あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

エジプト旅行(71) ジェット・ストリーム

2011-03-31 | エジプト紀行

  ジェット・ストリーム

 

   エジプト旅行も 現地を離れ帰途へ

   24日午後 カイロ空港から 日本に向け 飛び立つ。 

  次第に高度上げ ナイル川?の向こうに 地(水)平線が

  横たわっている。 こんな光景を見ているうち

  かつて FM放送で深夜に放送されていた

  亡くなった 城 達也さんのナレーレション

    「ジェット・ストリーム」 が聞こえてくるようだった。

 

  「遠い地平線が消えて ふかぶかとした夜の闇に

  心を休める時  はるか雲海の上を 音もなく流れ去る

  気流は たゆみない宇宙の営みを告げています。

  満点の星をいただく はてしない光の海を ゆたかに

  流れゆく風に 心を開けば、きらめく星座の物語も

  聞こえてくる 夜の静寂の なんと饒舌なことでしょうか。

  光と影の境に消えていった はるかな地平線も瞼に

  浮かんでまいります。・・・」

 

 

 

 


エジプト旅行(70) カイロの商店街

2011-03-30 | エジプト紀行

  

   12月24日 昼下がりの カイロ市内の商店街

  さぞかし 東京・下町の繊維街では クリスマスセールで

  買い物客で混雑しているのではと思うが 

  ここカイロ街は クリスマスイブの日ながら エジプト人の

  9割がイスラム教であるため クリスマスの派手な飾りつけもなく 

  また クリスマスソングも流れてもいない。 

  車のクラクションが響いていたぐらで 静かな街であった。

  しかし 泊まったホテルなどでは クリスマスツリーなど

    飾りつけをしての歓迎はあったが。

 

  因みに エジプト人口の1割は コブト教で キリスト教の

   一派であるので 1月7日に クリスマスを祝うそうだ。

  

   


エジプト旅行(69) ハーン・ハリーリ

2011-03-28 | エジプト紀行

  

    

 

 

 

 

 

 

 

 

        

   カイロ中心部 バザールの ハーン・ハリーリへ

  東京の浅草似た町 アラブ諸国で最大級の規模を誇る市場。

  狭い通リに パピルス 革製品 水パイプ 香辛料 香水 

  金細工 宝石 土産品 日用品 スカーフ エジプト綿の

  Tシャツや民族衣装のガラベーヤ タペストリー ベリーダンスの

  衣装など さまざまな店が軒を並べている。

   観光客に対する客引きも すざましいい!

    

         

   丁度金曜日 祈りの日のため ハーン ハリーリの

   入り口脇にある フセイン広場のバーマ・ホセインでは

   お祈りが行われていた

 

 

 



奥の細道

2011-03-27 | 出来事・行事

  採茶庵

               (江東区深川の採茶庵)  

  元禄2年3月27日 明け方 松尾芭蕉が 弟子の河合曾良を

  伴い 江戸深川・仙台堀川わきの採茶庵(さいとあん)を出て

  「奥の細道」に旅立った日

  全行程約600里(2400km)、日数約150日間中に  

  東北・北陸を巡って2年後の元禄4年に江戸に帰っている。

 

  芭蕉が廻った東北地方の史跡は 今回の大地震では

  無事であったのだろうか? 

        * 採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風(さんぷう)の別宅で  

           芭蕉は ここに厄介になっていた。

 


エジプト旅行(68) 死者の町

2011-03-26 | エジプト紀行

 死者の町

   バスの窓越しから 「死者の町」を望む。

   カイロを一望する丘に 低い家並みが数キロにわたって続く

  一帯に巨大な墓地がありここを「死者の町」と呼ぶ。

  多くのホームレスや貧者がこの墓地に住み着くようになり

  一つの町を形成するようになった。

 

 墓地であるから モスク(イスラムの礼拝堂)、ミナレット(尖塔)

 美しいドームを持つマスギド(礼拝所、小型のモスク)や

 ハーンカー(スーフィーの修道場)が多数見える。

  原発事故で 

  今の日本に 「死の町」 ができないよう望む!

