あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 7

2018-12-31 | 国内・静岡

     

 

   沼津御用邸の見学記念

   また 平成最後の暦として 


    売店で「皇室御一家 平成31年カレンダー」を買い求めた。

 

    

      皇后 美智子さま「おしるし」
       ”白樺” の刺繍の入ったハンカチ

 

   因みに 女性皇族の「おしるし」は

    雅子様 はまなす
    愛子様 五葉ツツジ
    紀子様 檜扇あやめ
    眞子様 モッコウバラ
    佳子様 ゆうな

 



* * * * * * * * * * * *


平成も最後の大晦日を迎えました。

この一年当方にとっても いろいろとありましたが

何とか 健康で年を
越し 新年を迎えることに感謝です。

 

皆さま方も 良き年をお迎えいただきますよう祈念して

当ブログの今年の締めといたします。

 


静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 6

2018-12-30 | 国内・静岡

 

                       旧厩舎

     現在 厩舎を改修して喫茶店 「主馬」が営業している。
   
  厩舎は 陛下の御召馬車及び乗馬用のつなぎ場で
  25頭繋留することができた。


   説明文によれば

  「旧沼津御用邸 厩舎について

  この厩舎は、明治29年(1896)御馬車舎と共に
  七頭建厩舎(22.5坪)として本邸の通用門脇に建てられた。
  同31年(1898)には、七頭建厩舎につながる
  八頭建厩舎(29坪)が別棟として新築された。
  現在のお休み所・主馬の建物である。
  大正天皇(当時皇太子殿下)が御成婚になった
  同33年(1900)の秋には、七頭建厩舎に五頭建(16.5坪)を
  増築し十二頭建厩舎(39坪、約130㎡)となり、
  御用邸全体として二十頭分の厩舎施設となった。
  同33年時に屋根をそれまでの杉板張から
  日本瓦に葺替え、今日見られる外観となっている。
  
   ~ 中略 ~

  沼津御用邸記念公園に存する木造厩舎は、
  皇居をはじめ各地の皇室施設にあった厩舎の中で
  唯一現存する明治期の貴重な歴史的建造物といえる。

      平成15年11月3日 」

 

               沼津垣
  説明文には

  「沼津垣(ぬまづがき)は
  昔から沼津周辺で浜の潮風を防ぐために
用いられてきた垣根で、
  景観的にも、実用的にも優れています。

  旧沼津御用邸でも多く用いられていたことから、
  一般に知られるようになりました。
  材料は、箱根竹と呼ばれる細い篠竹を十数本ずつ束ねて、
  網代(あじろ)編みにしています。
  この束を「手」といい、どの束も別の二つの束を越えて
  編んでいるため、
  この編み方は「二手(ふたて)越し」と呼ばれています。」

 

      沼     津市歴史民俗資料館

  御用邸記念公園の奥にある「沼津市歴史民俗資料館」は
  沼津市周辺の
民俗、歴史資料を広く収集し、展示公開している。

  1階 特別展や企画展の展示室

  2階 常設展示室があり、駿河湾を中心とした
    漁具類や沼津の地場産業となった干物作りの道具や
    江戸時代に沼津の名物だったかつお節作りの道具など
    原・浮島地区における湿田農耕関係の資料を展示している。



静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 5

2018-12-29 | 国内・静岡

 

                  「本邸の規模と室名」


  表御在所から侍従室まで 室の数95室に及ぶ。(大正11年当時)


 

                 現在の配置図

 

  

 

         窓ガラス

    ガラスは一枚一枚ドイツで手作りされた。
   凹凸があるガラスと木枠が昔の雰囲気を偲ぶ。

     

                  中庭

 

               調理所外観

  右の小屋は「湯沸所」ここで湯を沸かし

  調理所 湯殿に運んでいた。

  また 火廻りには注意が払われ 裸火を使うにはこの一角だけで

  暖房等は電気式になっているという。

 

 

 


静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 4

2018-12-28 | 国内・静岡

 

     昭和天皇が御幼少のころ着用された
     「ちゃんちゃんこ」(左端)も

  


   
昭和天皇が
   学習院初等科時代に使用された三輪自転車の複製 

    怪我をしないようにという配慮から三輪?
  
