あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

作家 住井すゑ

2022-06-16 | 人物忌


 2021年11月3日 「牛久市住井すゑ文学館」開館

 

 

6月16日は 作家 住井すゑが亡くなった日

 

住井すゑは 

1902(M35) 年 
 奈良県磯城郡平野村(現・田原本町)に生まれる。

 実家は大和木綿の製造業と農業を営んでいた。

1919(T8)年
 17歳上京 講談社に入社するが 

 女性社員への給与差別に抗議して1年で退社
1921(T10)年
 農民解放を目指した
 農民文学者・犬田卯(しげる)と結婚

1930(S5)年 
 無産婦人芸術連盟に参加し
 女性解放の視点からも創作活動を続けた。

1935(S10) 年 
 夫の郷里である茨城県茨城県稲敷郡
 牛久村城中(現・牛久市)に転居

1957(S32)年
 夫病死(66歳)

1959(S34)年
 「橋のない川」の執筆を雑誌「部落」に掲載

1961(S36)年
 第1部を出版

 自由と平等を求めて差別と闘う物語は
 800万部を超えるロングセラーとなり
 映画化される。

1973(S48)年
 第6部でいったん完結

 

  
        (2013年6月訪れた時)


1978(S53)年 
 自宅に平和や文化について学び合う
 「抱樸舎」(ほうぼくしゃ)を建てる。

 *「抱樸」は 老子の道徳経第19章から
  素朴な心を抱き続けること。

1992(H4)年
 第7部を出版

1997(H9)年 
 永眠 享年95 

 

2018(H30)年
 抱樸舎の住宅の建物と土地が牛久市へ寄贈

2021(R3)年
 改修され
「牛久市住井すゑ文学館」として開館

 

 

 


梅雨とタチアオイ

2022-06-13 | 出来事・行事

 

梅雨に入って 丁度一週間

つかの間の晴れ日 散歩に出る

 

季節の花“タチアオイ”が咲き始めた!

 

別名“ツユアオイ”とも呼ばれるように 

ちょうど梅雨入りの頃に咲き始め

梅雨明けとともに花期が終わるということから

梅雨の花にふさわしい。

 

この花の立ち姿が好きだ

花言葉は「野心」「大望」「豊かな実り」

 

 


詩人 大町桂月

2022-06-10 | 人物忌

      豊坂(文京区目白台) 


6月10日は 詩人 歌人 随筆家の

大町桂月 がなくなった日

 

大町桂月(1869・M2-1925・T14)は 

高知市 元土佐藩士 大町通の三男として生まれる。
名は芳衛。

1896(M29)年 東京帝国大学国文科卒業
1899(M32)年 島根県で中学教師として奉職
1900(M33)  年 博文館に入社
1906(M39)年 退社

1913(T2)年 出版された「人の運」は
  処世訓集としてベストセラーとなる。

和漢混在の独特な美文の紀行文は広く読まれた。

終生酒と旅を愛し、酒仙とも山水開眼の士とも称され。
晩年は遠く朝鮮 旧満州まで足を延ばしている。

 

写真 豊坂の説明板には

「坂の名は、坂下に豊川稲荷社が
あるところから名づけられた。
 江戸期この一帯は、大岡主膳正の下屋敷で、
明治になって開発された坂である。
坂を下ると神田川にかかる豊橋があり、
坂を上ると日本女子大学前に出る。

 目白台に住んだ大町桂月は
『東京遊行記』に明治末期このあたりの路上風景を、
次のように述べている。

 「目白台に上れば、女子大学校程近し。
さきに早稲田大学の辺りを通りける時、
路上の行人はほとんど皆男の学生なりしが、
ここでは海老茶袴をつけたる
女学生ぞろぞろ来るをみるにつけ、云々」
(以下略)」

*「東京遊行記」(1906・M39刊行)

 



雅号・桂月は地元 月の名所桂浜から。

浜には碑が置かれ
「見よや見よ
     みな月のみのかつら浜
  海のおもよりいづる月かげ」


の歌が刻まれている。


        仏ヶ浦

桂月は 青森県の十和田湖と奥入瀬を愛し
晩年 同地の蔦温泉に居住したが
1925(T14)年 胃潰瘍のため温泉旅館で死去。
享年57

1922(T11)年 佐井村の仏ヶ浦を訪れ
「神のわざ鬼の手づくり
     佛宇陀人の世
      ならぬ処なりけり」と詠う。

その歌碑が仏ヶ浦極楽浜に置かれている。

 

 


ご無沙汰です!

2022-06-05 | 出来事・行事

 

当ブログ1ヶ月お休みをしておりました。

 

稲も田植えから一ヶ月で根がしっかり

知床遊覧船事故から40日

ウクライナ侵攻から100日

コロナ感染も3年と

 

時節は確実に移り変わっていく 

そして 齢も刻んでいく・・・