   

 


エジプト旅行(67) エジプトの子供5

2011-03-25 | エジプト紀行

   エジプトの子供(5)
 

   

    オールドカイロ街 

   廃車寸前とも思われる車に 小さな姉妹が 取り残されていた。

   ずうっとここにいるのか たまたま停車中なのかは

   分からないが 周囲にも 親の姿が見当たらない。 

     不安げに 私を見つめる大きな瞳が 

             何かを訴えているようだった。

   この旅行中 エジプトのいろいろな子供たちを見てきたが

   幼児期等の人生 そのときの体験や経験が

          将来に大きく影響すると思う・・・・。 

 

   この度の 地震・津波で 被災した日本の子供たちにも

   親兄弟を亡くしたりして 

     容赦ない 厳しい現実が つきつけられているが 

         負けるな! くじけるな! と祈る。

  

   

 

 

 

 

 


エジプト旅行(66) オールド・カイロ

2011-03-24 | エジプト紀行

 

 

  世界遺産として登録されている カイロの町の起源である

  オールドカイロ地区の路地。

  カイロは、「オールド・カイロ」「イスラム地区」「新市街」に

  分けられる。

  コプト教の古い教会群と7世紀にエジプトに侵入してきた

  イスラム軍の造営地のあった辺りを「オールド・カイロ」と

  呼んでいる。 以後 徐々にイスラム化しながら 市街は

  北に広がり それが現在の「イスラム地区」になっている。

  「イスラム地区」は 南の方のシタデル(城塞)の周囲と

  北の方のハン・ハリーリ市場などがある。

  
  
   紀元後 ローマ帝国の支配下で キリスト教が布教されて

  エジプトでのキリスト教は キリスト教ではあるが

  「コプト教」という一派になっている。

  

    この街の静寂の中に 教会のお祈りの

               音楽だけが流れていた。

  
  
       
 

       ”放射能汚染”が広まってきた 日本の静寂はどこに !

    


エジプト旅行(64) 土産物店

2011-03-22 | エジプト紀行

 

  バスは アレキサンドリアを後にし 再びカイロへ向かう。

 途中トイレ休憩 そこに 「みやげ物店」があった。

 お菓子中心のお土産のようだ。

 あのエジプト騒乱で 観光客が途絶えてたようだが

   現在は もとの状態にもどり 

             土産を買う客も訪れていることだろう。

 

  しかし今では 日本が その 観光客 がこない !

   被災 避難 放射能汚染 等で 

     在日していた外国人も 国外に逃げ出している。

 まして 旅行・イベント等 自粛や省エネルギーで 

 直接関係のない観光地までが その影響を受けている。

   この国難に 国民一人一人が 

         どう対処すれば よいのだろうか?

 

 

 


エジプト旅行(63) エジプトの子供4

2011-03-21 | エジプト紀行

        エジプトの子供(4)
 

 

   地中海を望む海岸に遊ぶ 家族一家に関心が

  一家の孫を囲み 笑顔がほころぶ!

 

  旅行から帰って1ヶ月後にはエジプト政変がおこり

  そして今は 隣国では戦争状態になっている。

 

  加えて わが国では 巨大地震 大津波 原発事故等と

  一寸先は闇とも思える現況 

  被災されたり 家族を亡くしたり 避難された方々に

  このような笑顔が 戻るのは 何時になるのだろうか?

  

         

             

 

 

 

 

 


エジプト旅行(62) カーイトゥベーイの要塞

2011-03-20 | エジプト紀行

    

    朝一番 「カーイトゥベーイの要塞」を 外から見学

  この要塞は もともと古代世界の7不思議の一つといわれた

  ファロスの灯台跡に 15世紀に建てられた。

   3層構造の堅固な造りになっており 

          現在は 海軍博物館になっている。

 

  *ファロスの灯台とは アレキサンダロス大王の案に基づき

   プトレマイオス2世により 紀元前3世紀に建立。

   高さ120mで 56km先からも光が見えたとも。

   しかし14世紀の大地震で崩壊した。 

   また 繁栄を謳歌したクレオパトラ7世の居城も4世紀頃

   大地震で海底に没し当時の情報は殆んど出てこない。

   1997年に 海底からスフインクス 巨大石柱 石像の頭部

   石畳等が発見され クレオパトラの暮らした都が発見された。

    
   ここでも 大地震が発生し 歴史を変えている。 

    今回の 日本の巨大地震は

          どのようなことになるのだろうか?

