あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行55 ポルト25  レロ書店3

2019-05-31 | ポルトガル紀行

   

 

  有名になりすぎた結果 ただ見て回る観光客が押し寄せ 

  本来の本を買い求める客の迷惑になってしまった。


  そこで書店は 苦肉の策として

  入店料金5€を徴収することにした。 

  しかし それでも観光客が押し寄せている現状だ。

 

 

              

  書店の2軒隣で 入店チケットを入手

 

 

  サンデマンのマント? 学生のマント?と
    
   この書店もマントを着用していました。

     彼女と一緒に記念撮影 でした。

  

   この入店料金は、
  バウチャー(商品引換券)として使用できるため

  店内で書籍を購入すれば入場料は
  実質無料となるという。

  しかし 家人の入場券を合わせて
  5€以上のものをとしたがダメ!

  1枚で1件とのことでした。

 

  家人は書店のパンフレット(5€)を購入した。

 

 

 

 

 

    チャールズ皇太子             ダイアナ妃 

  

  ということで やっとのことで
   遊びの絵本を買い求めた。

 


  この遊び絵本なかなか面白い

   どんな顔、あんな顔、へんな顔、

  こんな顔、みんなあわせて

  12人の有名人の顔の断片を

  思いのままにつなぎあわせて

  2500もの新顔をうみだす遊びの本だった。

  

  チャーリー・チャップリン ミック・ジャガー

  マリリン・モンロー    クラーク・ゲーブル

  ジョン・ウエン      グルーチョ・マルクス

  ドナルド・レーガン    クリント・イーストウッド

  エルヴィス・プレスリー  マーガレット・サッチャー

  チャールズ皇太子     ダイアナ妃 

  

 


ポルトガル紀行54 ポルト24  レロ書店2

2019-05-30 | ポルトガル紀行

 

 

 

 

 

   2階から1階をみる。 
    床に重い本を運ぶ台車用のレールが見える。

                          

  
    天井には明り取りのステンドグラス(8m×3.5m)

 

  

     

   Lの文字はレロ兄弟のモノグラムで

   店のモットー ラテン語で書かれた
  「Decus in Labore」は
  「労働者の栄光」という意味で

   
   従業員、顧客、読者を問わず
   ここに来る全ての人に対しての黄金のルール
  
  「何事でも 人からしてほしいと望むことは
    人に対しても その通りにせよ!」

  という教えを 表しているとのこと。

 

 

   

 


ポルトガル紀行53 ポルト23  レロ書店

2019-05-29 | ポルトガル紀行

 

 

  クレリゴス教会の先に
  ポルト観光の人気のスポットと
  なっている書店がある。

  ポルト市内の一書店が
  世界的に有名になったのは?

  

  英国の新聞ガーディアン紙が発表した
  “世界の素晴らしい書店” で 第3位に選ばれたこと


  また 児童文学「ハリー・ポッター」の
  作者J・Kローリングが英語教師として
  ポルトに赴任していた頃に

  この書店が ハリー・ポッターの発想に
  大きく影響したともいわれ

  世界的に有名になったという。

 

  このレロ書店(レロ・イ・イルマオン)は

  1869年に創業され何人かオーナーが変わった後
  1894年にレロ兄弟の手に渡り
  1906年以来 現在の場所で営業を行っている。

  1919年に「レロと兄弟」という意味の
  「レロ・イ・イルマオン」という現在の名前となった。

 
   ネオゴシックの建物は
  技師で実業家の
  グザヴィエ・エステーヴ が手がけている。

 

 
   まだ天国までは行きたくないが
 
  らせん状の天国の階段を上がり2階へ

 

 


ポルトガル紀行52 ポルト22 クレリゴス教会 

2019-05-28 | ポルトガル紀行

    

 

 

