あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

インド紀行 178 マハトマ・ガンジー

2016-04-30 | インド紀行

 

                 「RAJGHAT」(ラージガート)の案内板

前回 ガンジーに触れたので その話題を

 我々は インドの有名な人物といえば
「マハトマ・ガンジー」の名が思い浮かぶ。


その「マハトマ」は「偉大な魂」の意味。

 ガンジーは 敬虔なヒンズー教徒だが
イスラム教徒とも分け隔てなく
関わっていたことで

ヒンズー原理主義者達の怒りを買い
1948年1月 暗殺されてしまった。


火葬された遺灰は ガンジス河をはじめとする
各地の川に流されたそうだ。


非暴力の考えは インドだけではなく
世界の人々から尊敬を集め 影響を与えた。


アメリカの公民権運動の
マーティン・ルーサー・キング牧師にも
影響を与えている。

暴力で問題を解決する世にあって
「非暴力」という手段を通して

インドが独立できたことは
当時の植民地時代には大きな希望と原動力にもなった。


しかし マハトマ・ガンジーは
産業の機械化・工業化には反対していたこともあり
今のインドにあって
工業化・産業化を推し進める中では
あまり評価されていないようだ。 


時代は 移り変わっていくことが 良くわかる。

 


インド紀行 177 ラージ・ガート

2016-04-29 | インド紀行

 

ツアーバスは 何とか走り出したが 

またいつ ”エンスト” するのではと思いつつ ・・・

ガイドが「右手が マハトマ・ガンジーが

暗殺され 埋葬された場所
「ラージ・ガート」で

 現在は 公園になっており 

近くに ガンジー記念館があります。」

と説明してくれた。

下車しての見学はないが 

ガンジーは「インド独立の父」と

呼ばれていることを 思い起こす。

 

 


インド紀行 176 アクシデント!

2016-04-28 | インド紀行

 

 

フマユーン廟の見学を終え 

ツアーバスは オールドデリーに向かって


マトゥラー通りを 北上する。

ここでア クシデント発生“!

ツアーバスが エンストしてしまった。


これまで順調に走ってきたのに 土壇場でのトラブルだ。

ここで トラブっては 先ず 頭に浮かんだのは 

帰国への飛行機の時間に間に合うのか?

インディラ空港まで 
代車 地下鉄・・・

どのようにして移動するのか? など考えるが 


そんなことは ガイドが考えることで 

当方があれやこれやと 考えても どうにもならない。


ということで マナ板の鯉を決め込む。

ガイドは 焦ってツアー会社に電話している。

運転手は エンジンスタータを何度か試みるが 

そのうち床板を はがしてエンジン回りを点検している。

そんな中 突然エンジンがかかった。 

ツアー客全員 安堵し 歓喜の拍手だ。

故障内容は よくわからないが とにかく走り出したのだ。

しかし このトラブルのツケが 後ほどまわってくる。

 

 


インド紀行 175 廟の対比

2016-04-27 | インド紀行


  
ここで
  「フマユーン廟」と「タージ・マハル」との
    違いを整理してみた。
   

 

フマユーン廟

タージ・マハル

所在地

デリー

アグラー

建築年・年数

1565年 9年

1648年 22年

建築主・埋葬者

第二代皇帝フマユーンの
 王妃がフマユーン王のため

第5代皇帝シャー・シャハーンが王妃のため

廟の位置

4分庭園の中央

ヤムナー川を背にして
 4分の庭園を前面に

基壇と廟

95m / 48m

93m / 57mの八角形

主な素材

白大理石と赤砂岩

大理石

 装飾

ほとんどない・簡素

あり・緻密で豪華

地上高(ドームまで)

45m

72m

ミナレット

 なし

4柱(42m)

庭園

10ha

17ha

参考

タージ・マハルの手本

フマユーンを手本に

世界遺産登録年

1993年

1983年

 

 

 


インド紀行 174 帝国の終焉

2016-04-26 | インド紀行

                                

 

