あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポーランド・ワルシャワ 33  ショパン空港

2018-05-23 | 海外・ポーランド

 

 

ポーランド・ワルシャワには
ショパンの名が至る所に冠してある。

中心部から南西へ約10km 
ポーランド最大の空港も
「ワルシャワ・ショパン空港」と

かつては「オケンチェ空港」が
正式名称であったが
2001年 ショパンの名に命名された。

2015年のショパンコンクール以降から
出発ゲートフロアに
「ショパン・ミユージック・スポット」が設けられ 
自由に弾くことができるようになっている。

CASIO製のピアノが置かれていた。

日本でも「いつもポケットにショパン」
(1980-1981年
連載)のマンガが
読まれていたが 縁がありそうだ。

また この「空港のピアノ」で 
NHK「わが故郷 シチリア島」の
放映を思い起こす。

 イタリア・シチリア島の空港に
1台のピアノを据えて
 
故郷を愛する人々が
思い思いに音を紡いでいく姿を
 定点カメラとおして見つめていく。

弾く曲は「イマジン」「炎のランナー」などで
ショパンの曲はなかった。

追:2017年11月から
ポーランド国営ラジオがショパンに
特化したチャンネル放送を開始した。

ショパンにかかわる情報は多い!

 

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 32 ショパン国際ピアノコンクール 

2018-05-22 | 海外・ポーランド

 

 

ピアノコンサートで
「ショパン国際ピアノコンクール」の模様を

NHKの番組で見たことを思い起こした。


このコンクールが創設されたのは 第一次世界大戦が終結し
ポーランドが独立国となって 9年後の1927年だった。

ポーランドは 過去に近隣諸国に領土を踏みにじられ
 第一次大戦中もロシア、ドイツ、オーストリアがこの地で戦い
200万ものポーランド人が敵味方に引き裂かれて
殺し合うという悲劇を経験していた。


こんな中 ワルシャワ音楽院の教授が
人々の心を癒し 当時フランス音楽と考えられていた
ショパンの音楽をポーランドに取り戻して
愛国心を鼓舞しようと考え
コンクールの創設を思い立った。

それから 5年ごとに ショパンの命日である
10月17日の前後3週間にわたり

ここワルシャワで開催される。

国際音楽コンクールの中では 最古のもので
世界的に最も権威のあるコンクールのひとつと言われ
その優勝者・入賞者は生涯にわたり
第一線で活躍する知名度と評価を世界的に得ることになる。

内容は ピアノ演奏部門のみで
課題曲はショパンの作品のみとされている。

直近では 2015年に第17回が開催された。
日本人の入賞者には 先日亡くなった中村紘子(第7回)さんがいる。
彼女は審査員にもなっている。 

また 中村紘子コンサートに出かけたことも思い起こした。

なお 漫画「ピアノの森」がTVアニメ化され
この4月からNHKで放映が始まり
ショパンコンクール編のこともあるようだ。

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 31 ショパンピアノコンサート

2018-05-21 | 海外・ポーランド



ワルシャワの夜 ツアーに組み込まれている
「貸切ショパンピアノコンサート」へ

演奏会場は サスキ公園の北側にある
「Polskie Wydawnictwo Muzyczne」の一室。

 ショパンの肖像画 
ドイツ・ベヒシュタインのピアノが置かれている。

女性ピアニスト・アンナ・グビットさんにより
約30分の演奏が催され

終了後は 彼女の作品集CDが販売され
記念の写真撮影が行われた。



演奏会場の1階ホール

 

ここで  ショパンの曲「英雄ポロネーズ」
ポロネーズは ポーランドの踊りの曲。

3拍子の祝祭的なリズムで 
当初 農民の歌や踊りが後に宮廷儀式に用いられた。

ポーランドは 過去に外国に占領されてきたが
「どんなに祖国が変わろうともやがて栄光が来る」と信じ
その思いがショパンの「英雄ポロネーズ」に宿り
曲の中での転調は
「外国に占領されどもポーランドの魂は保ち続ける」
と表現されているという。
このことが”ポーランドのショパン”としている。

 

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ポーランド・ワルシャワ 30 戦場のピアニスト

2018-05-20 | 海外・ポーランド

 

 

 ショパンの曲と大戦で灰燼と帰した
ワルシャワ市街の様子で 思い起こすのは
映画「戦場のピアニスト」(2002年公開)。


原作は ユダヤ系ポーランド人のピアニスト
シュピルマンの回顧録「ある都市の死」

第二次世界大戦下ナチスドイツ軍に
占領されたワルシャワで
迫害され踏みにじられながらも
生き延びた実在のピアニストの記録。


映画の冒頭で 主人公がラジオ局で
演奏するショパンの「夜想曲20番」。

また クライマックスシーン
ドイツ軍人に命じられて 演奏するものも
ショパンの「バラード第一番ト短調」だった。

祖国を愛する ショパンの曲が
破壊され瓦礫と化した街に鎮魂歌のように
流れ心に浸み込んでくる。

*映画「戦場のピアニスト」の一場面

予告編(YouTube)⇒ https://youtu.be/RnG7GnaIXH4

当ブログ 「27 聖十字架教会」(2018/05/17)と同じアングル 

 


