あかない日記

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ポルトガル紀行165 リスボン7 発見のモニュメント3  

2019-08-31 | ポルトガル紀行

  

    ヨーロッパ、アフリカ大陸。

 

                    (googleから)


「発見のモニュメント」前の広場に
大理石のモザイクで描かれた直径55mの
大きな世界地図が広がっている。

 

エンリケ航海王子が派遣した
ディエゴ・デ・シルベスによって

1427年に発見された アゾレス諸島 と
マデイラ島が刻まれている。

アフリカには

1434年 ブーダー

1444年 カーボベルデ

1460年 ギニア

 


ポルトガルには、ポルトガル国旗の
五つの盾がはめ込まれている。

 

 

  

 

         

        (軍艦用国籍旗)


 

五つの盾にまつわる伝説とは、
オーリッケの戦いの直前にポルトゥカーレ伯アフォンソ
(後の初代ポルトガル王アフォンソ1世)の
前に隠者があらわれ、
ムーア人に対する勝利を約束したという「奇跡」である。
この戦いでアフォンソはムーア人の王五人を殺して大勝し、
この戦いを記念して五つの盾を王の印としたとされる。
                  (ウィキペディア)

 


ポルトガル紀行164 リスボン6 発見のモニュメント2  

2019-08-30 | ポルトガル紀行

 

 〔東側〕

 

①エンリケ航海王子:大航海時代の先駆的指導者 

②アフォンソ5世 : 航海王子の甥
   モロッコを拠点にアフリカ・ポルトガル帝国を
   形成した 通称アフリカ王
③ヴァスコ・ダ・ガマ   :
   インド航路を発見した海洋探検家
④アフォンソ・バルダイア : 航海士
⑤ペドロ・アルヴァレス・カブラル: ブラジル発見者 
⑥フェルディナンド・マガリャインス(マゼラン):
   初の西回り世界一周達成者

⑦ニコラウ・コエーリョ     :航海士
⑧ガスパル・コルテ=レアル:航海士  
⑨アフォンソ・デ・ソーサ :航海士
⑩ジョアン・バーロス      :歴史家
⑪エステバ・デ・ガマ  :
   ヴァスコ・ダ・ガマの兄 大航海時代の船長

⑫バルトロメウ・ディアス:
   喜望峰を初めてまわりインド洋へ到達

⑬ディオゴ・カオン :コンゴ川に到達した最初の人物
⑭アントニオ・デ・アブレウ:
   モルッカ諸島に到達した最初の人物

⑮アフォンソ・デ・アルブケルケ: 
   ポルトガル領インド第2代総督(副王)

⑯フランシスコ・ザビエル :スペイン出身 
    日本へ1549年にキリスト教を伝道した宣教師

⑰クリストバウン・ダ・ガマ: 航海士・騎士。

 

 

 

  〔西側〕

 

①エンリケ航海王子 :(東側からも見える・像の高さ9m)
       手に持つのはカラヴェラ船の模型
②フェルナンド聖王子   : ジョアン1世の王子、
       エンリケ航海王子の弟

③ジョアン・ゴン・サルベス: 航海士・騎士
④ジル・イアネス     : カナリア諸島南のボジャドール岬を
   最初に越えた海洋探検家

⑤ペロ・デ・アレンケーレ: (頭だけ見える像)航海士
⑥ペドロ・ヌネス    : 15世紀の数学者
⑦ペロ・デ・エスコバール:(肩より上が奥に見える)航海士
⑧ジャコメ・デ・マイオルカ: 天文学者
⑨ペロ・ダ・ゴビリャン  :
        (旗を持つ) 15世紀の冒険家、陸路でインド到達

⑩ゴメス・イアネス・デ・ズラーラ: 作家
⑪ヌノ・ゴンサルヴェス :
      「聖ヴィセンテの衝立」で知られる画家

⑫ルイス・デ・カモンイス: 
      (「ここに地終わり…」と何度か触れた)詩人

   ポルトガル史上最高と讃えられる
      「ウズ・ルジアダス」の著者

⑬フエレイ・エンリケ・カルバーリョ: 神学者
⑭フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ: 神学者
⑮フェルナン・メンデス・ピント: 
    「東方巡礼紀」著者、中国方面への貿易商

