あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 102 坑道

2018-07-31 | ポーランド紀行

 

 

坑道の壁や天井は 太い松材が支えている。

一般に公開されているのは深さ135mまでだが
約3.5 kmの見学ルートが設けられている。

坑道は 途中何か所 
扉が設けられ その先は広い空間と 
気圧差による風を避ける

また落盤等からの災害対策が設けられている。

 地下の気温は14~16度で
 かなり歩くが快適であった。

 

 

 
こちらは 湿気が多いのか 漆喰塗り。

 

 

 

岩盤の階段は 坑夫用だったが 
今は 観光客用に木製の階段が架けられて
下へ下へと下る。

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 101 エレベーター

2018-07-30 | ポーランド紀行

 

 

現在は観光のため
地下64~135m(第3層)までが
一般公開されているが全体のわずか3%にすぎない。

エレベーターとはいえ一般的なものではなく
 坑夫が使用していた業務用のもの? 
8人ほどが乗り込めば すし詰め状態。

坑夫の気分を味わいながら
地下64mまでいっきに降りる。 

 

配電盤?操作盤? 旧式(左)から
 最新式なものなっているようだ。

 

  (写真は地下から地上への降車口)

エレベーターは 上下2籠になっており
 各裏表側から乗降するようになっている。

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 100  世界遺産

2018-07-29 | ポーランド紀行

 

 

「ヴィエリチカ岩塩坑」は ユネスコの世界遺産に登録において
1978年 史上初めて登録された 12件のうちの一つである。

その 12件が 塩の岩盤に刻まれている。

因みに 7か国 12件(自然遺産4件  文化遺産8件)は

        ・カナダ   「ランス・オ・メドー国定史跡」「ナハニ国立公園」
        ・エクアドル 「ガラパゴス諸島」「キト市街」
        ・エチオピア 「シミエン国立公園」「ラリベラの岩窟教会群」
        ・ドイツ   「アーヘン大聖堂」
        ・セネガル  「ゴレ島」
        ・アメリカ  「メサ・ヴェルデ国立公園」「イエローストーン国立公園」
        ・ポーランド 「クラクフ歴史地区」「ヴィエリチカ岩塩坑」
 

 
  *「ヴィエリチカ岩塩坑」は
2013年に名称が
「ヴィエリチカ・ボフニャ王立岩塩坑」
に変更された。


なお これらの遺産は 都市遺跡 宗教建物
 国立公園など いろいろな価値観から
保護されるべきとして登録された。

しかし この岩塩坑は 美しいとか建物が
素晴らしいわけでもないのに登録されたが

 ここで採掘された岩塩は
 ポーランド大国に
莫大な富をもたらし 
それによって世界を変えたことが評価されている。

しかし 登録後地下水や人の呼気による
湿気により岩塩の溶解が進み
1989年に危機遺産リストにあがってしまった。

その対策として換気装置が導入された結果
 1998年にリストから削除された。

 

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 99 ヴィエリチカ岩塩坑

2018-07-28 | ポーランド紀行

 

 

 クラクフから南東15kmにある
 「ヴィエリチカ岩塩坑」へ

13世紀から1950年代まで稼働していた
世界有数の規模を誇り
また 世界最古の岩塩採掘場。

産出される岩塩は 
ポーランド国家の重要な収入源となり
14世紀以降はポーランド国家財政の3割を支え
大きな利益をもたらした。

中世時代、塩は調味料以外にも
食料の保存や医薬品
染色やなめしなどの産業用品としてとても
貴重で「白い金」とまで言われていた。

 

岩塩の採掘の結果 坑道の総延長は約 300 km
採掘後にできた空洞の数は 2,000以上
また最深部は 327mに達し
9層からなる広大な地下採鉱場となっている。


第二次世界大戦中には、
この岩塩坑を占領したドイツ軍が
その一部を軍需物資の製造拠点としたこともある。

1978年に最初の世界遺産として登録された。
1996年 塩の採掘は停止され
現在は 観光用として公開されて

年間110万人もの観光客が訪れている。

 

 


ポーランド・クラクフ 98 結婚式

2018-07-27 | ポーランド紀行

 

 

会前で募金活動をしているのか?
 と思ったら 列の先に新郎新婦がお祝いを受けている。

結婚式の様子で ポーランドでは 
教会での挙式の後 
このような形で祝福の言葉を受け 

プレゼントや祝儀を受け
キスするのが慣習となっている。

また 昼から始まった結婚式は 
披露パーティがお開きなるのは翌日で
 2日がかりになり
そのため土曜日の挙式が多いそうだ。

結婚式は 教会か役所(婚姻届)の
どちらかで挙げなけばならない。

結婚後は共働きが多いそうだ。

 

 

 

向かい側に待機していた車 
エンベルムを見たら「シコダ」であった。

ポーランドには国産車がないため
外車になるが チェコの「シコダ」だった。


シュコダについては
当ブログ 「中央旅行(58) 国産車シコダ」
(2012/04/27)
でも触れた。


ナンバープレートには
「MLODA PARA」(若いカップル)とある。

 