  クレリゴス通りの坂上

      歴史地区の一番高い場所に
  「クレリゴス教会」がある。


  教会は イタリア人建築家
  ニッコロ・ナッソーニによって

  1749年に建てられた
  花崗岩・バロック式の教会。

  歴史的には17世紀にポルトへ
  集まってきた3つのクレリゴス会により

  聖職者たちを支援するための
  拠点となる教会の建設計画が立ち上がった。


  クレリゴスは「聖職者」を意味し、
  彼らが集う場所を作るのが目的であったが

  実際に建設が始まったのは
  1732年で1749年に完成した。

  高さ76mの鐘塔「グレリゴスの塔」は
  1754年から1763年までかけて建てられた。

  ガイドから
  「ポルトガルで一番高い建築物の塔で
  ポルト市内が一望ですよ 登ってみませんか?」

  
  と勧められたが らせん階段で255段と聞いて

  すでに足に疲れがきていて見送りました。

  

 

   

 


ポルトガル紀行51 ポルト21 新聞売りとマクドナルド 

2019-05-27 | ポルトガル紀行

 

 

 

リベルターデ広場の東
新聞売りの像がある。 

初め見たときは
パホーマンスかと思って

カメラを伏せたが 
本物の銅像 オブジェでした。


今では
見られなくなった新聞売りを

マヌエル・ディアスが記憶として
作品にしているそうだ。





   

                          

 

その先に ポルトには
「インペリアル」という名がついた

世界で最も美しいと言われる  
「マクドナルド」がある。

 

看板に「McDonald's」と
ワシの像が
取り付けられている。


このマクドナルド・インペリアルは
1930年代に建てられた

「インペリアル・カフェ」を
改装しているが
周りの建物と調和するように
しているそうだ。

 

 

 


ポルトガル紀行50 ポルト20 市庁舎 

2019-05-26 | ポルトガル紀行

        

 

リベルターデ広場の奥に
ある市庁舎

ポルト市は
現在 人口約263,000人 

首都リスボンに次ぐ
ポルトガル第二の都市。

 

ポルトは、ローマ時代には
「ポルトゥス・カレ
(カレの港)」と呼ばれ

貿易が盛んな都市であった。

この呼び方が

後の「ポルトガル」という
国名の由来となった。

 

現在 聖グレゴリウス聖堂、
大聖堂、ポルサ宮、

聖フランシスコ聖堂などを
含む旧市街地は

1996年 ポルト歴史地区として
世界遺産に登録された。

大航海時代 
長崎・出島へ向かった
ポルトガル船の母港であることで

長崎市と1978(昭和53)年から
姉妹都市提携している。

                   
このポルトの出身
女子マラソンの  
ロザ・モタ(1958-)を思い起こす。

1986東京・1990大阪の
国際女子マラソンで優勝して
当方と誕生日が
同じであったから。

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行49 ポルト19  リベルターデ広場

2019-05-25 | ポルトガル紀行

 

  左建物「UNIC」 中央「ドン・ペドロ4世像」と「市庁舎」 右建物「BBVA」

  

サン・ベント駅(右上)から
北西へ3分
歴史地区の北に位置するバイシャに

広がる開放的な空間が
「リベルターデ広場」


正面奥 約500m先 高さ70mの
時計塔のある建物は市庁舎。


中央の騎馬像は 
初代ブラジル国王となった
「ドン・ペドロ4世」
   (1798-1834)

ナポレオンがポルトガルに攻め入った際
ブラジルへ逃亡した
ドン・ジュアン6世の後継者で

初代ブラジル皇帝となり
「解放者」と呼ばれた。

  

また 市庁舎まで続く通りは
「アリアードス大通り」で

アリアードスとは「同盟」の意味。

また 広場を囲む建物が豪華で 
オフイス、ホテルや
郵便局あることから

政治や経済、芸術の中心として
ポルト市民にとっては
特別な場所になっている。

            

  

   ポルトガル銀行

 

    

   

左側の建物は 先ほどの
サン・ベント駅の設計も手がけた

ポルトの建築家
「ホセ・マーケス・ダ・シルバ」の設計による

「A Nacional(1919-1924)」という
保険会社の建物。

 現在は 若者ファッションショップ
「UNIC」が入っている。

 

 

