あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ラトビア・リガ 7 リガ城

2018-01-16 | バルト三国紀行

 

  国旗と大統領旗を掲げるリガ城


リガ市 最初の見学は 
旧市内の北西にある「リガ城」

1297年から1330年にかけて
リヴォニア騎士団とリーガ市民の間に衝突があり、
負けた市民側が1330年に騎士団の城として
最初の城として造られた。

1515年には再建が完了している。


16世紀、ハンザ同盟の力が衰えると、
リガは常に外国に支配されていた。

スウェーデン、ポーランド、ロシアと
それぞれの時代の支配者に使われ

その都度増改築が繰り返されてきた。

現在、当時の建物は一部しかないが
その一部がラトビア共和国大統領官邸として
また歴史博物館や美術館として使われている。

なお 2013年に火災に遭い 内部の修復が続けられたが、
2016年8月に終了し、
現在は 再び大統領官邸になっている。

 

外壁の一部 漆喰の剥がれたところを見ると、
レンガ造りであることが分かる。

 

 


ラトビア・リガ 6 リガ

2018-01-15 | バルト三国紀行

   
(旧リガ市街図) 


リガは「百万本のバラ」の曲で知る。

「百万本のバラ」は、ラトビアの歌謡曲
「ダーヴァーヤ・マーリニャ」を

原曲とするロシア語の歌謡曲で 
日本では加藤登紀子が唄って知られている。

 リガという名称もリヴォニア語の
「円」という意味から由来している。

かつてリガは「バルトのパリ」と呼ばれたが、
ソ連時代には「零落した貴婦人」とまで
呼ばれたこともあった。


しかし、現在は 復興され美しい街並みを取り戻し

ラトビアの首都として人口約70万人、
バルト三国の“真珠”とも3呼ばれており、

リガ歴史地区は世界遺産に1997年登録されている。

リガの始まりは、1201年ドイツ・ブレーメンの
司教アルベルト(1165?-1229)が
北方十字軍を率いてこの地を制圧し、
キリスト教への改宗を図ったとされる。


ドイツ商人の入植も進み、
1282年にハンザ同盟(北ドイツの都市を中心として
バルト海沿岸の貿易、経済を支配した都市同盟)に
加盟して13~15世紀にバルト海東岸の商業の中心地として、
ロシアと西ヨーロッパ地域を結ぶ交易によって繁栄した。

その後、16世紀から19世紀にかけて
ポ−ランド、スウェ−デン、帝政ロシアの支配下に入り、
ヨ−ロッパへの窓として
ペテログラ−ド、モスクワに次ぐ 大都市に成長する。


1991年の独立後は 復興もめざましく、
中世の魅力を残す旧市街は 観光客で賑わいを見せている。





 


ラトビア・リガ 5 ラトビア共和国

2018-01-14 | バルト三国紀行

 

 

ラトビアは バルト三国の真ん中に位置し,
エストニア,ロシア,ベラルーシ,リトアニアと
国境を接して、西側はバルト海・リガ湾に面している.


面積は、6.5万㎢(日本の約6分の1)

人口は、213万人(2017年現在)で 
構成は、ラトビア人– 62 % 、ロシア人– 27 %


ハンザ同盟の都市として発展した地が多く,
文化面ではドイツやポーランドの
影響が大きいと言われている。

                        

                 建国は、1918年11月18日 
                  以後は
           1920年8月 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国
                との間に平和条約締結

           1940年 ソ連に編入
           1990年5月 独立回復宣言
           1991年9月 ソ連国家評議会バルト三共和国の国家独立に
                関する決定を採択

           1999年2月 WTO加盟(バルト3国で最初)
           2004年3月 NATO加盟
           2004年5月 EU加盟
           2014年1月 ユーロ導入
           2016年7月 OECD加盟

 

国旗は、赤(えび茶)・白・赤(えび茶) 
その由来は、エストニア人との戦いで傷ついた
ラトビア人をくるんだ血染めの白い布だったという。

国歌は「ラトビアに幸いあれ!」

共和制で 議会は一院制(議席数100・任期4年)

