある。

1924年に設置され、
1936年からラトヴィア最大の
菓子・チョコレートメーカーである
ライマ(Laima 18世紀創業)の広告塔だが
 待ち合わせの場所のシンボルにもなっている。


なお、ライマのチョコ・ショップの
話題は先に触れている。

また、右角にマクドナルドがあるが 
ソ連崩壊後、1994年にオープンし、
ラトヴィア第一号店だ。

 

 


ラトビア・リガ 20 ネコの家

2018-01-29 | バルト三国紀行

 

 ユーゲントシュティール建築の「ネコの家」

 

一方 リーヴ広場の北側には 
屋根の上に背中を丸め尾を立て怒っている
ネコの像が飾られている
「ネコの家」と呼ばれている建物がある。

この建物 ラトヴィアの富裕商人の家で
1909年にユーゲントシュティール様式で建てられたが、

当時はドイツ人しかギルド組合に
入れなかったことに反発して
ギルドの会館に尻を向けた猫を屋根に付けた。

その後 ギルドハウスは
コンサートホールになってから、
その音色に惹かれて 今は正面を向いているという。


こんな話は 当時のリガが
ドイツ人中心の社会であったことを
物語っているようだ。

 

 

 

 「ネコの家」の上ばかり見ていたが 
近くには こんな土産店もあった。

 


ラトビア・リガ 19 ほらふき男爵

2018-01-28 | バルト三国紀行

 

 

リーヴ広場の一角
ビルの壁に”紳士が飛行機を操縦する”
ユニークな絵が描かれている。


この地で生まれた「ほらふき男爵」が
テーマになっているそうだ。

奇想天外な物語として知られる
「ほらふき男爵の冒険」の
主人公「ほらふき男爵」とは、

狩り、戦、冒険などをテーマとした
数々の自慢話やホラ話しをおもしろおかしく語る

ミュンヒハウゼン男爵のこと。

資料によれば

「ほらふき男爵」のモデルの実在の人物は
 ミュンヒハウゼン男爵
カール・フリードリッヒ・ヒエロニュムス(1720年~1797年)。


出身はドイツのボーデンヴェルダーで、
後にロシアに渡り、露土戦争や
ロシア・スウェーデン戦争などで活躍した軍人だ。

当時ロシア帝国領であったラトヴィアのリガや
ドゥンテ(リガから北に55km)でも数年過ごし 
もっぱら趣味の狩りをしていたそうだ。

また「ミュンヒハウゼン症候群」という病名がある。
これは周囲の同情や関心を集めるために、
病気を装ったり、偽り話をしたり、
自らの体を傷つけたりする症状をいう。


この病名は、ミュンヒハウゼンが
ホラ話で周囲の同情や関心を集めたことに
ちなんでつけられている。
(ウィキペディアから)




ラトビア・リガ 18 Kino

2018-01-27 | バルト三国紀行

 

 

リーヴ広場の一角に
「Kino」のプレートが埋め込まれている。

 調べてみると
ラトビア・リガで映画が
初めて上映されたのは 1886年5月28日。
これを記念したものだ。

1930年、史上初のラトビアの
フィーチャー映画が公開された。

 
1939年 ラトビアの古典作品と言われる
ヴィリス・ラテニークス監督作品が公開された。


1940年 ソ連がラトビアを占領されて衰退するが 

1953年 スターリンが亡くなると、
ソ連の文化政策により自由化が進んだ。


因みに このリガ旧市内の南に
国立映画センターの博物館部門の
「映画博物館」がある。


リガで幼少時代を過ごした 旧ソ連映画の巨匠

セルゲイ・エイゼンシュテイン監督(1898~1948年)に
関する資料を中心に展示されている。

代表作に『戦艦ポチョムキン』(1925年)がある。

 


ラトビア・リガ 17 リーブ広場

2018-01-26 | バルト三国紀行

 

 

「リーヴ広場」は、
16世紀まで川を引き込んできた
船着き場があったという。

その後 埋め立てられ
建物が立っていたが、

第二次世界大戦で瓦礫になった為
後に広場になった。


今は、公園化されていて当時の面影はないが
 周囲に大小のギルド会館が建ち

また 園内に置かれたベンチは川の流れを
イメージしたものになっていることから
“船着き場”だったことが知られる。


周囲にはカフェやレストラン、
公園内には移動テントが店を出し
観光客で賑わっている。

 