右側の建物も同じく
「ホセ・マーケス・ダ・シルバ」の設計で

1922年 建設の
「Bank of London and South America」の建物。

  
現在は同じく銀行(のグループ)の
「BBVA」本社になっている。

 

 

 

1995年に
開店したマクドナルドが
1階にある。

 
元は1930年代の歴史的な
コーヒーショップ
「インペリアル・カフェ」の
建物だった。

 

 


五つ星ホテル
「インターコンチネンタル
ポルト パラシオ ダス カルドサス」

19世紀の「カルドザス宮」を
改修したホテル。

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行48 ポルト18 アズレージョ

2019-05-24 | ポルトガル紀行

   

             サン・ベント駅構内    

 

  アズレージョとは
  ポルトガルで流行した白地に青色や
  多彩色で色づけされたタイル装飾で

  壁画やタペストリーの
  代わりとして用いられたもの。


  ポルトガルの建築を彩るタイルの芸術ともいわれ

  教会や通り 駅やレストランなどで
  装飾タイル・アズレージョが目に入る。

 

  装飾用であると同時に室温管理の
  機能も持つともいう。

  語源は諸説あるが
  アラブ語で「モザイク」を意味するアズレーシャ
  もしくは青を意味するアズール。


  青一色のものが多くみられ特徴となっているが

  歴史や文化の影響を受け時代により様々なものある。

 

  14世紀の初めにスペインのセビリーリヤから
  輸入したムーア人伝承によるタイルが起源。

  15~16世紀初め これをもとに
  ポルトガル独自のタイルが造られ始めた。

  当時は教会や王宮を飾るもととして使われた。

  17世紀 中国や日本の磁器の影響を受けた
  青単色のオランダのデルフトスタイルが流行した。

  1640年スペインから再独立し 青ばかりでなく
  黄・緑・赤の多色のタイルも造られ

  「巨匠の時代」と呼ばれる芸術性の
  高い黄金期を迎える。


  19世紀 ナポレオン軍等の影響により
  経済変革が起こり、生産量は減ったが

  この頃になると、内装だけでなく
  外装にも使用するようになった。

  20世紀 外国産の安価なプリントタイルが
  輸入され庶民にも手が届くようになったが

  国産タイルは、ハンドペイントが
  流行り魅力的な街並みとなる。

  また 独裁政権時代には ヨーロッパで広まった
  モダニズムの影響を受けなかったことから

  伝統的な街並みが守られたという。

 

    

             シントラ 王宮

 

 

  

 


ポルトガル紀行47 ポルト17 サン・ベント駅5

2019-05-23 | ポルトガル紀行

    

  青のアズレージョの上に

  カラーのアズレージョが

     天井際に張り巡らされている。

  馬から馬車へ そして汽車へ 

  1875年の ”ミーニョ鉄道” の

     開通までの変遷が描かれている。

 

 

                   左壁                   

 

         入口上

 

         正面

 

         出口上

 

         右壁

     * * * * * * * * * * * *

    

 

  さらに天井を見上げれば 中央部に大きく

  「DOURO」(ドウロ川)と「MINHO」(ミーニョ)とある。

    *天井の「DORO」の”V”は Uと思われる?


 
  ポルトガル北部を表すミーニョは 駅ホーム方向を指し

  ポルトから北部へ向かう玄関口として

  サン・ベント駅であることを示している。

  
  なお「ミーニョ」とは 

  20世紀にポルトガルの北部地方にあった旧州であった。

        

      出入口側                「RILHETEIRAS」(チケット)

 

 

 

 


ポルトガル紀行46 ポルト16 サン・ベント駅4

2019-05-22 | ポルトガル紀行

 

              ENTRADA(入口)側

  ホームに向かう正面には
  ポルトガルの歴史ではなく

  人々の暮らしや 農作業 そして 
  お祭りの様子が 描かれている。

 

 

          

 

      先に訪れた ギマラインス での
    
                        「聖女レメディオスの祭り」

 

       

  

    この一枚 女性の視線を感じます!