こちらは ヴァヴェル城内での
 “前撮り” のカップル

 

 


ポーランド・クラクフ 97 トラム

2018-07-26 | ポーランド紀行

 

 

クラクフ市内の移動手段は
もっぱらトラムとなっている。

クラクフのトラム路線は
城壁の外を環状に回り
そこから放射線状に郊外へと延びている。

東京の山手線同じようで
旧市市街地を横断する路線は
 中央・総武線とみればよい。

路線数は20系統以上あり 運行間隔も短い。 

車両も社会主義時代?や 最新式と種類も多い。

車体の色は青に白のラインを基調としている
中には広告用の車両も運行している。

 

 

 

十字に交わる路線と架線

ナチス占領時代 (NHK/BSから)


ポーランド・クラクフ 96 観光馬車

2018-07-25 | ポーランド紀行

 

 

観光馬車は人気のようです。

資料によれば 現在 クラクフでは
36台登録されており
毎日最大16台が営業している。

馬主によって 馬車の色 デザイン
馬の装飾が違うようで
 日本の”デコトラ”を思い浮かばせる。

中央広場から 中央広場を半周し
グロツカ通りを進み ヴァヴェル城下までの
コースが人気だそうだ。

グロツカ通り 日中は車両通行禁止になっているが
 観光馬車は 例外のようで
ヒズメの音を聞きながら
ゆっくりと見て回るのも 一興かも。

なお 朝10時~夜9時過ぎまで営業し 
雨の日は 屋根が覆い
寒い日は 毛布のサービスがあり
一年を通して観光できるそうだ。

 


ポーランド・クラクフ 95 乗り物

2018-07-24 | ポーランド紀行

 

 「CITY TOUR」カー


 クラクフを観光する手段としては
 
徒歩 乗り物としては レンタサイクル

トラム バス タクシー 電気カート

馬車 など 方法は いろいろあるようです。

 

 

  ポーランドで「トゥクトゥク」?

タイのトゥクトゥクがある。

タイレストランのデリバリー用?のようです。

 

 

「セグウェイ」

デモンストレーションかと思ったら
 観光用でした。

 

 


ポーランド・クラクフ 94 クラクフ国立博物館

2018-07-23 | ポーランド紀行

クラクフ国立博物館本館正面


国立博物館内で 
浮世絵「ONNA」のポスターを見る。

何故ここにと思ったが 
この博物館には 何千点にも及ぶ絵画や漆器
陶器 刀剣類などの
膨大な日本美術のコレクションがあるという。

先のマンガ館でも触れたが 
20世紀初頭 美術品コレクターで芸術評論家の
フェリクス・ヤシェンスキによって
 ポーランドに 初めて日本美術が紹介された。

19世紀末のパリで 当時西欧で大流行していた
日本美術と出会い衝撃を受け

日本美術品を収集し、
ポーランド随一の 日本美術品コレクターとなり、

また 日本美術をポーランド国内に
喧伝する活動を始めた。


収集した日本美術品のコレクションは
晩年 クラクフの国立博物館に寄贈された。


しかし 第2次世界大戦中のドイツ占領時代に
その一部は 失われたが

現在残っているものの中には
価値の高いものが少なくないという。

加えて 日本美術がポーランドの芸術家たち
そして ポーランドに及ぼした
影響
は 大きいという。

 


ポーランド・クラクフ 93 「ハクテンを抱く貴婦人」

2018-07-22 | ポーランド紀行

 

 

クラクフ旧市街から 西に移動

 「ハクテンを抱く貴婦人」を
鑑賞のため「クラクフ国立博物館」へ

 

 (大きさ54.8×40.3cm)

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の
「白貂(ハクテン)を抱く貴婦人」は

女性の美しい肖像画として
世界でも 有数の名画といわれている。

また ポーランド国内のコレクションでは
最高の価値を持つ肖像画に数えられている。

なお この絵画はポーランド人貴族
チャルトルスキ公爵によって
1800年頃にイタリアで購入し
それを 母イザベラに贈ったところから

チャルトリスキ家のコレクションになった。

第二次世界大戦時 ナチスにより略奪されたが

戦後ポーランドに返還され 
チャルトルスキ財団に収蔵された。


2016年12月 国立美術館へ所有権が移り
 2017年5月から公開されている。

この絵は1490年
巨匠ダ・ヴィンチが38歳の時に描いた作品で
「モナ・リザ」(1503-06年)より前に描かれている。

ダ・ヴィンチが生涯に描いた
数枚の肖像画の一枚として知られる。

なお 左手で白貂を抱き 
右手でその毛並みをなでる婦人は
チェチーリア・ガッレラーニといい
ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァの
愛妾であった女性で 
この絵は 二人の愛を描いており
白貂は二人の愛情を象徴するものといわれている。

 

 

 

 2階の特別室 照明をおとした中での
鑑賞でしたが 当然撮影禁止です。


しかし 特別コーナーが設けられて
レプリカが飾られ 婦人が抱くハクテンも作られており
婦人と同じ姿で 撮影できるサービスがありました。

 


ポーランド・クラクフ 92 騎馬像

2018-07-21 | ポーランド紀行

 

 

 ヴァヴェル城内の見学を終え 北側城門へ

その城門に「タデウシ・コシチュシコ」の
乗馬像が建っている。

 タデウシ・コシチュシコは 
18世紀末にプロイセン オーストリア ロシアによる

3国分割に反対し 蜂起の指導者として
「ポーランドは不死身だ」と言って戦い
 ポーランドとリトアニアでは英雄になっている。

しかし 結果はポーランドという国は消失してしまった。

 

  こちらは北側の城壁にはめ込まれた寄付者のプレート?