109州、9つの直轄市になる。

公用語は、ラトビア語、首都:リガ

 

 


ラトビア・リガ 4 アクメンス橋

2018-01-13 | バルト三国紀行

   

旧市内側から 右手アクメンス橋 奥に国立図書館

 

10km余り先リガ湾を河口とする
「ダウガヴァ川」に
架かる
「アクメンス橋」を渡り旧市内へ。

東ヨーロッパを流れるダウガヴァ川
ロシアのヴァルダイの丘に源を発し、
ベラルーシ・ラトビアを流れ、
リガ湾でバルト海に注ぐ。

全長約1020kmになる。

 

 

  (映画予告から) 背景は 橋西詰から旧市内方面

 

このアクメンス橋をバックに
日本とラトビアの共同製作で映画がつくられている。

それは2017年公開された「ふたりの旅路」

あらすじは、あることをきっかけに
自分の殻に閉じこもってしまった
女性・ケイコを主人公にした作品。

ラトビア・リガで行なわれる着物ショーに
参加することになり、
神戸からリガを訪れたケイコが、
かつての震災で行方不明になっていた
夫と不思議な再会をする・・・・、

 監督・脚本: マルティンソーンス
主演;桃井かおり イッセー尾形

リガは 神戸市と姉妹都市40周年になり
 この映画によりさらに友好が深まり
 日・ラトビア間の文化交流が
活発になっているという。

 

追:安倍首相は 昨日の1月12日から17日まで、
東欧6か国(エストニア、ラトビア、
リトアニアのバルト3国と、
ブルガリア、セルビア、ルーマニア)を、

それぞれ日本の首相として初めて訪問している。

 

 (NHKニュースから) 

 


ラトビア・リガ 3 国立図書館

2018-01-12 | バルト三国紀行

 

 

鉄道博物館の隣に少々変わった大きな建物がある。 

 2014年8月に開館した「ラトビア国立図書館」である。

この建物は “光の城”と いうコンセプトで建てられて

建物全体は 長さ170m、幅44m、

先端までの高さが 68mの三角形になっている。

この新図書館のアイデアが生まれたのは

何と20年も前に遡り、

ラトビアの建築物では 

当時21世紀最大のプロジェクトとも言われた。

 


ラトビア・リガ 2 鉄道博物館

2018-01-11 | バルト三国紀行

 

 

ツアー3日目 ラトビアの首都リガ市内の観光へ

旧市内とダウガヴァ川の西側 
リガ国際空港とその中間あるホテルを出発。

ダウガヴァ川の手前にある
「ラトビア鉄道歴史博物館」を見る。


ラトビアに初めて鉄道が敷設されたのは
帝政ロシア時代の1860年ロシアの
サンクトペテルブルクから
ポーランドのワルシャワまでの鉄道として。


その後拡張し、1920年代には
現在とほぼ同じ路線網になった。

しかし 長い事ソ連・ロシアの支配下にあった関係で、
鉄道についても、同じくその強い影響を受けている。


そんなことから ロシア方面に向かうには問題ないが
 バルト三国とポーランド以西の欧州諸国とでは
レール幅が異なり,国境で台車交換しなければならず,
旅客・貨物輸送における鉄道の発展を阻害してきた。

最近は ヨーロッパ標準軌として
直接接続することができるようになっている。

そんなラトビア鉄道の全てを
知る事ができる鉄道博物館になっている。




ラトビア・リガ 1 スーパーマーケット

2018-01-10 | バルト三国紀行

 

 

