あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポーランド・クラクフ 71 墓地礼拝堂

2018-06-30 | ポーランド紀行

 

 

聖マリア聖堂の右隣(南側)にある
小さな “マリア広場” は昔は墓地だったそうだ。

広場には 噴水があり 
その上には 女性の像が乗っている。

女性は 中世期のクラクフの学生の像というが
 何故か 少々浮かないような面持ちだ。

    

奥のレンガ造りの三角形のファサードが
印象的な建物は「聖バルバラ教会」。

墓地礼拝堂として 1362年に建てられた
ゴシック様式の教会という。


そのためか 中央の広場に面するのではなく

奥にひっそりと控えめに佇んでいるようだ。

 


ポーランド・クラクフ 70 ラッパ吹き

2018-06-29 | ポーランド紀行

 

 

喧騒の中 塔の最上階の窓から
ラッパの音色が かすかに聞こえてくる。

このラッパは一時間ごとに 
4つの窓からそれぞれ違う方向に向かって
同じメロディで吹かれているが 
この演奏途中で止まってしまうようだ。


これは昔クラクフにタタール人が攻め込んできた際
この危機を町中に知らせようとラッパ吹きが
ラッパを吹いていた最中にタタール人が放った矢に
喉を射抜かれて絶命してしまったという伝説があり
そのラッパ吹きのことを悼み忘れないために
途中で終わらせているのだそうだ。

この伝統は中世から今日まで続いている。

この曲は ポーランドでは
「ヘイナウ・マリアツキ」
といって親しまれており

ラジオからも 正午の時報としても使われている。


また 中世の時代には 防壁門の朝夕の開閉を
知らせるために演奏されたそうだ。

 

(web資料から)

余談だが この ”ラッパ吹き” は 
消防士試験に合格した団員の中から限られた

一部の人しか就けない職業なので
プライドを持って仕事をしているそうだ。

 


ポーランド・クラクフ 69 聖マリア教会

2018-06-28 | ポーランド紀行

  

塔の左右 形がが違うのは
”兄弟でいがみ合った結果” という言い伝えがある・・・。



織物会館の向かい側にあるのが 「聖マリア教会」


1222年に建造されたブリック(煉瓦造り)・
ゴシック様式の建築
1290年代には二つの塔の教会に建て替えられ

14世紀にはバリシカ(一般の教会堂より
上位にあることを認められた教会堂)
となって側廊が設けられた。


その歴史的価値から「クラクフ歴史地区」の
世界遺産としても登録されている。

  

ゴシック様式の祭壇  (web資料から)

  6つの聖母マリアの喜びの場面
『受胎告知』   (左上)『キリストの復活』(右上)
『キリストの降誕』(左中)『キリストの昇天』(右中)
『東方の三博士』 (左下)『聖霊の降下』  (右下)


教会内の聖壇は ヨーロッパで第2位の高さをもつ
木造彫刻で国宝に指定されている。


またドイツ人彫刻家ヴィツト・ストウオシが
1477年から12年の歳月をかけた

高さ13m 幅11m という
ヨーロッパ最大級の祭壇画もある。

また 青地に金色がちりばめられた
天井やモザイク装飾の壁面

ステンドグラスや内部の芸術品はどれも美しい。

 
 

 


ポーランド・クラクフ 68 織物会館

2018-06-27 | ポーランド紀行

 

 

広場中央の「織物会館」
14世紀に建造されたルネッサンス様式建築で 
クリーム色の均整の取れた建物は
長さ100mもあり その存在感を示している。


当時 クラクフは東西の物品が集まる拠点で
中国の絹 英国のウールなど
衣服や布地の交易の要所だったこともあり

織物取引の場としてその名がついたという。

世界最古のショッピングモールともいわれる。


 

1階床のレリーフ

この建物を中心とした旧市街の地図に
コンパス 定規等が彫られている。

交易の拠点を表しているようだ。

 


1階は 民芸品  アクセサリー  革製品 
刺繍布などを売る小さな店が 両側に並ぶバザール。


2階には 「国立近代美術館」が入っており
ポーランド絵画のギャラリーになっている。

地下には 2010年オープンした「中央広場地下博物館」があり
この広場の地下の発掘調査際の発見物が展示されている。

 

 

 

 


ポーランド・クラクフ 67 中央市場広場

2018-06-26 | ポーランド紀行

 

 

  

