あかない日記

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還付金

2022-02-28 | 出来事・行事

 



令和3年分の確定申告を


申告期間前にしていたので

このほど「還付金振込通知書」が届いた。

 

申告はスマホからもできるということだが

画面も小さく煩雑のようなので

例年どおり「ID・パスワード方式」で


特に今回は医療費が

10万円を超えて申告しているためか


納税額の全額が還付されて


ポケットマネーにはなったかな。

 

 


3回目のワクチン接種

2022-02-24 | 出来事・行事

 

 

 

先日 3回目のワクチン接種の

申込について触れたが

2月17日 

前回とファイザーで接種ができた。

副反応は 接種日にはなかったが

翌々日まで 

少々頭痛と注射跡が腫れ痒い状態が続き

その後はなくなった。

回りの人に聞いても

同じような症状であったようだ。

 

そして スマホのアプリでも

接種証明書が確認できた。

 


詩人 茨木のり子

2022-02-17 | 人物忌


   写真は 谷川俊太郎氏による撮影
 (NHK「クローズアップ現代」から)

 

 

2月17日は 
詩人 茨木のり子 が亡くなった日

 

先日 NHK「クローズアップ現代」でも

死後から 16年経って 
創作の原点を語った貴重な肉声が
見つかったとして 取り上げられていた。

 

茨木のり子は

1926(T15)年 
 医師の父の長女として大阪市に生まれる。

1932(S7)年 
 愛知県西尾市へ移住
1943(S18)年
 愛知県立西尾高等女学校を卒業後上京

 帝国女子薬学専門学校
 (現・東邦大学薬学部)に入学
 在学中は戦時下の動乱に巻き込まれ
 勤労動員や空襲・飢餓などに苦しむ。
1946(S21)年
 同校を繰り上げ卒業
1949(S24)年
 医師の三浦安信と結婚

 埼玉県所沢町(現・所沢市)に移住

 結婚前後から詩を書き始め
「詩学」に投稿し認められる。
1953(S28)年
 川崎洋(1930-2004)と
 「櫂」(-1957解散)を創刊
 水尾比呂志(1930-)
 谷川俊太郎(1931-)
 大岡信(1931-2017)
 吉野弘(1926-2014)が参加
1958(S33)年
 保谷市(現西東京市)へ移住
1975(S50)年
 夫が肝臓がんのため死去
1976(S51)年
 韓国語を習い始め
 韓国現代詩の紹介に尽力
1999(H11)年
 「倚りかからず」が朝日新聞の
 天声人語に取り上げられ話題に
2006(H18)年
 くも膜下出血により
  自宅で死去 79歳

  墓は遺言の通り夫の墓
 (山形県鶴岡市)に眠る。

 

作品には

「話」(1955年)
「見えない配達夫」(1958年)
 *戦時下の女性の青春を描いた詩
 「わたしが一番きれいだったとき」が収録
「鎮魂歌」(1965年)
「自分の感受性くらい」(1977年)
「倚りかからず」(1999年)
「茨木のり子詩集」(1969年)
「韓国現代詩選」(1990年)
  

なお 先立った夫への想いを
綴った詩集「歳月」としてまとめられ
一周忌(2007年)に刊行された。

TVドラマ「3年8組金八先生」
(2007年放送)第8シリーズでは
詩集が取り上げられ

朗読されるシーンもあった。

 

 

 

 

 

 


3回目ワクチン接種予約

2022-02-08 | 出来事・行事

 

茨城県もコロナまん延防止等措置が発出され 
さらに感染者数が過去最多を示し
外出もひかえる中

3回目のワクチン接種予約通知が届く

 

早速予約しようと
同封されている接種協力機関を見ると
前回受けた病院がない!

仕方なく近所の病院等を探すが
”かかりつけの方のみ”とあり

他は直接市役所に申込になる。


そこで LINEでと市のアプリを導入して
手続きをしようとしたが
これまた手続きが煩雑で諦め
電話予約に切り替えて申込する。

 

電話で対応中 
前に受けた病院が受け付けているという

市の説明では病院側の協力受諾が
印刷時に間に合わなかったとのこと。

早速 病院に申し込むと 
前文のような状況であったためか

受付が混雑することなく
すんなりと月半ばに予約ができた。

 

首相は今月後半には
1日100万回の接種を目指すという

まだまだコロナ感染の
終息のゴールは見えない

 


洋画家 桂ゆき

2022-02-05 | 人物忌


  (BSテレ東「新美の巨人たち」から)

 

2月5日は 
洋画家 桂 ゆき が亡くなった日

桂 ゆきは

日本における前衛女性画家の
先駆者であり、第一人者

戦前から逸早く先端的コラージュの手法を
シュルレアリスムから
距離をおきながら独自に展開し

生活用具や動物など実在と抽象的な形を
混在させた独自の表現を探求した。
 本名は 雪子 初めは「ユキ子」
 1970年代頃から「ゆき」


1913(T2)年
 東京大学教授・冶金学者
 桂弁三の長女として
 東京市本郷で生まれる。

1931(S6)年  
 東京府立第五高等女学校
 (現都立冨士高)卒業

1933(S8)年
 東郷青児(1897-1978)が指導する
 アヴァンギャルド洋画研究所に通う。

1935(S10)年
 コラージュによる初の個展を開く。

 二科展に初入選し第9室に展示される。
1938(S13)年
 吉原治良(1905-1972)
 山口長男(1902-1983)ら
 とともに前衛グループ九室会の創立に参加

1946(S21)年
 三岸節子(1905-1999)らとともに
 女流画家協会を創立

1950(S25)年
 二科会会員となる。

1956(S31)年
 渡仏

1958(S33)年
 アフリカに旅行。

 帰仏後、すぐにアメリカに渡る。
1960(S35)年
 全米女流展(ニューヨーク、
 リバーサイド美術館)に出品

1961(S36)年
 帰国 東京画廊で個展を開く。

 第6回日本国際美術展で優秀賞を受賞
1963(S38)年
 「女ひとり原始部隊に入る」で
 毎日出版文化賞を受賞

1966(S41)年
 第7回現代日本美術展で
「ゴンベとカラス」が最優秀賞を受賞

1979(S54)年
 東京画廊で3回にわけて
 戦前から新作までの個展を開く。

1980(S55)年
 山口県立美術館で「桂ゆき展」開催

1981(S56)年
 「1960年代--現代美術の転換期」展
 (東京国立近代美術館)に出品

1991(H3)年2月5日
 癌のため東京女子医大病院で逝去 77歳


    

   50年前に コロナ感染を予感か!

 

参考:BSテレ東 「新美の巨人たち」
   ・ウィキペディア