⑯ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ:
       ジョアン1世の王妃、エンリケ航海王子らの母

⑰ペドロ・デ・コインブラ : 
        ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の兄

 


ポルトガル紀行163 リスボン5 発見のモニュメント1  

2019-08-29 | ポルトガル紀行

 

 

 

「発見のモニュメント」

ヴァスコ・ダ・ガマが
インドへ向けて出発した場所に

エンリケ航海王子500回忌を
記念して1960年に建設された。

記念碑はコンクリート製で
高さ52m 帆船の船首をイメージしており

右舷(西)と左舷(東)には

 大航海時代を牽引した
  エンリケ航海王子を先頭に 
 
 アフリカ・ポルトガル帝国を
  形成したアルフォンソ5世

 海洋探検家ヴァスコ・ダ・ガマ
 フェルナンデ・マゼラン  
 宣教師フランシスコ・ザビエル
 
 右舷には詩人ルイス・デ・カモンイス
 航海王子の母フィリパ王妃 

33人の像が彫刻されている。

なお 写真左に
航海用の「天球儀」のモニュメント

碑の最上部には
ポルトガル国旗の五つの盾が見える。

  

 

                      

  船先をテージョ川に向け今にも出航のようだ 
    遠方に4月25日橋とクリスト・レイを望む

 


ポルトガル紀行162 リスボン4 ベレンの塔2  

2019-08-28 | ポルトガル紀行

 

 

ベレンの塔は 高さ約35mの6層からなり
正式にはリスボンの守護聖人に
ちなんで「サン・ヴィセンテの砦」という。

白い石灰岩を用い 
上部はポルトガルの城を
下部はカラベラ船をモチーフにしたマヌエル様式で

塔の姿は貴婦人や公女の名に例えられるが 
地下には水牢があって残酷な面も備えていた。 

 

 

  

〇堡塁部分(2層)

1層目「地下牢」:最下層に位置し、
   潮の干満さを利用した水牢で時間帯や天候により

   海水が入り込む仕組みになっている。
   当時、政治犯が多数投獄され幽閉生活を送っていたと。
2層目「砲台」:四方を見張るいくつもの大砲が置かれたスペース。
   現在は模型を展示。
   
〇地上部分(4層構造)

1層目「役人の間」:王によって任命された塔を
    統括する役人の部屋

    屋外にテラス(突き出た部分)があり
    哨兵台が数個設置されている 
    聖母マリア像もこのテラスに立つ。

2層目「国王の間」:王の居室、3面に渡る外壁に
    張り巡らせたアーケード状の
    柱廊はレリーフが美しい。

    テージョ川全体が見渡せる。
3層目「謁見の間」: 王家一族が使者や家来たちの
    謁見を受けた公式の部屋。

4層目「礼拝堂」 :航海の無事を祈った部屋。
    天井にはマヌエル様式が施されている。

5層目「テラス 」 :屋上。テージョ川からの
    侵入者を見張る櫓としての機能。

 

  




ポルトガル紀行161 リスボン3 ベレンの塔1  

2019-08-27 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンの西部 
テージョ川の河口に位置するベレン地区

かつて新大陸に向けて
船が出航した歴史的なエリア

 

そのうちにある「ベレンの塔」は

テージョ川と大西洋の境目に建つ塔は
マヌエル1世の命により
建築家フランシスコ・デ・アルーダが設計し

1519年に完成している。

最初は行き交う船の監視と河口を
守る要塞としての役割であったが

後に税関や電報局に転用されていた。

今は ジェロニモス修道院とともに
世界遺産に登録されている。

  

 

 

作家・司馬遼太郎の著書
「街道を行く 南蛮の道」では

塔は「テージョ川の公女」とたたえ

「ながい航海のすえ、
母国の河口港に入ってくる船は、

船体も傷み、ひとびとは疲れ、女性を恋い、
さらには故国において
母性を見出すべく心が渇ききっている。

かれらが夜、港外で塔の灯を見、
朝塔の姿を見たとき、

生きてリスボンに
たどりついたという思いが、

体中を溶けさせるのにちがいない・・・」
と綴っている。

 

