あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

永寿総合病院

2020-03-28 | 出来事・行事

 

 

 

コロナウイルス感染で

東京都で新たに63人が感染したが

その半数が 東京都台東区にある

永寿総合病院の入院患者や

看護師だというニュースに驚く。

かつて家人が利用した病院であったのだ。

 

同病院は 外来患者が年間20万人を

超える台東区最大の病院で

利用時は 何のトラブルもなく

スタッフの対応もよかったので

この病院でと思うが・・・

感染ルートは まだわかっていない。

これ以上大事に至らないよう願う。

 

都内では ここ3日で40人以上の

感染者があったが

60人以上の感染が確認されたのは

初めてで

1日の感染数では最多となった。


先が見えないトンネル状態に・・・

 


室生犀星(犀星忌)

2020-03-26 | 人物忌


  (日本経済新聞 2003/9/13)

 


 当方が散歩したころの犀川

 

3月26日は 
小説家 室生犀星(1889-1962)が
亡くなった犀星忌。 享年72。

本名は 室生 照道
石川県金沢市生まれ 
大正-昭和時代の詩人・小説家。

芸術院会員。別号に「魚眠洞」。

 

逆境の幼少期をへて
詩人をこころざす。

大正2年 北原白秋の主宰誌に
「小景異情」を投稿し

生涯の友萩原朔太郎と知りあった。

7年「抒情小曲集」を刊行。


30歳代から小説に転じた。
代表作に
 「あにいもうと」
 「杏つ子」(昭和33年読売文学賞)
 「かげろふの日記遺文」
     (34年野間文芸賞)
がある。

名言に「ふるさとは
遠きにありて思ふもの」
(小景異情)がある。




 (参照:文芸春秋「現代日本文学館」)

 

 

 


隅田川・震災六橋梁

2020-03-23 | 出来事・行事

前回 太田圓三について触れたが

その偉業の一つに

隅田川復興六橋
(相生橋 永代橋 清洲橋 
 蔵前橋 駒形橋 言問橋)を

はじめとする「震災復興橋梁」の
設計に尽力した。


その際 都市の美観にも配慮し
弟・木下杢太郎が詩人であり

自身も文学を志したことが
あったことから
橋梁のデザインに
ついて文学者や
画家など広く芸術家にも
意見を求めたともいう。


これにより 
都市美観をも考慮した各橋は
デザインがそれぞれ異なり
“橋の展覧会” とも呼ばれている。

以下に
撮り収めた写真を掲載する。

 

相生橋 (1999年) 
長さ149m 幅31m 清澄通り

震災復興橋では
唯一架け替えられている。

 

永代橋 (1926年) 
長さ185.2m  幅22m  永代通り

バランスド・アーチ橋

 

      
     太田圓三の名が刻まれている
    (清州橋にもある)

 

清州橋 (1928年) 
長さ186.7m  幅22m  清州橋通り

ドイツ ケルン橋をモデルに
吊り橋形式

蔵前橋 (1927年) 
長さ173.2m  幅22m  蔵前橋通り

三つのアーチ桁が印象的


駒形橋 (1927年)
長さ150.2m  幅22m  浅草通り

中央アーチ 
両側が下アーチになっている。


言問橋 (1928年) 
長さ236.8m  幅22m 水戸街道

連続性の橋げたになっている。

 

 