フマユーン廟の内部は意外と簡素で
 
この透かし彫りの窓から差し込む光が


この静寂と相まって 何故か特別な印象を感じる。


この窓 インドの職人の技術力を物語るものといわれ

繊細に見えるが 厚さが3㎝から5㎝くらいあって

結構頑丈にできているそうだ。

ところで フマユーン廟は

ムガール帝国の終焉の場でもあった。

19世紀前半には ムガル帝国は衰退し

その領土のほとんどを失っていた。


1857年 イギリス東インド会社の

インド人傭兵=セポイが蜂起して


イギリスと対立(セポイの反乱)した。


これにインド民衆が呼応して

ムガル皇帝バハドゥル・シャー2世を担ぎ上げ


ムガル帝国による再支配を企てる。


しかし イギリス軍はこれを武力で鎮圧し

フマユーン廟に隠れていた皇帝を発見して捕縛する。


翌1858年に皇帝位は廃位され ムガル帝国は滅亡。


代わって 英国国王を掲げる

イギリス領インド帝国が誕生する。


これよりインドはイギリスによる

植民地時代を迎えることに。

 

 

 


インド紀行 173 棺

2016-04-25 | インド紀行

 

廟内中 央墓室 うす暗い中 

透かし窓から差し込む光に浮かぶ 棺が置かれている。


霊廟の四方の部屋には 「シャー・ジャハーン」の


王子「ダーラー・シコー」など 一族の棺が置かれ


中央の広間には白大理石で出来た

「フマユーン」の棺が置かれている。


この棺も、タージ・マハルに置かれていた棺と同じく

仮の棺(模棺 : セノターフ)で

遺体は この真下に安置されている。

 因みに フマユーン王の突然の死は

1556年 宮廷図書館の階段から落ちたことによる。

また この廟には フマユーン王だけでなく

王妃 王子など
重要な宮廷人

150人が埋葬されているそうだ。

 


インド紀行 172 ドーム

2016-04-24 | インド紀行

 

フマユーン廟の屋根には

高さ 38mの白大理石ドームが乗っている。


また 傘のような小塔(チャトリ)も建ち

インド・イスラム建築の 特徴を表している。

ドームの構造については タジ・マハールでも触れ

二重構造になっていることを 話題にした。

外を巨大な建築に見せるためには

内部を小さくしないと 屋根の部分が支えられないため


外側は 巨大にして 内部を空間にして建

築資材の重さを軽減し


内部に再び もう一つのドームを造ることに寄り 

フマユーン廟の 巨大なドームを支えているのだ。

これも タジ・マハール の建築の手本になっていた。

 

 

 


インド紀行 171 水路

2016-04-23 | インド紀行



 「フアユーン廟」には

水路が張り巡らされている。

 そのすべてが直角に配置されて

四方には大きな池も配置され 水の庭園でもある。

やはり インドは暑い国 

見た目と実際に水路・噴水を設け涼しさを求めて


楽園のような庭園をつくりあげたのではないか。

 
更に 池の水面に廟が写り

天地上下のシンメトリーも隠されている。


これは のちのタージ・マハルの

建築にも応用されている。


下の写真は 水をこの板に流すことにより

せせらぎの音を求め 

更にゴミ除けにもなっている?

そのように工夫されているようだ。

 


インド紀行 170 シンメトリー

2016-04-22 | インド紀行

 

手入れの行き届いた庭園に囲まれ

中央にドームをいただいた

シンメトリー(左右対称)のフマユーン廟だが


水面に映り込むと 天地上下対称にもなる。


シンメトリーの廟は

白大理石と赤砂岩のコントラストが大変美しく


四方のどこから見ても 

同じ形に見えるように設計され


インド初のムガール様式といわれ 

帝国初期のインド・イスラム建築の

傑作と称えられている。 

 

追:
 インド南部では ここ数週間 
気温が45度を超す熱波に見舞われ
熱中症などにより160人以上が
死亡したというニュースがあった。

犠牲者の多くは 屋外労働者だという。
 さらに 深刻な水不足にもなっており
 今後 脱水症状などで死亡する人が
多く見込まれるという。 

 


