(旧リガ市街図)
リガは「百万本のバラ」の曲で知る。
「百万本のバラ」は、ラトビアの歌謡曲
「ダーヴァーヤ・マーリニャ」を
原曲とするロシア語の歌謡曲で
日本では加藤登紀子が唄って知られている。
リガという名称もリヴォニア語の
「円」という意味から由来している。
かつてリガは「バルトのパリ」と呼ばれたが、
ソ連時代には「零落した貴婦人」とまで
呼ばれたこともあった。
しかし、現在は 復興され美しい街並みを取り戻し
ラトビアの首都として人口約70万人、
バルト三国の“真珠”とも3呼ばれており、
リガ歴史地区は世界遺産に1997年登録されている。
リガの始まりは、1201年ドイツ・ブレーメンの
司教アルベルト(1165?-1229)が
北方十字軍を率いてこの地を制圧し、
キリスト教への改宗を図ったとされる。
ドイツ商人の入植も進み、
1282年にハンザ同盟(北ドイツの都市を中心として
バルト海沿岸の貿易、経済を支配した都市同盟)に
加盟して13~15世紀にバルト海東岸の商業の中心地として、
ロシアと西ヨーロッパ地域を結ぶ交易によって繁栄した。
その後、16世紀から19世紀にかけて
ポ−ランド、スウェ−デン、帝政ロシアの支配下に入り、
ヨ−ロッパへの窓として
ペテログラ−ド、モスクワに次ぐ 大都市に成長する。
1991年の独立後は 復興もめざましく、
中世の魅力を残す旧市街は 観光客で賑わいを見せている。