 


ポルトガル紀行160 リスボン2 サンタ・クルス号  

2019-08-26 | ポルトガル紀行

 

 

リスボン最初の見学は 
市の中心から テージョ川沿い約6km西にある

大航海時代の栄華を今に伝えるベレン地区から

 

ポルトガルでは 大航海時代の船が主役と思っていたが
べレンの塔の手前に飛行機のレプリカが置かれている。

 

この飛行機は ポルトガルの
海軍士官ガーゴ・クーチホ航法士と
サカディラ・カブラル操縦士が

リスボンからブラジルのリオデジャネイロまで飛んだ
サンタ・クルス号・複葉水上機
 (フェアリー IIID・:イギリス製)。

  

  

 


1922年3月30日 リスボンを出発し
カナリア諸島までの
1,400kmを8時間半で飛んだ。


4月4日には1,550kmを10時間かけて飛び
カボヴェルデ島に到着した。


4月18日に2,500km先の
フェルナンド・デ・ノローニャを目指したが

燃料不足で サンペドロ岩礁に不時着水し
機体も大破した。


5月10日から替わりのフェアリー機で飛行を継続し

6月5日にブラジル本土に到着し
6月17日に最終目的地のリオデジャネイロに到着した。

7,500kmを80日間で飛行した。

この偉業を称えるモニュメントであった。
       (1991年建立)

なお 水上機のオリジナルは
海洋博物館に展示されている。


その功績からガーゴ・クーチホは

1926年にポルトガル海軍大学の校長に任命された。

没後、1978年から発行されていた
20エスクード紙幣に肖像が印刷されてもいる。

 


ポルトガル紀行159 リスボン1 TV・こち亀  

2019-08-25 | ポルトガル紀行

 

 

 

リスボンの朝を迎える。

ホテルのTVのスイッチを入れたら

いきなり「こち亀」

吹き替えではなく ポルトガル語の字幕だが

 

マンガは「週刊少年ジャンプ」において

1976年から2016年まで連載された。

 

テレビアニメは フジテレビ系にて

1996年6月16日から


2004年12月19日まで放送された(全373話)。

テレビアニメ版は ポルトガルのほか 

インド、スペイン、フランス、

台湾などでも放送されている。


         

     亀有駅北口 両津巡査

 

 


ポルトガル紀行158 シントラ17 シントラ駅   

2019-08-24 | ポルトガル紀行

 

 

 

シントラの見学を終え

 リスボンに向かう途中

  シントラ駅を見る。

 

シントラ駅は リスボン・ロシオ駅から

シントラ線(複線)で結ばれた終着駅

普通列車で40分ほど。

ポルトガル鉄道の駅で1887年に開業している。


駅舎は中世を思わせるが ホームは現代的だ。


リスボンから近く世界遺産の街

観光シーズンの運行間隔は10~20分とか。

 

 

 

 


ポルトガル紀行157 シントラ16 大広間   

2019-08-23 | ポルトガル紀行

 

      マヌエル様式の棟にある「大広間」

      ベネチア製クリスタルのシャンデリアが眩い

 

マヌエル1世の時代に
建物の増設や装飾が加えられて

大航海時代の交易による豊富な
富が注ぎ込まれている。

ゴシック様式 ルネサンス様式から発展し 
マヌエル様式へと移り変わっており

またイスラム建築の復古がされ(ムデハル様式)
色彩のアズレージョも取り入られている。

 


 

     ムデハル様式の歩廊

宮殿のほとんどの部屋はセビーリャに
特注させたタイルで装飾され

イスラムの異国情緒と
アラビア風の雰囲気を漂わせている。

 


ポルトガル紀行156 シントラ15 厨房   

2019-08-22 | ポルトガル紀行

 