エストニア・タリンから約300km

ラトビア・リガに到着 旧市街から6kmにある

ホテルにツアー2日目の宿泊となる。

夕食後 近くにある

ヨーロッパで最大のショッピング・エリアへ行ってみた。

広大な駐車場の奥にある 

ショッピングセンター「スパイス」へ。


店内にはいろいろなテナントが入っている。

スーパーの売り場はコストコのようで

世界どこも画一的になっている。

我々はお土産になるような品を買い求めた。

日本では手押しカートが一般的だが 

こちらはカゴとカートが一体化したものになっているが

これを引きずって歩くと

子供のころの一端を思いだしたが・・・。

 

 

 

 


エストニア・タリン 33 国境

2018-01-09 | バルト三国紀行

 

 

昼食を終え ツアーバスは 
エストニア A4を南下していく。

こちらの車は 昼間でもヘッドライトを
点灯して走ることが義務付けられている。

その他にも
      市内、住宅地での制限速度は時速50km
      市外では時速90kmになっている。
      12月から3月までは冬タイヤの
使用が義務付けられている。

      しかし 驚くことに
      運転経験が2年以内のドライバーは、0.2mlまで。
      また2年を超えるドライバーは、0.5mlまでの
アルコール血中濃度は認められているという。

       

 

    エストニア側から見たラトビア側(アイナジ)国境 

ツアーバスは 
エストニアとラトビアとの国境にさしかかる。

エストニア、ラトビアともに
シェンゲン協定加盟国のため、
ここの国境もフリーパス。


*シェンゲン圏は、1985年に署名された
シェンゲン協定が適用される
ヨーロッパの26の国の領域をいう。

シェンゲン圏では渡航者が圏内に入域、
または圏外へ出域する場合には国境検査を受けるが、

圏内で国境を越えるさいには
検査を受けないことになっており、
この点で単一の国家のようになっている。

(ウイキペディア)

 

 


エストニア・タリン 32 IT立国

2018-01-08 | バルト三国紀行

 

 (NHK番組から)

先に「エストニアのIT教育」で
スカイプやマイナンバーカードなどについて触れたが
現在も ITがこの国の経済を支え
EUの中で優等生としての地位を築いている。

その様子が昨年のNHKの特別番組で
IT立国としての進捗状況について放映されていた。

スカイプの創始者は 現在ドローンより安全な
物流方法としてデリバリーロボットを開発し
また、国は「電子住民」なる政策を打ち出していると・・・。

この「電子住民」とは

エストニアは人口減に悩み 
小国家のシンガポールの550万人よりも少ない
130万の人口しかないうえ、
過去に2回も領土を奪われている。


これらのことから ITに活路を見出し、
優秀なIT開発の人材を輩出し

さらに2015年 外国人向け電子行政サービス
「e-Residency(電子住民)」をスタートさせた。

つまり、オンライン上にバーチャルな
エストニア国民を増やすということにしたのだ。
これにより他の国の者も 
オンラインでエストニア国の住民になれることに。


電子住民になればエストニアの銀行に口座を開いたり、
エストニアに会社を登記できたりするのだ。
ただし、外国人は、居住権・選挙の投票権はない。

これには日本の安部首相も登録しているそうで 
2017年1月現在 登録数は16000人に。




(NHK番組から)

 

 


エストニア・タリン 31 言語監督庁

2018-01-07 | バルト三国紀行

 
ロシア系住民が80%以上の町ナルパ(NHK番組から)

エストニア共和国でも話題にしたが
エストニアにはロシア系住民が多い。

そんな国柄 公用語のエストニア言が
使われていない現状から
国の教育研究省の付属機関「言語監督庁」が
設置されていることを

NHKの特別番組「激動の世界を行く」で知る。

街角でエストニア語以外の表示が目立っていないか
チェックする通称「言語警察」だ。


独立後もロシア系の多くは
ロシア語しか話さなっかったことから

新国家の求心力を保つ上で問題だと見なした政府は、
言語政策の基本は「国民全てがエストニア語を話すこと」し、
彼らに対するエストニア語教育を進めた。


特に、ソ連時代から残る警察官や教師、医師らの中で
ロシア語しかしゃべれない人を取り締まる権限を、
監督庁に与え罰金制度もある。

また病院・警察など公共機関に携わる者には
「言語能力証明書」を発行するなどして普及に努めている。

 