土木技術者 太田圓三

2020-03-21 | 人物忌

  太田圓三像



復興局跡地の近くに架かる
神田橋北詰の公園内に記念碑が残る。

3月21日は 鉄道技師 
太田圓三(1881-1926)が亡くなっている。

太田圓三は 明治・大正期の
土木技術者・鉄道技師。

詩人・木下杢太郎
(本名・太田正雄)の実兄で

杢太郎より四歳年上で
1881(明治14)年に
静岡県伊東市に生まれる。


1904年 東京帝国大学
工科大学土木工学科を卒業後、

逓信省鉄道作業局
(後の鉄道省)に入局し、

1910年から2年間欧米に留学。

1923年の関東大震災後
帝都復興院土木局長に抜擢される。

業績は、道路の拡張・新設と
それにともなう土地区画整理を推進した。


当時はまだ馬車が主流であったが
車社会の到来を見越してこれを断行した。


現在、東京の幹線道路となっている
昭和通りや靖国通りなどはこの計画による。

 また、隅田川復興六橋
(相生橋 永代橋 清洲橋 
 蔵前橋 駒形橋 言問橋)を

はじめとする「震災復興橋梁」の
設計に尽力した。

更に、高速鉄道(地下鉄)の
必要性を説き
鉄道網の具体的な計画化に携わった。


復興事業では予算の都合上
地下鉄の敷設まではできなかったが

その必要性を重視し
私案を作成して
内務省公告にまでこぎつけた。

 これらにより
近代都市・東京の礎を築き

「鉄道始まって以来の
天才技術者」とも呼ばれた。


帝都復興事業に心血を注いていたが

1926(大正15)年
区画整理に対する無理解や

土地売買に関わる贈収賄疑惑
(復興局疑獄事件)
による
心労から自殺した。

 その業績は
現在も東京に残されている。


碑文には

「大正12年関東大震災の直後、
氏は選ばれて帝都復興院土
木局長に任ぜられ、

復興事業の根幹で然も極めて
難事業であった区画整理、
およびこれに基く
土木工事の計画遂行に直面して、

献身的努力をなすこと二年余、
事業の基礎漸く成った
大正15年春、心身疲労の極、
事業の犠牲として、

惜しくもその生命を
絶ったのであります。

昭和6年復興事業の完成に当り、
先輩知友相寄り、氏の功績を偲び、
記念としてこの彫像を、
深川相生橋畔の
中島公園に
建立したのでありますが、

太平洋戦争の災禍により
損傷せられましたので、

昭和30年春それを修復の上、
この地に移設したのであります。

       昭和30年 6月」

 

*参照:ウィキペディア 伊東市HP


江戸彼岸桜

2020-03-20 | 出来事・行事

 

 

コロナウイルス感染の騒動で

我が県は感染していない県であったが

感染者が出てしまい

不要不急の外出は避けるよう言われる中

 

茨城県・坂東市にある歓喜寺へ

樹齢420年の「江戸彼岸桜」を観る。

 

その名の通り彼岸の時候に

周囲の桜はまだまだつぼみの状態だが

一足早く咲きだした。

 

境内の真ん中 高さ15m 
幹周り5.5mの巨木で

樹齢を刻んだ老木でありながら
春の青空に向かい
枝いっぱいに桜花がっている。

寺なの名の通り
コロナウイルスが終息し
歓喜に沸く時世に
早くなってほしいものだ。

夜間にはライトアップされるそうだ。

 

 


’85科学万博

2020-03-17 | 出来事・行事

 

   テレホンカード

 

35年前の 3月17日
 「科学万博‐つくば‘85」が開催されている。


期  間: 同年の9月16日までの184日

正式名称: 国際科学技術博覧会

主テーマ: 人間・居住・環境と科学技術

会  場: 現在のつくば市御幸が丘

出 展 数: 48か国 
    37国際機関と28民間企業団体

来場者数: 2033万人余  

 

マスコットキャラクター:「コスモ星丸」

     
    *   *   *   *

万博関係の物や その後について
ピックアップしてみた。

 

  年末ジャンボ宝くじ

 万博会場内限定のインスタントくじ 


     1985(昭和60)年貨幣セット 

つくば万博記念コイン500円(中央下)

 

  跡地の公園内に建つ 高さ10mの「科学の門」

これは日本政府出展の高さ42mの
シンボルタワーを縮小している。

4本の脚の間に吊り下げられた
銀の玉を四方から見ると

4人の科学者の顔が浮かび上がる
仕掛けになっている。

東側―エジソン 
南側―ニュートン 
西側―アルキメデス 
北側―ガリレオ)


 

科学万博開催当時 常磐線
牛久~荒川沖の中間に設けられた
臨時駅「万博中央駅」
の跡 
1998(平成10)年3月 
「ひたち野うしく駅」として開業した。

 

 駅東口 モニュメント
  「未来を視る」(岡本太郎制作)