 

 


ラトビア・リガ 16 ギルド会館

2018-01-25 | バルト三国紀行

 

 

「屋根の上で本を読む人」がいる建物の先
 ネオ・  ゴシックスタイルの建物
「小ギルド・コンサートホール」がある。


この通りは「アマトゥ通り」の名がつくが
 Amatuとは「職人」の意味で
このギルドから付けられたようだ。

ギルド自体は14世紀前半に組成されていたが、
1857年この地に職人組合の建物として建設された。


今の建物は 火災焼失後1965年に再建されている。

現在は ラトヴィア国立交響楽団の本拠地となっており、
コンサートホールとして使用されている。

 

  

小ギルドの真向「大ギルド・コンサートホール」がある。

リガの経済を牛耳ってきた商人の大ギルドの会館だ。

1854年に 現在の建物に改築され、
国立交響楽団のコンサートホールが入居している。

建物内には 14世紀の「ミュンステルのホール」を
いまだに見ることができるそうだ。

 

 


ラトビア・リガ 15 アマトゥ通り

2018-01-24 | バルト三国紀行

 

 

「アマトゥ通り」を行く

周囲の建物の柱や壁には 

手の込んだ動物や人の顔が装飾されて

 スペインのガウディー建築のような

ユニークな建物が並ぶ。

特に有名なのは

「屋根の上で本を読む人」がいる建物

拡大して見ると、よほど難しい本なのか?

頭をかきながら読んでいるようだ。

   

 

 


ラトビア・リガ 14 チョコレート店

2018-01-23 | バルト三国紀行

 

 

ドゥァマ広場の南 路地に入ったところに

看板のオブジェで 
キャラメルの包みかなと思ったが

ラトビアを代表するチョコレートの
老舗「Laima」であった。

看板に1870年とある。

なお「SALDUMU VEIKALS」は
“ウエルカム”の意味。

この店の板チョコの種類が豊富で、
様々な味を楽しむ事ができる。

また、パッケージの柄も可愛いものが
多くお土産に最適だそうだ。



ラトビア・リガ 13 ラジオ局・テレビ塔

2018-01-22 | バルト三国紀行

 

 ラトビア・ラジオ局



ドゥァマ広場 東側に 

「ラトビア・ラジオ」のビルがあった。

現役のラジオ局 
一方 ダウガヴァ川の向こう岸にテレビ塔も見える。

対岸にあるのではなく 
川の中州(ザチュサラ島)に建っている、
このテレビ塔は、ラジオの電波も発信している、


高さ368.5mあり、
ヨーロッパで3番目に高いテレビ塔。

ラトビアでは一番高い建築物になるという。

斜めの長い3本の柱で支えられており、
97m地点には 展望台がりエレベーターで昇れるとのこと。

 

 


ラトビア・リガ 12 証券取引所美術館

2018-01-21 | バルト三国紀行

 

 

ドゥァマ広場の一角「リーガ大聖堂」前に
1852~1855年に建てられた
古風なデザインのビルがある。

 現在は 改修されて 2011年にオープンした
「リガ証券取引所美術館」。
 
変わった名の美術館だが
資料によれば

古今東西の美術品が収められており、
ルネッサンス様式の内部は豪華で、
特に西洋絵画が展示された4Fヴェネチアの間、
企画展示室の1F大ホールは美しく、
美術品と相乗効果を生んでいるという。

 

 


ラトビア・リガ 11リーガ大聖堂

2018-01-20 | バルト三国紀行

 

 