 

     *  * * * * * * * *

 

 

            SAIDA(出口)側

 

        北部の町ラメーゴの「レメディオスの祝祭」

 

  ポルトのドウロ川の上流
  約 70㎞ にある古都・ラメーゴは

  ポルトガルの初代国王アフォンソ1世が
  初めて国会を開いた街で

  政治や宗教、経済の中心地として栄えた。

  街を見下ろす高台に建つ
  ノッサ・セニョーラ・ドス・レメディオス教会には

  医学 や 薬の女神としても知られる
  聖女レメディオス を祀っている。

  
  毎年9月にはこの「レメディオスの祝祭」が  
  盛大に行なわれている。

 

 


ポルトガル紀行45 ポルト15 サン・ベント駅3

2019-05-21 | ポルトガル紀行

 

 

      右壁対する左の壁も 史実が場面になっている。

 

                 「アルコス・デ・バルデベスの戦い」




  アフォンソ・エンリケとアルフォンソ7世の軍隊の戦いで

  アフォンソ・エンリケが勝ち
  
  後にザモーレ条約(1143)となり

  
  ポルトガルの独立とアフォンソ・エンリケが

  ポルトガルのアフォンソ1世王となることが


  認められた。

 

 

      「レオン王に家族を謁見するエガス・モニス」

 

  こんな場面 映画「アラビアのローレンス」を思い起こす。

  
  家族を伴っているので 場面は

  初代ポルトガル王がまだ王子だったころ


  教育係の就任に際したエガス・モニスが 


  レオン国王に謁見し家族を紹介しているところでは?

  
  または 自分と家族の命と引き換えに

  敗色濃厚なポルトガルを助けてくれるよう直訴したところ? 


  のどちらかと思われる。

 

 


ポルトガル紀行44 ポルト14 サン・ベント駅2

2019-05-20 | ポルトガル紀行

 

 

  「サン・ベント駅」を有名にしているのは
  
  駅構内の壁一面に彩られた約2万枚の「アズレージョ」。

  ポルトガルを代表するアズレージョ画家

  ジョルジュ・コラコによって

  11年もの歳月をかけて 

  ポルトガルの歴史や文化

  人々の生活が描かれている。


  アズレージョが張り巡らされたホールは

  まるで駅とは思えないほどだ。

  列車を利用しない人もこのアズレージョを

  見学しているので 駅は混雑している。

                   

  ホールの左右両側の壁には 
  
  ポルトガルの歴史が描かれている。


  先ず右壁から

 

          ジョアン1世のポルト入城

 

  ジョアン1世(1357-1433)が
  
  フィリパ・デ・レンカストレ(1359-1415)との


  結婚(1387年)のためにポルトに入城する場面。

 


        「セウタを征服したエンリケ航海王子」 

 

  1414年 21歳となったエンリケは

  父ジョアン1世とともに


  ジブラタル海峡に接しイスラム勢力が立てこもる都市


  アフリカ北岸にあるセウタの攻略戦に参加する。


  
  翌年にはセウタの攻略が完了し

  ポルトガルはアフリカ一帯への

  進出への足掛かりとなった。


  この武功によりエンリケは騎士に

  叙されヴィゼウ公の位に就いた。

 

  その後フェリペ2世がポルトガルを併合し

  1580年から現在までスペイン領となっている。

 

 

 


ポルトガル紀行43 ポルト13 サン・ベント駅 

2019-05-19 | ポルトガル紀行

    

      「サン・ベント駅」

 

  ドン・ルイ1世橋から北に
  一直線のびる通りの右に「サン・ベント駅」

  歴史地区の北に位置し
  周囲に歴史的建造物が点在する
  観光の中心地・街歩きの起点にもなっている。

  
  1916年、 
  サン・ベント・デ・アヴェ・マリア修道院

  (1783年焼失)の跡地に建てられ

  ポルトガル人建築家によって、

  フランスのボザール様式の影響を受けて
  設計されたクラシカルな外観は重厚感が漂う。

  駅名「サン・ベント」は
  サン・ベント・デ・アヴェ・マリア修道院に
  敬意を払い命名されている。

                        