   昭和天皇は生後すぐからここで過ごすことが多く、
    思い入れの品々が多い。


 

   電気掃除機 ポータブルラジオ 手提げ金庫などの生活用品

 

   

           御玉突所 

  西附属邸では最も新しく増築(1922・大正11年)された
  ビリヤード室で、ここでは唯一の洋館。
  玉突台や附属品は当時のまま復元されている。

 

     

        卓上型電話機 

 

 


静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 3

2018-12-27 | 国内・静岡

 

                         調理室


  皇族の食事を作っていた部屋で
  今でも当時のままの流し台やかまど

  換気と採光のための天窓など 
  珍しい設備が残っている。

  この部屋を見て
  テレビ番組「天皇の料理番」(2015年)の一場面を思い出した。


 

         供進所(くしんじょ)

  皇族の食事の盛り付けや配膳を行った部屋

 

 

             内玄関

  宮内庁(省)の職員や御用邸に出入りする商人が使用した。



      

           女官応接

  女官の応接間として使用した部屋


 

            御料浴室

  浴槽のない掛かり湯式の浴室で
  お湯は外から運び込まれた。


      

      汲み取り式と水洗式が併用?されている。

 

 

 


静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 2

2018-12-26 | 国内・静岡

 

                     御食堂


   皇族が食事を召し上がった部屋
   椅子は食堂用の皮張り
   前脚だけにキャスターが付いている。

   当然ながら調度品はすべてご紋章入り。

 

               謁見所

   天皇陛下がご滞在中 来客に面会するときに用いた部屋
   床の間側に置かれた玉座用の肘掛け椅子には
   梨地漆に御紋章の蒔絵が描かれ
   
椅子の中はスプリングは使わずに
   馬の毛や干し草が入っているとのこと。
   

 

               御座所


   皇族の方々の居住部分(プライベート空間)として
   用いられていた建物で

   御座所(居間・10畳)、御寝室(10畳)、御着換所(8畳)の
   3つの部屋からなり 総称して御座所と呼んでいた。

 

              御寝室

  畳の敷き方が一列に並んでいて その畳のヘリの模様も合わせそろっている。
  また 黒松の柱が使われているが 松の木はまっすぐに成長しないから
  まっすぐな松の柱は珍しいという。

 

      

 

   皇族が使用される廊下の電灯は
   天井の中心からずれて下げられている。

   他の廊下は中心部にあるが
   これは地震や事故で電灯の落下への対処とのこと。




          (2018年12月17日 読売新聞)

 


  12月17日の新聞に 
   天皇陛下の疎開先の詳細記録があった。

 
  1944年5月15日から7月8日まで
  ここ沼津御用邸に疎開されている。

   その間 初等科5年生として将来の天皇にふさわしい授業や
  防空壕掘り 相撲などで過ごされたという。
  
  しかし 静岡も戦が況悪化し 
  東京に戻られ更に日光へ疎開された。





 

  


静岡紀行 沼津市 沼津御用邸1

2018-12-25 | 国内・静岡

 

                   旧沼津御用邸本邸正門

  清水町から
   沼津市下香貫島郷にある「旧沼津御用邸」へ


  この正門は明治時代、大正天皇の皇太子時代に
  御用勤務の医師を務めた

  エルヴィン・ベルツ博士の縁により
  ドイツのゾーリンゲンで

  特別に造らせた鋳鉄製の門。

 

 

 

  

  1945(昭和20)年 沼津大空襲で本邸焼失
  1969昭和44)年12月 廃止されて沼津市へ移管される。

  1970(昭和45)年7月 残された東附属邸と西附属邸を
  中心として周囲の緑地と共に
  沼津市が沼津御用邸記念公園として開設した。

  1994(平成6)年には今上天皇が行幸している。

  現在 園内は、本邸跡、西附属邸、東附属邸の
  3つにエリアに分かれている。
 

 

              御車寄


 

  

  旧沼津御用邸の西附属邸は
  1893(明治26)年 沼津御用邸本邸完成
  1905(明治38)年 昭和天皇と秩父宮様のご養育に当たった
  川村純義伯爵の別荘を買い上げ

  大正天皇(当時皇太子)の皇子、昭和天皇や秩父宮様
  高松宮様などの御用邸として設置された。

  この方々は 明治天皇のお孫さんに当たることから
  当時は「皇孫殿下」と呼ばれていたため
  西附属邸も「皇孫殿下御用邸」と称された。

  その後数回にわたる増築が行われ
  全体面積1270m2の附属邸が完成した。

 