(NHK番組から)

 


エストニア・タリン 30 ビール

2018-01-06 | バルト三国紀行

            

 

昼食で ビール「A . Le Coq」を飲んだが
癖がなく口当たりがよく自分にはあった。

エストニアは 一人当たりの年間ビール消費量が、
ベルギーやイギリスよりランキングが上位であるという。

エストニアの地ビールは いろいろあるが、
その中で「SAKU(サク)」と
「A . Le Coq(ア・ラコック)」が二大ビールになる。

そのサクビールの名に
由来するサク市(1866年発足)は 

人口約8000人の企業城下町として
 首都タリンから南20kmにある。

その市名が 長野県にある佐久市と同じということで
1998(H10)年から相互に交流を続けて 
2007(H19)年友好都市提携を締結して
今も交流を続けている。 

 

 


エストニア・タリン 29 昼食

2018-01-05 | バルト三国紀行

 

 

タリンでの昼食は

ワバドゥセ広場からカールリ通りの
大ガードを潜った先にある

こじんまりしたホテル「サンタ・バルバラ」

この建物は“エストニアの石”石灰岩使われている。

その地下にある
ドイツ料理のレストラン「バイエリ・ケデル」

メニューは タラのソーティー を
少々冷え込んだ体には温まり美味しかった。

また 外は秋冷 暖炉には薪が加えられていた。

 

 

 


エストニア・タリン 28 治安

2018-01-04 | バルト三国紀行

 

 

街中の歩道に “スリ注意” の標識があった。

エストニアの治安について、
外務省の海外安全ホームページでは、

主に「スリ・置き引き」に関して
注意喚起がなされている程度で 

他のヨーロッパ諸国と比べて 
かなり安全な国とされている。

そして タリンの治安の良さは、
日本と変わりないようだ。

なお エストニア人の国民性は 
少々寡黙で、陽気とはいえないが

観光業に従事する人は別だ。

警察の緊急電話 日本と同じ「110番」 救急車は「112番」

フィンランドは消費税が20%を超えているのに比べ、
税率の低いこの国の酒の安いことは先に触れたが


夜22:00から翌日10:00までは、
商店でアルコール類を買うことはできない。
飲酒については 公共の場では禁止されている。

 


 


エストニア・タリン 27 ポスト

2018-01-03 | バルト三国紀行

 

 

街中で見かけたポスト

エストニアの郵便事業は
「エエスティ・ポスト」という。

フィランドと同じように 
すでに民間企業になっており、
「オムニヴァ」という会社が運営している。

郵便ポスト・箱はオレンジ色で
箱には角笛(ポストホルン)のマークが付いている。
ドイツを中心にヨーロッパ大陸の郵便ポストは
黄色で角笛のマークが多いが、エストニアも角笛は共通。

この郵便ラッパは ラッパの一種で
バルブを持たない円柱状の金管楽器で、

ホルンの仲間に分類される。

18世紀から19世紀頃のヨーロッパにて、
乗馬による郵便輸送やメールコーチと
呼ばれた郵便馬車が 
その出発到着を知らせるため用いていたという。

(資料から)


エストニア・タリン 26 聖ヨハネ教会 

2018-01-02 | バルト三国紀行

 

 

ワバドゥセ広場(自由広場)の東側に
黄色の新ゴシック様式の「聖ヨハネ教会」がある。
 

19世紀中期頃、タリンでのエストニア民族の人口増大により、
聖霊教会は、その信徒に対して
あまりにも狭いものとなっていたので、創設された。 

建設は1862年から1867年まで続いた。 

しかし、1930年代までに、
広場周辺の様相が変わり背の高い建物が現れ
その調和から
同教会を解体し、
広場を再建するという計画があったが、
無事に保護された。

タリンの教会の中で、生き残ることができた
建物の代表格となっている。