あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

小田原かまぼこ 9 板絵ギャラリー

2016-06-23 | 国内・神奈川

 

前回は かまぼこ板の話題でしたが

その使用後の 話題です。

「かまぼこ博物館」の2階は

「板絵ギャラリー」になっている。

 食べたあとに残る かまぼこ板は

捨ててしまえば ゴミになってしまうが 


その13cmの小さな板が

キャンバスがわりになり

立派な美術品になるとして

それらの作品が展示され 

また 著名な作家の作品も飾られている。

 立派にリサイクルにも 貢献している。


1982(昭57)年 鈴廣創業120周年の

記念事業として スタートした

「かまぼこ板絵コンクール」


現在は「かまぼこ板絵国際コンクール 小さな美術展」と

名を変え
年齢 国籍を問わず 

全国各地から たくさんの応募があるそうだ。



小田原かまぼこ 8 かまぼこ板

2016-06-22 | 国内・神奈川

かまぼこも菓子の木型同様に木型を用いる。

   

かまぼこ板は 

通称”空板”(からいた)と呼ばれているが


なぜ かまぼこの板は「木」なのか 

木は蒲鉾の水分を吸収することにより

一定の水分量と鮮度を保ち 

腐敗を抑える効果 がある。


この木材の特性は 金属  樹脂等では得られない。

 また リサイクルにも対応している。


その木の素材として 最適なのは

「モミの木」「杉」で


モミの木は 色が白く 軟らかく 

殆ど無味無臭で かまぼこ板に最適で


杉は 外側の白い部分のみ使用しているという。

しかし 木にはヤニ  シブ 臭気

 節 割れ 変色 腐りなどがあり

加えて 含まれている水分量により 伸びたり

縮んだりする 性質もあるので

その選別や 加工等には

最善の品質管理が 必要になるそうだ。

かまぼこ板 されど かまぼこ板

納得!

 


小田原かまぼこ 7 特殊かまぼこ

2016-06-21 | 国内・神奈川

  

 

前回は かまぼこの種類の話題でしたが

ここでは特殊?な かまぼこを

 店内に「かまぼこトミカ」や

「プラレールあげかまぼこ」が並べられている。

一方の棚には 小田急電鉄のロマンスカーを

デザインした「ロマンスカーかまぼこ」


MSE(60000系)VSE(50000系) 

LSE(7000系)の3車両をモチーフにした

パッケージの中に 手のひらサイズの

ミニかまぼこが セットされており

かまぼこは車体と 同じ色で 色付けされている。


これらは お母さん方がキャラ弁当に

手軽に入れることにより 

かっこよさと おしゃれな
弁当に

また 普段の食卓向きにも 彩りよくなり

子供たちの食欲を誘う 一品として 

人気があるのだそうだ。

これも 子供を抱き込んだ商法ですね。

 

 


小田原かまぼこ 6 かまぼこの名

2016-06-20 | 国内・神奈川

 

 

 かまぼこの名の由来は

最初の形は 今のちくわ型で

 植物の「蒲の穂」に似ていて


「がまのほこ」→「かまぼこ」と

呼ばれるようになったという。

また 「かまぼこ」の種類も沢山あり

巻かまぼこ 笹かまぼこ 焼き通しかまぼこ

 焼きかまぼこ
あげかまぼこ 削りかまぼこ

 簀巻きかまぼこ などがある。

 

余談だが 

「かまぼこ」は 隠語にも使われ

代表的なものには 大相撲の隠語で 

稽古をさぼることを意味し


土俵に上がらず 稽古場の板塀にもたれたまま

休んでいる様子を


「背中が板に張り付いている」と

 蒲鉾に例えられた

 

 