  この地が御用邸に選ばれたのは
  日本政府に招かれたドイツ人医師ベルツは皇室御用医師でもあり
  皇室に静養のため御用邸建築の必要性を進言している。
  
  その進言をもとに温暖で富士山も見える

  風光明美なこの地が選ばれたとのこと。
  
  また 1889(明治22)年に東海道線が開通して

  交通の便が格段に良くなったという背景もあったという。

  因みに

   現在の御用邸
   那須御用邸〔栃木県那須町   ・1926(大正15年設置〕
   葉山御用邸〔神奈川県葉山町・1894(明治27)年〕
   須崎御用邸〔静岡県下田市   ・1971(昭和46)年〕

  かつての御用邸 (いずれも明治時代設置)

   山内御用邸 (栃木県日光市)
   田母沢御用邸
(栃木県日光市)
   塩原御用邸
 (栃木県那須塩原市)

   伊香保御用邸(群馬県伊香保町)

   横浜御用邸 (神奈川県横浜市)
   鎌倉御用邸
 (神奈川県鎌倉市)
   小田原御用邸(神奈川県小田原市)
   宮ノ下御用邸(神奈川県箱根町)

   静岡御用邸(静岡県静岡市)
   熱海御用邸(静岡県熱海市)
   沼津御用邸(静岡県沼津市)

   神戸御用邸(兵庫県神戸市)

 

 

 

 




静岡紀行 清水町 柿田川4 泉の館

2018-12-24 | 国内・静岡

 

     柿田川「泉の館」(高野邸)



  柿田川公園に隣接して 製糸業を営んでいた 
  築80年以上を経た母屋と蔵がある。


  今は改修し 名水を使ったソバや
  豆腐などの飲食店 土産物店がある。

  かつては豊富な湧水を求めて工場が進出し、
  その排水のたれ流しにより

  水質が悪化し、魚も住めない状態になっていた。

  1980年代 地元有志による
  ナショナルトラスト運動が始まり

  工場の移転運動や清掃活動が行われ、
  カワセミ等も生息する環境が残された。

 

 

 

     その主人「高野二三」の銅像

 

 

 

    湧水を汲んで持ち帰ることもできる。


静岡紀行 清水町 柿田川3 貴船神社

2018-12-23 | 国内・静岡

 

 

  公園内にある貴船神社

   鳥居脇の碑には

  「所在 清水町伏見泉頭

  古来より、泉川の清冽な湧水にちなみ 
  京都市左京区貴船川上流の深山幽谷の
  地にある貴船神社から御霊分けされたものである。

  祭神は高龗神(たかおかの神)で水の神様である。
  この神は祈雨、止雨の神で雨の少ない時は雨を降らし、
  雨の多い時はこれを止める新たかな神である。
  尚、この地は戦国時代に北条氏が
  造った泉頭城西の丸にあたる。」

  とある。

  一方最近は「恋を祈る神社」としても知られている。

 



   鳥居井脇に「水五訓」の碑があった。

   一 自ら活動して他を働かしむるは水なり
   一 障害に逢いて厳しくその勢力を倍加するは水なり
   一 常に己の進路を求めて止まざるは水なり
   一 自ら清くして他の汚濁を洗い而して清濁併せ容るは水なり
   一 洋々として大海を充たし、発して雲となり雨と変じ、
     凍りては玲瓏玲たる氷雪と化してその性を失わざるは水なり

 

   自分の心に沁みるように読む・・・

 

 


静岡紀行 清水町 柿田川2

2018-12-22 | 国内・静岡

 

 

 

 

  こんこんと湧き出る水量は
   日に70万トンから100万トンで東洋一とか。
  毎年12月ごろになると アユの遡上がみられるそうだ。

  

 

   第2展望台

 

      湧水の色が真っ青で神秘的
   丸い囲いは 紡績工場が利用していた井戸の跡




  

 

 

       八つ橋の 湧き間

 

        湧水広場
  湧き間に直接触れることができるようにしている。

  

       散策道にある 木製の 八つ橋

 

       対岸は  駿豆水道取水場

 
  給水区域は 熱海市 函南町 三島市

  こんなきれいな水を水道に利用されているとは
    羨ましい限り

 水道事業民営化が可決されたが 
   ここには影響がないですね?
 