 

 


ポーランド・クラクフ 91 ヨハネ・パウロ2世

2018-07-20 | ポーランド紀行

 

 

大聖堂脇の立像は 
元ローマ法王ヨハネ・パウロ2世

(第264代 在位1978―2005年)

ヨハネ・パウロ2世については 
このブログで折に触れ話題にした。 

国民の90%以上がカトリック信者だった
社会主義時代のポーランドでは
教皇の存在が国民の精神的な支えとなり
後の民主化に大きな影響を与えた。

今やポーランドの守護神ともいわれる。

 訪問国であるメキシコを初めとして
2003年の最後の訪問国である
スロバキアまで100カ国以上を訪問し、
「空飛ぶ教皇」と呼ばれ 民族や宗教・国を越えた
対話を目指し各国のリーダーや政治家
宗教関係者との会見も積極的に行った。

また すべての命と人権の擁護
戦争や暴力に反対するなど
平和への活動にも取り組んだ。



 先ほど 通ってきた カノニツア通りに
パウロ2世の額が飾られた建物があり
パウロ2世は かつて ここに二度住んでいたという。

現在 建物は「大司教区博物館」となっている。

パウロ2世が 使用していた生活用品や
スポーランドの山を愛し湖やカヌーでの川下りを好んだ
 スキー カヤックなどが 展示されている。

 

 


ポーランド・クラクフ 90 王宮

2018-07-19 | ポーランド紀行

 

 

中庭から大聖堂に沿って
奥へ進むと王宮の入り口があって
建物に囲まれた中庭にでる。

周囲の建物は旧王室で 
16世紀にジグムント王がゴシックと
ルネッサンスの複合様式で建築している。

3階建ての外付きのアーケード式
回廊が中庭を取り囲んでいる。

部屋数は71にもなるが 
現在 王宮博物館として公開されており

16~17世紀の頃を再現した豪華な部屋や
 歴代王の肖像画や家具調度品が見ることができる。

1320年以来 王の戴冠式に
用いられてきた「Szczerbiec」という剣や
ジグムント2世が収集したというブリュッセルの
織物工房でつくられた16世紀の
タペストリー138枚は 必見という。


 

  壁にはフレスコ画  屋根には竜形の雨樋が見える。

 


ポーランド・クラクフ 89 大聖堂

2018-07-18 | ポーランド紀行

 

  3つのチャペルを従えて建つ大聖堂

 

ヴァヴェル大聖堂は 1364 年に設立された
ローマ カトリック教会の大聖堂。


歴代のポーランド王の戴冠式は
1764年までここで行われていた。


また 全45代の王様のうち
41名までこの聖堂の地下に葬られており

美しい芸術的な彫刻が施された
棺が数多く安置されている。

北側に聳えるブルーの塔は
18世紀初めに建てられたジグムント塔。

この塔にある鐘は
 1520年製 ポーランドで最大
高さ4.6m 直径8m 重さ12.6tある。

その音色は30km先まで届くそうだ。
ただし国家の重要な慶事でのみ鳴らされる。


ジグムント礼拝堂が戴く
金色のドーム ひときわ目立つが 
イタリア人建築家が1533年に建てた。
国内でもっとも美しいルネサンス建築と
高い評価を受けている。
 

 

              

 

 

 

 

 

 


ポーランド・クラクフ  88 マンガ館

2018-07-17 | ポーランド紀行

 

 

ガイドからもう一つ案内があった。
 ヴァヴェル城壁からヴィスワ川の対岸に
特徴的な屋根の建物は「マンガ館」であると。


正式名は 日本美術技術博物館“マンガ”館で
 1994年にオープンしている。

1920年、ポーランド人コレクターから浮世絵や
掛け軸、漆器、着物など多数の日本美術品が
クラクフ博物館に寄贈され1944年に一般公開された。

公開当時、ポーランドの巨匠 
映画監督のアンジェイ・ワイダが見ていた。

その50年後1987年に、ワイダが京都映画賞を受賞し
その賞金を元にこれらの寄贈品を
展示するための美術館の建設に充てることが決定した。


建設には日本政府 稲盛財団 JR東日本からの寄付と
 設計には磯崎新がかかわっている。

因みに こちらの「マンガ」の綴りは
“Manga”ではなく“Manggha”としているのは
寄付者の名「フェリクス・マンガ・ヤシェンスキ」からという。

また 当方は“マンガ館”とあるから
“漫画”そのものと思ったが さにあらず

名前は「北斎漫画」から命名したそうだ。
 

マンガ館側から見たヴァヴェル城