              厨房室

15世紀前半 ジョアン1世により建設された。

内部は アズレージョなど飾るものはなく 

白一色で清潔感がある。

豚や牛を丸焼きにする用具もある。

 

  

                       

  煙突の真下から見た内部

丸穴は煙突の最先端 四角い窓は通気口

 

 

外から見た 煙突

この独特な二つの円錐形 
33mの煙突が 
王宮のシンボルにもなっている。

 


ポルトガル紀行155 シントラ14 アラブの間   

2019-08-21 | ポルトガル紀行

 

 

 

部屋の真ん中に噴水がある「アラブの間」

壁は 緑 青 白色など
15世紀にセビーリャで

焼かれた多色のアズレージョで彩られており
ポルトガルに現存する最古のアズレージョとのこと。

ムーア人たちは
この噴水を囲んで宴を催したという。

 

                       

          アラブ調のアズレージョ

上の剣先のように見えるのは
“トウモロコシ”をあしらっている。


 


ポルトガル紀行154 シントラ13 礼拝堂   

2019-08-20 | ポルトガル紀行

 

 

 

礼拝堂は ディニス王により造られた。

壁のフレスコ画は
ハトがオリーブを運ぶモチーフで

聖霊への祈りを示している。

床面のタイルと木製の天井は
ポルトガルのムデハル様式の最も古い。

                       

 

 

天井の飾りは
左手に地球を持ち平和を願う神が描かれている。

 


ポルトガル紀行153 シントラ12 中国の間   

2019-08-19 | ポルトガル紀行

 

 

 

「中国の間」(パゴダの間)

女王マリア1世が18世紀に
清王朝時代の中国を海賊から
守ったことに感謝して

中国から贈られた屏風や
象牙の仏塔(パゴダ)などの
調度品が置かれたことから

「中国の間」と言われている。

ここにも大航海時代のポルトガルは

世界中の国々との交易が
あったことの一端が伺える。

  

                       

 清王朝時代の象牙製のパゴダ(仏塔)

 


ポルトガル紀行152 シントラ11 紋章の間   

2019-08-18 | ポルトガル紀行

  

 

  

 武器庫を改造した「紋章の間」がある。


八角形の天井一面に
16世紀の王侯貴族の紋章が掲げられた間で
王宮内で最も煌びやかな造りの部屋になっている。

 

この部屋は、マヌエル1世の統治時代
(1495-1521)に造られているので

マヌエル1世は、ヴァスコ・ダ・ガマの
インドからの帰還の
第一報をここで聴いたともいわれ

インド航路の開設などで繁栄を謳歌した
ポルトガル王国の黄金期を
象徴する部屋になっている。

主要なポルトガル貴族の紋章と
自身の紋章の計72個描いた壮麗な
木製の天井で飾り立てた。

天井の中央にマヌエル1世の紋章
その回りに王子や王女の8つの紋章
さらに壁の上部には王に仕えた
貴族の72の紋章が描かれている。


貴族以外に 航路開拓の功績を讃えられた
ヴァスコ・ダ・ガマや
カブラルの紋章もある。

しかし
そのうちの一枚コエーリョ家の紋章は、
ジョアン2世に対する陰謀が
発覚し削られたという。

また 半分白地の紋章は
未婚の姫を表し

結婚するとこの余白に相手の
紋章が書き込まれたそうだ。

 

 

     パンフレットから

 

                         

 狩猟の様子を描いている壁のアズレージョ

 

 

 


ポルトガル紀行151 シントラ10 ガレオンの間   

2019-08-17 | ポルトガル紀行

   

 

ガレオン(船)の間

この間は大航海時代の威光を
知る部屋になっている。

ガレオン船とは 
16~17世紀にかけて西欧で
発達した大型帆船。


3本ないし4本のマストと、
高い船尾甲板をもち、大洋航海にすぐれる。

軍船・貿易船に用いられた。

 

                       

  船底天井にはガレオン船が描かれている

 

船底天井は 天井の中央部分が両端より高く
勾配がついた天井をいう。
船の底のように見えることからその名がついた。
部屋を広く見せる効果がある。