 

 

 


静岡紀行 清水町 柿田川1

2018-12-21 | 国内・静岡



  三島市から清水町へ

   国道1号線脇にある柿田川公園 


  

  
  
柿田川は狩野川水系の河川ではあるが 
  全長は約1.2kmと日本で最も短い一級河川である。
  ここ柿田川公園の「わき間」から湧き出る湧き水に源を発し
  清水町役場付近で狩野川に合流している。

   長良川・四万十川とともに日本三大清流に数えられ
  1985(昭和60)年 柿田川湧水群として名水百選に選定された。
  さらに国の天然記念物にも指定されている。

 

 
  柿田川の水温は季節を問わず15℃前後。
  流量も年間を通して ほぼ一定を保っている。

  湧水は 富士山への雨水や雪どけ水が三島溶岩流に浸透し、
  その先端部 柿田川公園から湧き出でいるが
  その湧水量は1日約100万m³ 東洋一の湧水量といわれている。

 

 


静岡紀行 三島市 みしまコロッケ

2018-12-20 | 国内・静岡

 

 

 
 丁度 昼時 

  三嶋名物「みしまコロッケ」食してみた。
  
  衣はサクサクとし中はしっとり甘く美味しかった。
  
  資料によれば
  観光客に三島特産のメークインを食べて欲しいことから

  三島馬鈴薯(メークイン)を使った「みしまコロッケ」で
  まちおこしをしようと 市民 商店主 生産者や関係団体
  三島市が協同で「みしまコロッケの会」を10年前立ち上げられた。

  「みしまコロッケ」の定義は
  「三島馬鈴薯(メークイン)を100%使用する」これだけ。
  
  男爵及び きたあかりは使用不可で
  仕入先を確認して認定するそうだ。
  
  なお 中に入れる具や形は型にはめないで
  創作とするとこにしている。

  また みしまコロッケを全国にPRするため
  積極的に活動を行うと共に、
  B-1グランプリでは2年連続(第4回、第5回)で入賞している。

 

 


静岡紀行 三島市 下田街道

2018-12-19 | 国内・静岡

 

 

    

 

  この下田街道は
  東海道三島宿の三島大社の鳥居前からまっすぐ南下して

  伊豆の国市韮山・大仁・伊豆市湯ヶ島を通り
  天城峠を越えて河津町梨本に至り

  更に小鍋峠を越え
  下田市箕作・河内を経て下田に至る 

  通計17里14町21歩の口伊豆(北伊豆)と
  奥伊豆(南伊豆)とを結び

  伊豆半島中央部を縦断する幹線道路であった。

  江戸時代には「下田路」と呼ばれた。

  現在の国道414号
  (一部区間は国道136号と重複)にあたる。

    平安末期には源頼朝が旗挙げし
   戦勝に感謝して下田街道が整備され

   江戸時代には吉田松陰やハリスが往来した。

   現代では 川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張「天城越え」
        また天城湯ヶ島出身の井上靖らの
        文学作品の舞台になっている。

 

 


静岡紀行 三島市 三嶋大社 たたり石

2018-12-18 | 国内・静岡

 

 

  大鳥居のそば近く 大きな石が置かれている。

  説明では「たたり石」とのこと

  この大石は大社前旧東海道の中央にあり
  行き交う人の流れを整理する役目を果たしていたという。


  “たたり”とは 本来
  糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語であるが

  後に往来頻繁になり これを取り除こうとするたびに
  災いがあったといわれ

  祟りに置き換えられるようになった。


  現在では 交通安全の“霊石”として信仰になっている。

 


静岡紀行 三島市 三嶋大社 源頼朝旗揚げの碑

2018-12-17 | 国内・静岡




  大社境内の一角に「源頼朝旗揚げの碑」碑が置かれている。

  碑文には 

  『治承四年八月十六日 源頼朝は北条時政を招き
   旗揚げの相談をし「先づ八牧判官兼隆を
   夜討ちにすへし急ぎ相計へ」
   時政「但し今夜は三島社の御神事にて、
   国中には弓矢とる事候はず」(源平盛衰記)
   との意見を入れ、十七日夜討と決定した。
   十七日籐九郎盛長を奉幣使として戦捷を
   祈請し(東鑑)旗揚げは成功したのである。
   二日後、すなわち八月十六日報賽のため
   神領寄進の下文を寄せた。

   現在この下文は宝物として社蔵されている。
    三嶋大社宮司原勝治撰 
     同権宮司渡邊清次郎書』
  とある。

   この史実に基づき
  毎年8月恒例の「三嶋大祭り」の中日では
  当時を再現した旗揚げ行列がメインイベントとして行われて
  
騎馬武者と家来役の子供たち
  あわせて100人ほどが中心市街地を
  2kmにわたり練り歩くそうだ。