つくばエキスプレス 
秋葉原~つくば駅の間20駅の

18番目「万博記念公園駅」として
 2005(平成17)年8月 開業した。

 

 


山室軍平と救世軍

2020-03-16 | 人物忌

  救世軍渡来記念の地(中央区新富2丁目)

 

前回 山室軍平で 
「救世軍」に触れたが

その碑は 日本救世軍の
創設の地でもあって

「救世軍渡来記念の地」として
記念碑にもなっている。


碑文には
「1895年(明治28年)9月
英国より来日した ライト大佐一行は

この地に日本最初の本営を設け
救世軍活動を開始した。

1995年9月 日本における
救世軍創設百年を記念して設置する。

           救世軍本営」

  救世軍本営(東京千代田区神保町)


山室軍平を中心に活動を広められ

1919(大正8)年 神田神保町に
日本救世軍本営が完成した。


戦時中の国家統制のため
1940(昭和17)年 解散したが

戦後 1946(昭和21)年に再興された。

救世軍は キリスト教
プロテスタントの独立した一派で

1878年にイギリスで創設された。

独特の軍隊的組織のもとに

伝道と社会事業を
行なうことで知られる。

現在世界131か国と
地域で活動している。


救世軍では 
活動の拠点である教会を““小隊”

地域ごとのグループを“連隊”と
呼んでいる。


山室軍平の創意による
歳末助け合いの募金活動の
“社会鍋”は

現在でも大都市の歳末の
風物詩として広く知られている。



 


宗教家 山室軍平

2020-03-13 | 人物忌

「先ず人を造れ 山室軍平」の碑
      (中央区新富2丁目)

 

3月13日は 
宗教家 山室 軍平
(1872-1940)が 亡くなった日

日本救世軍の創立者で 
日本の代表的大衆伝道者の一人。

岡山県の農家に生まれが

家が貧窮し養子に出される。

1886(明治19)年 養家を出奔し
築地活版製造所で印刷工として働き
キリスト教の街頭伝道に触れて入信する。

苦学しながら 新島 襄 を慕って
同志社に学ぶが中退して。

岡山孤児院の手伝いなどをした。

その後 
1895(明治28)年に 救世軍に入軍し

下足番から始め
全生涯を救世軍の発展に献身し

東洋最初の救世軍司令官に任ぜられ
世界にも数少ない中将に昇進した。

彼の意図は
キリスト教の福音を下層労働者

一般庶民に 具体的・現実的方法によって
伝えようとするものであった。

多くの著書を残すが
代表作に『平民の福音』(1899)がある。

山室の名言「先ず人を造れ」は

2月11日に亡くなった
野村監督の名言にもある。

監督の仕事の根本は

「チームづくり」
「試合づくり」
「人づくり」

また 
「財を遺すは下、
 仕事を遺すは中、
  人を遺すは上とする。」

 

 


 

 

 

 


財布の日

2020-03-12 | 出来事・行事

 

3月12日は 語呂合わせで

“財布の日”だそうだ。

 

店頭では 
その財布の日ということで

宣伝の文句が貼りだされ 
いろいろな財布が並んでいる。

使い慣れた財布も
大分傷んできたので
財布を買い求めた。

 

近年は 中身より 
カード類が多くなり

キャッシュカード
ポイントカード
会員カードなど

その数二桁にもなる。

その為 カードポケットの
多いものを 選んだが

近頃は スマホアプリで
買物やポイントが
使えるようになっているので

財布やカード入れも次第に
使われなくなっていくのかな~

 

 

 


東日本大震災の追悼

2020-03-11 | 出来事・行事

 3月11日 NHKTVから

 

3月11日 東日本大震災から
9年になる

 

コロナウイルスの感染問題で
例年行われた追悼式を変更し
首相官邸において
政府関係者だけで追悼式が

あの日の午後2時46分に
合わせて執り行われた。

 “黙とう”


当方も震災にまつわり
身近にあった問題等について

ブログ(東日本大地震)
全82回にわたり掲載していたが

改めて読み返してみた。

“あの日を忘れない!”