    

       

 

     上の写真の反対方向 右は穏やかな地中海が

    見えるが この海岸に続く リビアでは 

    米・英・仏国が 最高指導者カダフィあての声明を発表し

    「(即時停戦を要求し、従わない場合の武力行使を容認した)

    国連安全保障理事会決議1973を順守しなければ、

    国際社会は軍事手段によって決議を強制履行させる」と

    最後通牒を突き付けている。また アメリカとイギリスの

    艦船や潜水艦からリビアに向けて巡航ミサイル

    「トマホーク」110発以上を発射した。

     今の地中海は 戦場と化して いる。

 

 

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エジプト旅行(61) アレキサンドリアの朝

2011-03-19 | エジプト紀行

  

  旅行7日目 エジプト最後の朝を迎える。

  今朝も6時半の出発のため 5時の起床

  朝食を済ませてやっと夜明けに

  

 

   

     地中海の見える五ッ星ホテルが旅行の売りだ!

   しかし 夜の到着 そして早朝の出発では

   その売りが浮かばれない。

   でも 少しでも味わいたいと ビーチに出てみた。

   暗い海の潮騒と 閉じられたビーチパラソルだけ

   エジプトにふさわしい太陽が欲しかった!

   

    

 

 

 


エジプト旅行(60) モンタザ宮殿

2011-03-18 | エジプト紀行

  

 

     アレキサンドリアの中心部から18km東にある モンタザ宮殿は

   格式ある庭園と美しいビーチに囲まれ 370エーカーの広大な敷地に

  建っており  トルコ風とフィレンツェ様式がミックスした 王家の夏の

  宮殿として1892年にヘディーブ・アッパーズ2世が建てた。

  「エル・サラムレク」と呼ばれ 迎賓館としても使われ その後改築し

  現在は 客室20部屋のみの贅沢なホテル「アル・サラムレック」に

  なっている。

  ロビーには たくさん王家の写真が飾られ 美しいアンティークの

  イスや机が備え付けられている。 

  ボーイたちも王室時代のコスチュームで接待し 王侯貴族の気分を

  味わえるとのこと。

 

  その緑に囲まれた広大な庭に建つ「ヘルナン・パレスタイン」が

  今夜の我々の宿泊先です。 

 

      


大地震(5)地震雲

2011-03-17 | 東日本大地震

    

    3月9日の夕方5時半ごろ 都内で

   夕日に輝く雲に 妙に引っかかり

   カメラを向ける。

   写真では その気配が分からないが 

   後から考えて ”地震雲” だったのではと

   思うようになった・・・

 

     *今日は原発3号炉に 空から陸から

   放水し冷却を試みる 何とか小康状態を保つ

   また 大規模停電が予測されると

   節電の呼び掛けに 交通機関がマヒに

  

  

    

   


大地震(4)買占め

2011-03-16 | 東日本大地震

    

     

 

        生活用品が完売!


   スーパーの商品棚からは 米やカップラーメンなどは もちろん

   すぐに食べられるパンや牛乳 そして 紙製品 懐中電灯・・・

   生活用品の何でもかんでもが品切れ状態に。

   緊急事態ゆえに 普段どおりに食べる分だけ 生活に

   必要な量だけにして買ってくれればよいものが

   パニック状態 我先に買占めです。

 

    

   

    ガソリン・灯油も完売状態!

  どこも完売で クローズするガソリンスタンドが多い中

  給油すことができるスタンドに 並ぶ車 車!

  その数何百台 待っている間に ガス欠になりそうなので

  あきらめて帰る。

  後で聞けば 2000円分しか 給油できないのだそうだ。

 

  これから先 原子炉 計画停電 交通機関・・・・等

  ますます厳しくなる現状 そして生活 どのように対処できるか!