小田原かまぼこ 5 かまぼこの由来

2016-06-19 | 国内・神奈川

             
石臼の今昔


ここで かまぼこの歴史を

「かまぼこ」が 日本の歴史に初めて登場するのは 

平安時代の1115年で 当時の古文書に

祝いの宴会料理のスケッチがあり


その中に かまぼこが 記録されていた。


この年号を 11と15を分け

11月15日が「かまぼこの日」に制定され

2015年には かまぼこ生誕900年をむかえている。


また 昔から11月15日の七五三のお祝い料理に

子供の成長を祝って 紅白のかまぼこを 用意する習慣があり


このことからも 制定の理由になっているそうだ。

 

 


小田原かまぼこ 4 つけ包丁

2016-06-18 | 国内・神奈川

 

かまぼこ作りに欠かせない必需品

 “つけ包丁”という包丁がいる。

一見 刺身包丁のように見えるが 

普通の包丁と違って 刃がない。

よって 他の料理作りには使われることなく

 かまぼこ造りにしか使われない専用の包丁です。

職人たちは この包丁を自在に操り

 すり身を叩いて伸ばし これを


何度も繰り返すとすり身にさらに粘り(弾力)が出来る。


そのすり身を 気泡が入らないように

 かまぼこの板に乗せて形を整えていく(成形)。

そして 板かまぼこの山形に 竹輪を巻き

揚げかまぼこ 切出しかまぼこ 

と自在に様々な形を仕上げてゆく。



余談ですが かまぼこを 板からはがす時には

 刃のついた包丁を使用します。

 


小田原かまぼこ 3 伝統の技

2016-06-17 | 国内・神奈川

 

 



一方 博物館内の一角が 

”見える工場” になっていて 

手作り専門の職人が もくもくと

かまぼこを ひとつひとつ 仕上げている。

 この かまぼこ作り 昔からの伝統の技が引き継がれ

現在では かまぼこ や ちくわ など

魚のすり身を使った 練り製品製造の国家資格
として

技能検定制度「水産練り製品製造技能士」の

ライセンスが必要だ。

試験のレベルは1級(高度な技能レベル)と

2級(通常技能レベル)があり


技のほかに 品質表示の適正化に関する法律関係法令

安全衛生に関する
知識等も 含まれているそうだ。

しばらく 職人の手捌きに見入る。

 


小田原かまぼこ 2 手作り体験

2016-06-16 | 国内・神奈川

 

 

小田原に「かまぼこ通り」があれば 

風祭地区に「かまぼこの里」もあるというので 行ってみた。

ここは 箱根駅伝の小田原中継点として 知られたところ

駐車場脇に 鈴廣「かまぼこ博物館」があり 入館する。

そこでは 子供たちが 調理台を挟んで

楽しそうに 実習の真っ最中

学校の実習授業かと 思われるほどだが

ここで ”かまぼこ” や ”ちくわ” の手作り体験ができると

人気があるのだそうだ。

この博物館は 1996(平8)年の

「かまぼこの日」にオープンし 


入場無料だが この体験は 有料とのこと。

しかし このように 子供のころから

かまぼこ等に 親しみ 興味を持たせる試み

なかなかのものです。

 

 


小田原かまぼこ 1 かまぼこ通り

2016-06-15 | 国内・神奈川

                                                  (資料から)

小田原と言えば

「かまぼこ」の名があげられる。

市内には「かまぼこ通り」があって

30店舗あまりが 軒を連ねており

「小田原かまぼこ通り活性化協議会」が 結成されている。

かつては この地域は 北条氏の時代から「船方村」と呼ばれ

漁師に親しまれて 相模湾の恩恵を受けて栄えてきた。

今も 海の香りが漂い 漁師町の風情を残しながら

かまぼこ屋だけでなく 干物屋 鰹節屋 料亭 


飲食店 和菓子屋なども 軒を連ね 


小田原の ”食の原点” が この通りにあるという。

 

 


小田原城 コスプレ

2016-06-13 | 国内・神奈川

 

 

小田原城・本丸広場で

鎧兜や着物を着て 

武士・お姫様に変身している子供や大人をみる。

ここでは 廉価で衣裳が貸し出されており

小田原城をバックに 鎧兜や打掛・忍者衣装で


時代の主人公になった気分での 

写真も撮れると人気がある。


特に 外国人観光客にも人気で 

城をバックに記念の写真を撮っていた。

 