三兄弟の家から南 「ドゥァマ広場」へ

広場の西側に「リーガ大聖堂」がある。

世界遺産として登録されている
「リーガ歴史地区」の中心部にある
ラトヴィア・ルーテル教会の大聖堂である。
通称「ドーム教会」として知られている。

リガにおける高等教育の発端ともなった所でもある。

リーガ大聖堂は、1211年ローマ教皇の命を受けた
アルベルト司教によってダウガヴァ川の
近くに建てられた聖堂。

この地の布教活動の拠点ともなった。

その後約5世紀に渡って増改築が繰り返されたため、

創建当初はロマネスク様式の建物であったが、
その後、初期ゴシック様式、バロック様式へと改築され、
さまざまな建築様式が融合した大聖堂となった。

 現在の大聖堂の建築物は18世紀後半のものである。

バルト3国における中世の大聖堂の中では
最大規模のものとされている。

聖堂内には6768本ものパイプを持つ
壮大なパイプオルガン(1884年製)があり、

世界で第4番目にパイプの多い
オルガンがある教会として世界的にも有名。


毎日12時からパイプオルガンの
コンサートも行われている。

「リーガ大聖堂のパイプオルガンを聴かずして、
リガに来た意味がない」ともいわれている。

 

「ドゥァマ広場」に埋め込まれている
世界遺産のプレート。

 

 


ラトビア・リガ 10 三人兄弟

2018-01-19 | バルト三国紀行

 

 

聖ヤコブ教会の入り口前 マザーピルス通りに
「三人兄弟」と呼ばれる建物がある。

右から 白色・長兄 黄色・次兄 緑色・末っ子と 
本当に兄弟のように肩を寄せあっている。

古い住宅が時代順に3つそれぞれ違う建築様式で

建っていることからこの名前がついた。

白の長兄は 15世紀に建てられたリガに
現存する最も古い石造り住宅で、

階段状のファサードが特徴だが
当時は 窓税があったため 窓が小さいのだという。
 
また地下水の影響で少々傾いているそうだ。

黄の次兄は、1646年に建設、
1746年に石造りの門を増設し、

オランダ・マリエリスム様式といわれている。
17世紀は窓税がなくなったため
窓が大きい造りになっている。

だが、緑の末っ子の時代になると 
入り口(間口)の広さによって税が取られたため、

間口の狭い窮屈な作りになっている。
また 土地が不足していたとか、
今度は間口税が課せられたためとか、
諸説あるようだ。

 

お土産店のショーウィンドには
リガの名物が飾られていた。


ラトビア・リガ 9 聖ヤコブ教会

2018-01-18 | バルト三国紀行

 

 

リガ城から東南に進んだところに
「聖ヤコブ教会」がある。

 
この聖ヤコブ教会は、
1225年に最初の記録に登場する古い教会。

15世紀に建て直され、塔の高さは80mある。




塔の中ほどの突起物には
鐘がつるされている。

市庁舎広場で罪人の処罰が行われる際に
市民にそれを知らせるために
鳴らされたということから

「哀れな罪人の鐘」
と呼ばれているそうだ。

 
また言い伝えによると、
かつてこの鐘は傍らを不貞な婦人が
通ると自然に鳴り出した。

それゆえ 女性達に嫌われ、
夫らに圧力をかけて

鐘を外してしまったそうだ。

そして、2001年のリガ800年祭を機に
再び取り付けられたそうだ。

 

尖塔の先をよく見ると
十字架ではなく雄鶏が取り付けられている。

雄鶏の鳴き声は 悪魔を寄せ付けない、
キリスト教の伝統では 雄鶏は用心深さや警戒心を象徴し,
また 神に意識を向けているということを表す、
さらに 風見鶏の役割を果たすことなどから
雄鶏は、リガのシンボルになっているそうだ。

 

 


ラトビア・リガ 8 火薬塔

2018-01-17 | バルト三国紀行

 

 

通りの先に 尖塔が見える。

火薬の保管に使われた「火薬塔」で、
旧市街で 唯一現存する城郭の一部。

14世紀に建設、最終1937~1940年に修復、
とんがり屋根は 19世紀に追加された。


直径14.3m、高さ25.5m、壁厚3m、
17~18世紀のロシア軍の砲弾が7か所

そのまま埋め込まれているそうだ。

以前は「砂の塔」と呼ばれていた。
かつて この塔の下から場外に続く道は
郊外に出る主要路となっており、
砂丘を横切って延びていたから。

当時リガの町はぐるっと砂丘に囲まれていたが、
15世紀に町を囲む陵郭と塀が築かれた際に
砂は 使われ、消えてしまったそうだ。

現在は ラトヴィア軍事博物館となっている。