    駅名「PORTO」の上には大時計 電光掲示板

 

  

  スペインからの国際列車は 
  一つ先「カンパニャン駅」(1875年開業)にて

  発着しているので

  この駅は その支線でローカル列車の発着駅でもあり
  終着駅にもなっている。

 

   
   ホームの先は すれすれにトンネルがある

     構内にある券売機

 

 

 


ポルトガル紀行42 ポルト12 大聖堂

2019-05-18 | ポルトガル紀行

 

  

  ドウロ川を見渡す丘に建つ 
     「ポルト大聖堂」

 

  

  建設当初はロマネスク様式で建てられたが

  街の発展に伴い幾度も
  増築・改修が行われたため

  ゴシック、バロックなど様々な
  建築様式が混在する聖堂となっている。

  
  見事なアズレージョで飾られた14世紀の
  ゴシック様式の回廊や
13世紀の
  バラ窓などが見ることができるという。

  大聖堂前の広場に立つ ペロウリーニョ
   (Pillory of Porto)と呼ばれる円柱はかつて

  見せしめのために罪人が吊るされたという。

 

 


ポルトガル紀行41世 ポルト11 ドウロ川と橋

2019-05-17 | ポルトガル紀行

 

 

 

 
 大西洋に流入するドウロ川には 河口(左)から

   ①アラビタ橋
   ②ドン・ルイス1世橋
   ③インファンテ橋
   ④ドナ・マリア・ピア橋
   ⑤サン・ジョアン橋
   ⑥フレイショ橋 
  の6本の橋が架かる。

 

  50分でこの6橋を巡る
  ドウロ川クルーズを利用すると 
  川岸の風景や個性的な橋を見ることができる。

  しかし それが叶わなかったので
  川岸から見てみよう。

 

                       

 

  大西洋から3kmもあるが
  最も河口に近い ①アラビタ橋(1963年完成)

  アーチ構造 長さ493m 水面からは70mもある。
  ドン・ルイス1世橋の迂回として
  自動車専用の橋になっており E10号線でもある。

 

 

  リベイラ側から見る 巨大アーチの
  ②ドン・ルイス1世橋(1886年建造)

  高架橋技師エッフェルの弟子により
  建設された 二重構造の橋で

  上層は メトロ路線と歩行者道路に
  下層は車道と歩道になっている。

  川岸にはクルーズ船の発着場所もある。

 

 

  航海王子の名がついた ③インファン橋

  ドン・ルイス1世橋の上層をメトロが
  走ることになり 自動車専用に架けられた。

  ドウロ川に架かる橋の中で最も美しいいとも。

 

      インファン橋からドン・ルイス1世橋を望む

 

 

  ④ドナ・マリア・ピア橋(1877年・鉄道橋)

  手前白い橋脚は ⑤サン・ジョアン橋


  老朽化により 鉄道橋として114年の役目を終え
  一つ上流の ⑤サン・ジョアン橋に譲っている。
  現在は その美しさから モニュメントとして
  残されている。

 

         TV番組「世界水紀行」から

 

 

  ⑤サン・ジョアン橋(1991年完成) 現役の鉄道橋

  他の橋と違ってアーチ構造ではなく
  鉄筋コンクリートの列柱構造になっている。

  一つ下流の「ヂナ・マリア・ピア橋」
  (1877年・鉄道橋)の保存のため造られている。

 

  写真はないが 最上流に架かる
  ⑥フレイショ橋(1995年)は

  アラビダ橋 ドン・ルイス橋の交通量を
  減らすために架けられた。

 

   ここで「ドウロ川」の概略

   スペイン北部を水源としポルトガルに
   入りポルトから大西洋に注ぐ。

   スペインにおいては「ドゥエロ川」と呼ばれ
   全長897km。

   川の名は レコンキスタの途上において
   アストゥリアス王国などが

   この川より向こう側の“未征服の
   ”イスラム勢力の領域のことを

   「エストレマ・ドゥーラ(ドウロ川の向こう側)」と
   呼んだことが語源となったという。