フロリアンスカ通りから 
クラクフ旧市街の中心地「中央市場広場」へ。


先ずは オープンカフエのテントの数に驚き
そこには外国からの観光客で満席状態だ。

  



この広場は総面積4万m2
 旧市街では欧州随一の広さを誇る。

1038年 ポーランド王国の首都が
ボズナンからクラクフに移され

1257年 中央広場が造られたことから街として発展した。

かつては 王の誓いや国の祝賀行事が行われた。

広場には中央に織物会館 
旧市庁舎の塔 聖マリア教会 等がある。

 

 

 

 


ポーランド・クラクフ 66 聖十字架教会

2018-06-25 | ポーランド紀行

 

 

スウォヴァツキオ劇場の

裏手・南側に「聖十字架教会」がある。

ワルシャワの聖十字架教会は あまりにも有名だが

こちらは 観光的な特徴のある教会では無いようだ。


しかし すくっと空につくような赤レンガ造りの姿は

 何か見る者に
何か訴えるものがある。

また 内部構造は日本の五重の塔のように

 
一本柱の支柱により支えられている

アーチ形の天井が特徴とか。

 


ポーランド・クラクフ 65  スウォヴァツキ劇場

2018-06-24 | ポーランド紀行

 

 


聖ドゥハ広場にある
「ユリウシュ スウォヴァツキ劇場」

中世の修道院を取り壊した跡地に
2年かけて1893年に建てられた。
バロック様式の歴史的で
重厚な雰囲気が漂う外観は見応えがある。

劇場としては、ヨーロッパでも
パリのオペラ座と並び評されるほどの建築。


劇場の名前は、ポーランドの著名な詩人・劇作家
「ユリウシュ スウォヴァツキ(1809-1849年)」の
名に因んで命名されている。

 



(NHK・BSから)

なお ナチス占領下1943年9月20日
この劇場で近衛秀麿が指揮し
「日本の夕べ」の演奏会が開かれている。
この時の会場にはポーランド人はおらず
すべてドイツ軍人で占められていた。

現在は コメディ 音楽演奏
 オペラなどが催されている。

 

                         西面

 

 


ポーランド・クラクフ 64 フロリアンスカ通り 

2018-06-23 | ポーランド紀行

 

  中央広場方面  



フロリアンスカ門から一直線上に

中央広場まで伸びる330mが「フロリアンスカ通り」

かつては」ポーランド国王や外国要人が
パレードしながら通った「王の道」とも呼ばれた。

中央広場方面には聖マリア教会が見る。

 フロリアンスカ通りにはた
沢山の伝統工芸やカフェが建ち並ぶ。


旧市街は碁盤の目のように整備され
道筋はわかりやすい。

 

中央広場方面

 

  フロリアンスカ門(左端)    中央広場(右端)



 


ポーランド・クラクフ 63 フロリアンスカ門

2018-06-22 | ポーランド紀行

 

城壁東側

         
バルバカンの南側 
屋根を付けた防壁を両側に抱えた
「フロリアンスカ門」(高さ33.5m)がある。

旧市内の北のゲート
 フロリアンスカ門は
1300年に構築されている。

かつての防壁は 旧市街の全体を囲むように
 南に位置するヴァヴェル城まで伸びており

その周囲には47の塔と7つの門があったという。

       

         南側              大きな赤い旗を掲げるフロリアヌス像

 

門の南側(旧市街内側)のフォサードには
18世紀に聖人に列せられた
聖フロリアンのレリーフが飾られている   

「フロリアンスカ」とは
聖人フロリアヌス(フロリアン)の名から。

フロリアヌスは 3世紀末に
現在のドイツ・バイエルン東部で
活躍した軍人だが 消防隊も組織していた。

死後に煙突掃除人 消防士 釜炊き人など 
火の守護聖人”となり
中央ヨーロッパで盛んに信仰されている。

城壁には 露店が軒を並べ
絵画などの商品が壁いっぱいに架けられている。

 

写真から バルバカン 城壁
フロリアンスカ門等の位置関係がわかる。


 

城壁西側 正面は チャルトリスキ美術館 左手はHotel Polski

 


ポーランド・クラクフ 62 バルバカン

2018-06-21 | ポーランド紀行

 

 西側

 