 

 

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ポーランド・ワルシャワ 29 ショパンのベンチ

2018-05-19 | 海外・ポーランド

 

 

ショパン生誕200年にあたる2010年

ワルシャワには「ショパンのベンチ」が造られ

市内 15か所に設置されている。

これはショパンにゆかりのある場所の前に設置されていて

ボタンを押すとショパンの名曲が流れる仕掛けになっている。

15か所 それぞれ違う曲が用意されている。

因みに 聖十字架教会前は

ソナタ 変ロ短調 作品35 より “葬送行進曲”

また チャプスキ宮殿(現ワルシャワ美術アカデミー)前は

 ワルツ 変二長調 作品64の1

 

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 28 ショパンの墓

2018-05-18 | 海外・ポーランド

 

   左の柱に ショパンのレリーフが見える



「聖十字架教会」は
外装の工事中であったが
内部に入場できた。

この教会は
ショパンの心臓が埋葬されていることで有名な教会。


1849年10月17日
パリで亡くなったフレデリックショパンは

死後自身の心臓をワルシャワへ戻して欲しい
との遺言があり 姉のルドヴィカが
葬儀の前に取り出したコニャック漬けの心臓を
ワルシャワへ持ち帰った。

第二次世界大戦で教会は半壊し
ショパンの心臓も持ち出されたが

戦後に再建され1945年10月17日の命日に戻された。

現在ショパンの心臓は
本堂左手の石柱の下に納められている。

ショパンはワルシャワ郊外生まれのワルシャワ育ち
市内には生家 サロン 博物館などがある。


 

 

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 27 聖十字架教会

2018-05-17 | 海外・ポーランド

 

 

入口に十字架を背負っている
イエス・キリストの像のある「聖十字架教会」。


教会は17世紀の終わりに
ユゼフ・べロッティの設計で建てられたが

2つの塔を持つファザードは
ユゼフ・フォンタナとヤクブ・フォンタナによって造られた。


下の階には墓があり
上の階にはたくさんのポーランドの著名人の
墓碑銘や追悼文が飾られている。

19世紀初頭には
ワルシャワ最大のカトリック教会で

またこの教会では 
ショパンの姉妹イザベラとエミリアの洗礼式が行われ

後には ショパンの心臓が納められたなど
ショパンの一家の歴史的出来事が
いくつもある教会としても有名。


また毎年 ショパンの命日10月17日には
ショパン追悼のための
コンサートが
行われている。

 

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 26 美術アカデミー

2018-05-16 | 海外・ポーランド

 

 

ワルシャワ大学正門の向かいに
「チャプスキ宮殿(旧:クラシンスキ宮殿)」がある。

現在は「美術アカデミー」になっている。

宮殿は 1713~18年に建設され
幾度も改築が行われたが
戦争中には破壊された。


戦後再建され バロック建築と
新古典主義建築の細部を残して
18世紀当時の外観が復元された。


現在 宮殿の昔の離れ屋には
美術大学の絵画・グラフィック学部などの
アトリエが入っている。


また 宮殿の左側の離れ屋には
1827年から3年間
ショパンの住居として使われた。

ここはショパンにとって
ポーランドでの最後の住居となった。

ここで ショパンは 初めてピアノ付きの
屋根裏部屋を与えられた。

現在はショパン家のサロンとして公開されている。

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 25 ワルシャワ大学2

2018-05-15 | 海外・ポーランド

 

 

今の正門は 約100年前に造られたものだが
その時は このポーランド国章はなく

王冠を支える双頭の黒い鷲。

そして その王冠には ロシア文字で
「A」と書かれていた。

ワルシャワ大学が発足した 1816年当時は
ワルシャワは 帝政ロシア支配下だったため
大学の正門は このポーランド国章はなく
ロシア皇帝アレクサンドル1世を記念したもので 

王冠を支える双頭の黒鷲であった。

 帝政ロシアの崩壊後は ポーランドの独立に伴って
今と同じ王冠をかぶった白い鷲になるが

第二次世界大戦後からの共産主義時代には
この王冠が取り除かれた白い鷲だけだった。

 また 鷲には 開校時の学部数を示す星が5つ見える。

因みに ワルシャワ大学は
第二次世界大戦でドイツに占領されていた
1939年から 45年までは閉鎖され
ドイツ軍の兵舎として接収されていたという。

                                   (Web資料から)

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ポーランド・ワルシャワ 24 ワルシャワ大学

2018-05-14 | 海外・ポーランド

 

 

クラフク郊外通りに面する
「ワルシャワ大学の正門」

 1816 年に設立されたポーランドの最高学府で
46000人の学生が籍を置き
敷地内には多くの歴史的な建物が並ぶ。

特筆すべきは
ポーランドの日本語・日本文化研究は
ヨーロッパにおいてはオランダに
次いで長い歴史を有し
その中心的研究機関となってきたのが
ワルシャワ大学である。