インド紀行 169 フマユーン廟

2016-04-21 | インド紀行

 

西門をくぐって 池から伸びる水路の先 

正面に「フマユーン廟」が現れた。

10万㎡以上もある敷地の中央に

90m角の基壇が設けられ その上に霊廟が建ち


どっしりと構えている。

この「フマユーン廟」は 

フマユーン皇帝の妃 ハージ・ベーガムによって


9年の歳月をかけて 1570年完成した。

 ペルシアの影響を大きく受けて

インド産の赤い砂岩が巧みに取り入れられ


白い大理石を組み合わせたコントラストが

簡素で美しいと評価されている。


建設以前は 墓を作る習慣のなかった

インドに初めて造られた

本格的なイスラムの霊廟建築で


“庭園の中の廟”ともいわれる最初の建物。


後に建てられた タージ・マハル の手本にもなった。



 

 


インド紀行 168 フマユーン廟・西門

2016-04-20 | インド紀行

 

紅茶店から サウスデリー地区 

ヤムナー河よりにある「フマユーン廟」へ。

 先ず 廟への西門へ向かう。

この門 他にあまり見られない

3曲の屏風のように建つ。


「フマユーン廟」は ペルシア出身の

建築家の親子 2人によって

9年の歳月を経て 完成されたという。


その建築は ムガル帝国の廟建築の

原型を示すといわれている。

1993年 世界遺産に登録された

 

 


インド紀行 167 紅茶

2016-04-19 | インド紀行

 

今度 案内されたのは 市内にある 紅茶販売店

インドは スリランカと並んで

世界最大の紅茶生産・輸出国である。

特にインド北東部では

アッサム・カチャール・ダージリン・ドアーズ地方で

良質な紅茶が生産されていることで有名だ。

店内では 流ちょうな日本語で 紅茶の説明があり

「自社プラントの栽培だから 安心で安全だよ

その分 値札は高いが 

店員に相談してください。」とのこと。

当方は試飲の紅茶を飲みながら 店内を見渡せば

 壁に日本人の写真が飾ってある。

よく見れば 有名芸能人や音楽家で

この店に訪れているようだ。

これも 宣伝材料になっているようです。

 


インド紀行 166  タタ・ノア

2016-04-18 | インド紀行

 

前回 TATAに触れたが

さらに 市内で走る タタ・ナノの車を見た。

2008年 タタ・モーターズが

売り出した 小型乗用車だ。

インドでの自動車普及を目指し

10万ルピー
(発表当時のレートで約28万円)と


驚異的な廉価での販売ということで

世界的ニュースになった。


ナノ以前で インド最安価だった 乗用車は

マルチ・スズキ・インディアの「マルチ・800」で

価格は 20万ルピーだった。


インド紀行 165  TATA

2016-04-17 | インド紀行



クトゥブミナールの見学終えて

 デリー市内を走る「TATA」のバスをみる。

日本でバスの生産といえば 三菱 いすゞ 日野になるが

TATAは ムンバイに本社を置くインド最大の自動車会社

タタグループを構成する主要企業のひとつであり

インド国内のほか タイ アルゼンチン

南アフリカにも生産拠点をもつ。


データは 2005年と古いが 

商用車のバス・トラック部門では世界5位。


インド国内では商用車のシェアの60%を持っている。

乗用車分野への進出は 

後発ながら インド国内第2位のシェアがある。


1位は マルチ・スズキ・インディア。

 

 


インド紀行 164 イーマム・ザミーン廟

2016-04-16 | インド紀行

 

こちらは トルキスタンの聖人を祀る

「イーマム・ザミーン廟」

 1538年 フマユーシ帝の時代に

造られた初期ムガル建築の霊廟だ。

西側の壁にはメッカの方向を示す

ミフラーブが造り付けられ 

入口上部には建物の歴史が

アラビア語で書かれている。

 

写真は 12本の壁柱に支えられた

八角形の基部に支えられたドーム。

見ようによっては 蜂の巣を思わせる。