クラクフにも 赤煉瓦の城壁「バルバカン」がある。

「バルバカン」については 
ワルシャワ14(2018/05/04)でも触れたが

“砦”を意味するラテン語のバルベカーネからきている。

クラクフのバルバカンは 1498-1499年に建てられた。

内径は24.5m 壁の厚さは 3m以上で

幅26mの濠で囲まれて

7つのタレットと130もの射撃用の小穴があり

 ゴシック様式の建物になっている。

南側 

 

 

ポーランドは熱心なカトリック教徒が多い

  厚い壁の中にも祭壇が祀られている。

 


ポーランド・クラクフ 61 ヤン・マテイコ像

2018-06-20 | ポーランド紀行

 

 ヤン・マテイコ像 

 

公園内にユニークなオブジェがある。

落ち葉散る借景を利用した額縁状の像は
「ヤン・マテイコの記念碑」


 
ヤン・マテイコ(1838-1893年)は
 ポーランドを代表する歴史画家で
ポーランドが地図から消えていた時代に活躍し
 生涯のほとんどをクラクフで過ごした。

 

1873年にヤギェウォ大学から独立した母校
クラクフ美術学校の初代校長となり

亡くなるまで校長職にあった。

ポーランドの歴史を調べると
ほぼ必ず彼の
政治・宮廷・軍事の出来事を
主題にした絵を見ることができる。



最も有名な作品
油彩の「グルンヴァルトの戦」
(web
資料から ワルシャワ国立美術館所蔵 )

 

 校長を勤めた クラクフ美術学校は
ヤナ・マキイキ広場の北端にある。

 


ポーランド・クラクフ 60 プランティ公園

2018-06-19 | ポーランド紀行

 

 

ヤナ・マキイキ広場の南

「プランティ公園」がある。

旧市街をぐるりと囲んでいた
城壁は19世紀に大半が取り壊され、
現在は門の周辺に少し残るだけ。


その跡に造られた緑地帯を公園
(プランティPlanty)として利用している。

防壁の跡といえども意外に広く

オブジェや ベンチが置かれ 落ち着いた雰囲気が漂う。


現在残っている堡塁は

フロリアンスカ門 バルバカン(外堡)など

一部分のみとなっている。

 

        

        旧市街地を囲む公園(緑地帯)      公園の各箇所に防壁の記念石が置かれている、


ポーランド・クラクフ 59 グランウォルド記念碑

2018-06-18 | ポーランド紀行

南面

ヤナ・マテイキ広場の中央に置かれる
「グランウォルド記念碑」は
1410年の戦勝記念碑。

1410年にポーランド・リトアニア連合軍は
ドイツ騎士団とポーランド北部にある
グルンヴァルト近郊の戦い
(タンネンベルクの戦いともいう。)
勝利したことにより 
グルンヴァルト戦勝 500周年を記念して
1910年に 建てられた。

これは 愛国家で世界的に有名なピアニスト
イグナツィ・バデレフスキにより寄付されている。


しかし 戦時中にナチス・ドイツに破壊され
1976年に複製・再建された。

東面

 

 


ポーランド・クラクフ 58 ヤナ・マキイキ広場

2018-06-17 | ポーランド紀行

 

南方面  銅像の先にバルカンが望める 

 

クラクフ中央駅から 旧市街へ向かう途中 

縦長に広がる「ヤナ・マキイキ広場」がある。

周囲には教会があり 並木道沿いには

オブジェやモニュメントが並ぶ。

地元の人が ベンチで憩う姿も

なんとなくのんびりしており

静かで 落ち着きのある広場だ。

置かれているベンチは 

寄付者のいろいろなメッセージが

書き込まれている記念ベンチ。

 

北方面  後方に聖ロマネス教会が見える。

 右の建物には 日本語メニューもある
ポーランド料理の有名店「ヤレマ」がある。

   


ポーランド・クラクフ 57 クラクフ市章

2018-06-16 | ポーランド紀行

             

 

                          クラクフの市章                                 マンホール蓋の市章

 

王冠を頭にいだいた白鷲は
ポーランドの国章でもある。

1410年  ポーランド・リトアニア連合軍は
グルンヴァルトの戦いでドイツ騎士団 に勝利し

さらに 1454年からの13年戦争でも勝利して
バルト海沿岸の町グダニスク及び
東ポモジェ地方を手に入れた。

 
この歴史的勝利に使われた軍旗が
この赤地に王冠白鷲の軍旗であった。

そのことから 王冠白鷲はヤ ゲウォ王朝の
繁栄とその後のポーランドの繁栄を
もたらしたことから 市章になった。