あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

小泉 八雲(八雲忌)

2016-09-26 | 人物忌

 

 

今日(9月26日)は 

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン 1850-1904)が

亡くなった日 「八雲忌」(享年54歳)。

アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に

ギリシャのレフカダ島で生まれ

1890(明23)年 雑誌記者として来日し

島根県尋常師範学校の英語教師に任じられた。

1896(明29)年 東京帝国大学の英文学講師に就任し

その年 日本に帰化して「小泉八雲」と名乗る

 

新宿区西大久保にある 大久保小学校に 

「小泉八雲舊居跡」と

「小泉八雲終焉の地」の碑が建てられている。


1902(明35)年3月 

旧板倉子爵邸を買い取って


市谷富久町から転居して 

ここから本郷の東京帝国大学まで通い

1904(明37)年4月からは 

早稲田大学の講師に招へいされたが


その年の9月26日に

心臓発作で 亡くなるまで ここに住んだ。

なお 墓は雑司ヶ谷霊園にある。

 

 
 碑には 旧居の写真が 組み込まれているが

約800坪もある敷地で 

大きな家であったと いわれている。


西大久保に 転居する前 


1896(明29)年から 1902(明35)年まで

市ヶ谷富久町に 住んだ旧居跡がある。

 

 


その跡地は 現在「成女学園」の中庭になっており


小泉八雲舊居跡」の碑が たっている。

 

 



 


宮沢 賢治(賢治忌)

2016-09-21 | 人物忌

 

 

今日(9月21日)は 
宮沢賢治が 急性肺炎で 亡くなった日
 「賢治忌」(享年37歳 生涯独身)

宮沢賢治(1896-1933)は 詩人 童話作家。

法華経の信仰と 農民生活に根ざした創作を行い
創作作品中に 登場する架空の理想郷に
岩手をモチーフとして
イーハトーブと名づけたことで知られる。


賢治が 東京・本郷菊坂町に住んだのは 
24歳になった 1921(大10)年1月に上京し
妹トシの肺炎の悪化で 急きょ花巻に帰るまでの
たった 8か月弱だった。




文京区本郷 菊坂通りの
中程に階段があって

階段途中に 旧居跡の案内板があり 
階段を降りた先が その跡だが
分かりずらいと思ったのか 
誰かが 案内板にテープが貼ってあった。

その8カ月間 生活のための
労働と布教活動と平行して

1日300枚の原稿を書き上げることもあり 
童話集「注文の多い料理店」「どんぐりと山猫」
「かしはばやしの夜」などの作品が生まれている。

 

 

 当方は 2003(平15)年 
花巻市にある
宮沢賢治記念館」を訪れている。

当館は 1982(昭57)年に開館しており
今年 賢治生誕120年を迎え 
実物「雨ニモマケズ手帳」の
公開など 特別展や
記念事業が
開催されている。



 

 

 賢治が 本郷の下宿先から通った 
また 短い散文の作品「図書館幻想」の
舞台となったという
「帝国図書館」が 上野公園にある。

今は「国際子ども図書館」と
その名を 変えている。

 


正岡 子規(子規忌)

2016-09-19 | 人物忌

 

 

 


今日(9月19日)は
「へちま忌」ともよばれる「子規忌」。



俳句の正岡子規が 
ここ「
子規庵」でなくなった日。(享年35歳)

1894(明27)年に 旧加賀藩前田家下屋敷の
侍長屋であった この家に移り住み
 
文学の近代化のために力を尽くしている。


 

 
没後 母と妹が守り続けたが
1945(昭20)年の空襲で焼失してしまった。

1951(26)年に再建され 
翌年東京都文化史蹟に指定されている。

 


子規が亡くなる 数時間前に
 この子規庵で

俳句3句詠み 
絶筆になっている。


「痰(たん)一斗 糸瓜の水も まに合はず」
「糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな」
「をととひの へちまの水も 取らざりき」

子規は 胸の病(結核)におかされていたので

糸瓜は ”痰を切る” 効用があるとされ
糸瓜を植え「ヘチマの水」を
摂って服用していたようだ。


また 俳号の “子規”とは
ホトトギスの異称で

喀血した自分自身を 血を吐くまで鳴くと
言われるホトトギスに喩えた。

子規庵から徒歩2分ほどの所に
豆腐料理の老舗「笹の雪」がある。

 「笹乃雪」玄関脇に
子規が詠んだ二句が碑にある。

蕣に朝商ひす笹の雪
(あさがおに あさあきなひす ささのゆき)

水無月や根岸涼しき笹の雪
(みなづきや ねぎしすずしき ささのゆき)

 


徳富 蘆花(蘆花忌)

2016-09-18 | 人物忌

 

 

今日(9月18日)は「蘆花忌」

明治・大正時代の文豪 

徳冨蘆花(健次郎)(1868~1927)が 逝去した日。

1907(明40)年から1927(昭2)年に

逝去するまでの 約20年間
愛子夫人とともに

過ごした住まいと庭と 夫妻の墓所からなる


「蘆花恒春園」(7万m2)が 

東京・世田谷区粕谷にある。

毎年「蘆花忌」が行われるが 

今年は 没後89年になる。

 

 

NHK大河ドラマ「八重の桜」(2013年)で

ヒロイン新島八重の同志社英学校の不良学生として

登場していたが。

1885(明18)年 熊本でキリスト教の洗礼を受けて

多感な青春時代におけるキリスト教は

健次郎の人道主義的な考えにも影響を与えたという。
 

 

徳冨蘆花旧宅:梅花書屋

 

雑木林やかやぶきの家屋が
蘆花の愛した武蔵野の面影が漂う。