 


ひつまむし

2020-03-10 | 出来事・行事

 

先日 我が家の13回忌を
無事に執り行えた。

このご時世 
中止にしようと思ったが

幸い 我が住む県は
感染者が出ていないし

ごく内輪の行事なので
そこまで心配することも
ない
だろうということで実施した。 

当日 参列者全員の
写真を撮り終えたが

後で写真を見て
皆で笑ってしまった?

全員が“マスク”姿だったのだ。

冥途のほうでも
苦笑しているのではないかな。

後々 写真をみて
これは何日のことであったか
直ぐにわかるでしょう。

精進落としは 
コロナウイルス感染防止を兼ね
「ひつまむし」を食した。

一膳目は そのまま鰻のうまさを味わい 
二膳目は 薬味を入れて混ぜ
 ネギと鰻の和した味を
三膳目は ワサビを入れ
だし汁をかけて
ウナ茶づけとしてと味わい

何か 肩の荷が下りた感で
箸を置く。

 

 

 

 


菊池 寛 (寛忌)2

2020-03-09 | 人物忌

 菊池寛著「日本競馬読本」
  (BS放送・ヒュ馬ンアワーから)

 

菊池寛の趣味は多才で 

その一つに競馬がある。

馬主でもあり 馬の血統

記録を研究する大切さを語り

馬の実力を問わない

“ケントクカイ” を戒めて

「情報信ずべし、然も亦信ずべからず」

の名言を残している。

 

1947年発行された菊池寛の著書

復刻版「日本競馬読本」の

装丁は藤田嗣二が担当。

 

菊池寛の死後 

大映社長・永田雅一が引継ぎ

菊池の馬名「トキノ」を

借用した「トキノミノル」は

菊池の悲願であった

ダービー優勝に輝き名馬となった。


 株式会社文藝春秋
  (東京都千代田区・紀尾井町)

 

1923年 文藝春秋を創刊主宰

また1926年 文芸家協会を設立


1935年 芥川 直木賞を設定するなど


作家の社会的地位の向上にも貢献した。


 菊池寛旧居宅跡(東京千代田区・六番町)

 


菊池 寛(寛忌)

2020-03-06 | 人物忌

  日本経済新聞(2003/11/22)

 

3月6日は 小説家 
菊池 寛(1888-1948)が
亡くなった「寛忌」。

大正・昭和の小説家、劇作家。

本名は寛(ひろし)。 享年61


高松生れ。京大英文科卒。
一高時代に 芥川龍之介
久米正雄らを知り

第3次、第4次「新思潮」同人となる。

戯曲「屋上の狂人」「父帰る」を
発表したが認められなかった。

1918年の「無名作家の日記」
以後「忠直卿行状記」
  「恩讐の彼方に」
  「真珠夫人」などで

一躍流行作家となった。


寛の有名な言葉に
「生活第一、芸術第二」また

「悪妻は百年の不作であるという。
しかし、女性にとって、
悪夫は百年の飢饉である。」がある。

 

 大分県・耶馬渓 青の洞門(1994年撮影)

 

 

 

 


お薬様!

2020-03-05 | 出来事・行事

 



病院から出る薬の種類が多くなり

さらに飲む時間と量などが複雑なり

今までは飲み忘れもあって

その対策として 

ピルケースなるものを買い求めた。

 

薬手帳も再交付された。

この薬手帳は 

薬の名前・量・日数などが記録されるが

このことにより薬の重複 副作用 

飲み合わせや

アレルギーへの対応にもなり

旅先や災害 急に具合が

悪くなったときなど

自分の薬情報を的確に

伝えることができる。

また最近はアプリによる「e-薬手帳」も

利用できるようになっているそうだ。


加えて 日常での血圧を測定し

記録するよう指示も受ける。


いよいよ 薬等に管理され 

生かされているような

感じになりつつある!!

 


味噌作り

2020-03-04 | 出来事・行事

 

ひきこもり状態の中 

我が家恒例

“手前味噌” 作りを行った。

今年は 特に雑菌に注意し

殺菌用の焼酎を 


例年よりも多く使用した。

かれこれ 20年余続けているが 

今年は 温暖化の影響か

大豆の粒がちょっと大きい 


また 寒仕込みとはいかず

十分な発酵・熟成になるのか

心配だが
10か月先に期待です。