資料によると ワルシャワ大学は
1900年代初頭から日本語・日本文化に
関する研究が行われ
独立回復(第二共和国成立)直後の
1919年7月にはポーランド初の
日本語講座が開設された。


第二次大戦後の人民共和国体制期でも
大学での日本研究は盛んであった。


1955年には修士課程日本学専攻日本語講座が
開設され 翌年 日本学科が独立した。

現在も 日本研究が続けられており
日本の大学とも交換留学など行われている。

特に日本学科は 
ポーランドの日本語教育では最難関といわれ
 
なんと入学試験の倍率が30倍だそうだ。

大学構内には入らなかったが 
ショパン一家が 1817年から
暮らしていたカジミエシュ宮殿
また旧図書館やエレガントな庭園などがある。

  

 

 

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 23 聖ヨゼフ教会

2018-05-13 | 海外・ポーランド

 

 

カトリックの女子修道会である
聖母訪問会の「聖ヨゼフ教会」

1725~68年にカロル・ベイとヤコブ・フォンタナの
設計を元に建設された
晩期バロック建築の教会。


内装は装飾が多くロココ様式の彫刻が施されており
第二次世界大戦中に破壊されなかった数少ない教会で
ワルシャワで最も貴重な
宗教史跡の一つになっている。  

教会前(写真左隅)に 
「ステファン・ヴィシニスキ枢機卿」の像がある。


ヴィシニスキは
1948~81年にポーランドの首座大司教で
祖国ポーランドとポーランドのカトリック教に
大いに貢献し「1000年の首座大司教」と呼ばれている。 


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ポーランド・ワルシャワ 22 ユゼフ・ポニャトフスキ公爵

2018-05-12 | 海外・ポーランド

 

 

統領官邸の前に 1965年に作られた
「ユゼフ・ポニャトフスキ公爵」の銅像がある

ユーゼフ・アントニ・ポニャトフスキ(1763-1813)は
ポーランド・リトアニア共和国の貴族であり
共和国最後の国王
スタニスワフ2世アウグストは
父の兄にあたる。


オーストリア軍の将校だったが、
叔父の要請によって帰国し
ポーランド陸軍少将となるが

オーストリア・ロシア帝国・プロイセン王国による
ポーランド分割を防ぐことが出来なかった。

後ナポレオン1世の下で将軍として活躍し元帥となり

ライプツィヒからフランス軍の退却を支援する際に戦死した。

なお、池田理代子の漫画
「ポーランド秘史 天の涯まで」(全3巻)

その主人公は
このユゼフ・ポニャトフスキだそうだ。

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 21 大統領官邸

2018-05-11 | 海外・ポーランド

 

 

「クラクフ郊外通り」に面して東側
 「大統領官邸」がある。


正面には騎馬の像
両脇にライオン像が置かれている。


奥の建物は 17世紀に建てられた
貴族ラジヴィウ家の宮殿だったが 

1994年から大統領官邸として使用されている。

ラジヴィウ家は リトアニア大公国~
ポーランド・リトアニア共和国の時代に
5世紀以上にわたり権力の中枢にあった名家。

中には入れないが ポーランドで
初めてオペラが上演された劇場でもあり

ショパン11歳の時初めてのピアノ演奏会を開いた場所
また ワルシャワ条約の調印も行われるなどの
歴史の舞台となった。

 

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 20 聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会

2018-05-10 | 海外・ポーランド

 

 

クラクフ郊外通り
アダム・ミツキエヴィッチ像の南隣に

「聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会」
があり 元カルメル会の教会。


1661~81年にヴワディスワフ4世の命令で
J.ベロッティの設計を基に建設された

カルメル会のために バロック様式で建てられた教会。

新古典主義建築の正面は
エフライム・シュレガーの設計で、
1762~80年に建設された。


聖ヨハネ大司教座が復元されるまでは
その仮の役割を果たしていた。

外観はシンプルで 2階建てのように見えるが
1階建て天井が高く

祭壇の装飾と豪華なシャンデリアがある。

また ショパンもオルガニストを
つとめたこともあるという
オルガンも 当時のままあるいう。

 

 

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ポーランド・ワルシャワ 19 アダム・ミツキエヴィッチ

2018-05-09 | 海外・ポーランド

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはアダム・ミツキエヴィッチ像。

先のリトアニア・ヴェィリヌュス22
(2018/3/22)
でも話題にしたが

ポーランドを代表するロマン派の詩人。

独立運動にも積極的に活動したため、
祖国を愛した詩人としても 市民に尊敬されている。

また 世界的に知名度の高い詩人で
各地にも銅像が建てられ
長年住んでいたパリや没した
イスタンブールには博物館もある。

ショパンはミツキエヴィッチとも交遊があって
彼の詩集「コントラ・ヴァレントロ」に啓発されて
有名な「バラード・ト単調作品23」を
作曲したと言われている。

 

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