 

 


小田原城 一夜城

2016-06-12 | 国内・神奈川

 

NHK大河ドラマ「真田丸」は

現在 本格的に 小田原城が 舞台になっている。

秀吉は 20万の兵を率い 小田原城を包囲し攻めるが

北条氏政は 絶望的であるが 降伏を拒否する。

 天守閣から 3km先に望める

「石垣山」(標高261m)は “一夜城”として有名だ。

1950(天正18)年 秀吉は 延べ4万人を動員し

小田原城側からは見えにように

80日かけて築城したが

一夜のうちに 周囲の樹木を伐採して

城を外から見るようにした。


それを見た 小田原城中の将兵が 驚き士気を失ったため

これが 降伏へとつながったと 言われている。

 

 


小田原城 復興支援

2016-06-11 | 国内・神奈川

 

小田原城の出口には 

熊本の ”くまモン” から復興支援への

寄付コーナーが 設けられていたが

先の5月1日に リニューアルオープンした

小田原城は 寄付金として200万円を、


さらに 公開初日の入館料全額と

合わせて 250万円を熊本市に寄付している。


小田原城は 1633(寛永10)年の「寛永小田原地震」で

大きな被害を受けた際に


熊本藩主・細川氏から支援を受けたとされていて


小田原市は 熊本城とは時代を超えた友情があり


今後も 支援を続けていくそうだ。



小田原城 ういろう

2016-06-10 | 国内・神奈川



展示コーナーに「小田原ういらう」があった。

そうだ「ういろう」は 小田原だと。

以前 ラジオ番組で

製造元の社長さんが 出演し「ういろう」の

話をしていたことを 思い起こした。

 

室町時代に中国・元朝から渡来して 

京都の本家が薬としての外郎(ういろう)を販売し


2代目が お菓子のういろうを作ったという。

今でも 650年も続く小田原の外郎家では

薬の外郎とお菓子のういろうの両方を売っており

外郎家の25代当主は外郎武さんで本名とか。

いまでも外郎家が健在することにも驚く。


また 江戸時代の浮世絵や 歌舞伎の「外郎売」に

出てくる役者の背負う荷物には

「小田原 外郎」の文字があり


歌舞伎18番の一つとしての「外郎売」は

その口上が早口で 長セリフであることから


アナウンサーの研修等で

発声練習や滑舌の練習にも用いらているそうだ。

 


小田原城 家紋瓦

2016-06-09 | 国内・神奈川

 

 

 

展示コーナーに 

城に使われていた「瓦」が展示されている。


城の瓦には城主の家紋が使われることが多いなか

小田原城主は北条氏から番城を経て


大久保氏や稲葉氏などの時代があったのだが


今まで発掘された瓦は

ほぼすべてが 徳川家の三つ葉葵で


徳川家以外で使われるのは 珍しい。


これには 江戸幕府の御公儀御用米はじめ


穀類 塩 銭、武具などを収納する蔵を設け


「公儀の城」の役割があったことから


三つ葉葵文の瓦を用いていたのではないかという。


 


小田原城 天守閣

2016-06-08 | 国内・神奈川

 

天守閣は 1960(昭35)年に

鉄筋コンクリート造として復興した。


展示場には 全国「天守閣」の高さ比べ

TOP10のコーナーが 設けられていた。


小田原城は 3重4階 天守の高さ27.7mで

全国名城の 7番目に高い。


因みに 1位 大阪城(41.5m) 

2位 名古屋城(36.1) 3位 島原城(33.0) 


熊本地震で被害を受けた熊本城は 4位 (32.5)・・・

難攻不落の城といえども 

やはり 地震にはかなわず 

どこの城もその被害を受けている。


小田原城も 過去に5回ほどあった。

熊本城は数回あったが 今回の被害は甚大で

復興への道は 険しいようだ。